第56話 「説得」
ジゼルに対しては、「少し説得方法を変える」とルウは言う。
やがてルウは、3つの頭を持つ恐るべき冥界の魔獣を呼び寄せた。
……ケルベロスである。
召喚獣として、冥界の門番を務めるこの魔獣を、ルウが従えているのを事前に聞いてはいたが、やはりアデライドは興味津々のようだ。
無理もない。
アデライドにとっては恰好ともいえる好奇心の対象であり、ケルベロスを実際に見るのは初めてだったからである。
アデライドが見つめる中……
ルウは何かケルベロスに命ずる。
すると、ひと声短く吠えた魔獣は座り、目を閉じた。
どうやら、「術中のルウとアデライドを守れ!」
という指示を下したらしかった。
ルウは改めてアデライドに向き直る。
いよいよふたりでジゼルに対し、救助の魔法を発動するのだ。
「アデライドさん、まず呼吸のタイミングを合わせるんだ」
以前、春期講習の際、魔法の基本として生徒達が練習を行なっていたが……
呼吸法は、魔法を発動する様々な基本の中のひとつである。
アデライドは黙って頷くと、ルウの呼吸に少しずつ自分の呼吸を合わせて行く。
暫くすると呼吸法の独特なリズムは、アデライドを完全にリラックスした状態にさせ、彼女は身体の力を全て抜き、ルウへ意識を預けて行った。
やがてルウとアデライド、ふたりの放出する魔力波は融合し昇華した。
不思議な魔力波に包まれたアデライドは、まるで桃源郷にいるかのような心地良さを感じている。
一方、ルウは眼を閉じて身動きひとつしない。
ふたりは既に、軽いトランス状態へ入っているのだ。
ルウの手はジゼルの心臓の上に置かれている。
もしフランが見たら、嫉妬に身悶えしそうな光景ではある。
だが、その手は既に眩い光に包まれ……
光は続々とジゼルの心臓に吸い込まれて行ったのだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
『ここは?』
アデライドが思わず声を出せば、すぐルウの声が返って来る。
『ジゼルが作り出した魂の中の精神世界、いわゆる異界さ。俺達も精神体となって入り込んでいる。そして……ジゼルの意思はここにある』
ルウとアデライド、ふたりの魂は今、肉体を離れているらしい。
感覚としては非常に鮮明な夢を見ているといった趣きであり、僅かながら感覚もある。
アデライドが周囲を見ると……
荒涼とした砂漠であった。
生えている木々は枯れ、目の前の川は、完全に水が干上がり底が露呈していた。
これが……ジゼルの心の内なの?
あんなに自由闊達として凛々しいあの子が……
ここは心の内が分かってしまう精神世界……
そんなアデライドの疑問も、すぐルウへ伝わってしまう。
『いや、違う、アデライドさん』
『ち、違うって?』
『これは見せかけで本来のジゼルの意思ではない』
『…………』
『ジゼルは、もっと自由な生き方をしたかった。そして迷っていた。生徒会長という魔法女子学園の生徒達全員を導く重責、誇り高き公爵家令嬢という立場が、彼女を完全にひとつの型にはめてしまっていたんだ』
『ひとつの型?』
『一択の生き方と言い換えても良い。自分はこのままで良いのか? という葛藤がある時、ジゼルの心に生まれた。それは……だんだん大きくなって行ったんだ』
『ジゼルの……あの子の心の葛藤か……私は、全然、気付いてあげられなかった……』
アデライドは小さく呟き、済まなそうに顔を伏せる。
珍しく辛そうなアデライドを見て、ルウは言葉を続けた。
『そして、悪魔ヴィネに魅入られたナディアが、偽りの友情を振りかざし、ジゼルにつけこんだ』
『ナ、ナディアが! ……そ、そうだったのね?』
『ああ、ジゼルはナディアから負といえるおぞましい闇の影響を受け、どんどん性格が荒々しく極端になって行ったんだ』
だが悪魔ヴィネは既にルウが倒している。
もう、ジゼルは解放される筈だ。
そんなアデライドの心を読むように、ルウは言う。
『悪魔は俺が倒し、呪縛は解けた』
ルウは事も無げに言う。
後はジゼルの心の持ちようなのである。
才能溢れるジゼルの人生……
実は色々な可能性に満ちている。
誰かが『真実』を気付かせなければ……
彼女はこの世界に、引きこもったまま、死を迎える……
そう、ルウは告げた。
もう助ける確信があるのか、落ち着き払っていた。
片やアデライドは焦り、居ても立っても居られなくなる。
『ルウ! と、とりあえずジゼルの下に行きましょう』
『ああ、急ごう。魔力波で彼女の居る場所は分かる』
こうして……
ふたりは、ジゼルの居る場所へ向かったのである。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
『また貴様か? 私はここから出ないぞ!』
『ジゼル、この場所は危険だ、頼むから俺の話を聞いてくれ』
『うるさい! ここはとても居心地が良い! 私は誰にも縛られず自由でいられる!』
ルウの姿を認めると、ジゼルは吐き捨てるように言い放つ。
そして膝を抱えて座ったまま、ぷいっと背を向けた。
『ジゼルさん!』
『え!? 誰? り、理事長!』
ルウの背後から、アデライドが声を掛ける。
するとジゼルが、ばね人形のように飛び起きた。
『さ、3年A組 ジゼル・カルパンティエです 御機嫌よう、理事長』
魔法女子学園は基本、生徒の魔法力を伸ばすのは勿論だが、淑女となるべき作法も教えている。
2年間染み付いた癖は、そう簡単には無くならない。
ジゼルは王都騎士志望らしく、礼儀正しかった。
直立不動で敬礼しながらアデライドに挨拶したのだ。
『馬鹿ね! こんな所で!』
アデライドはそう言うと、
ジゼルに近付き、彼女の身体を抱き締めた。
『え、え、え!』
戸惑うジゼルを確り抱き締めるとアデライドはゆっくりと囁いた。
皆のもとに帰ろうと……
アデライドの説得を聞いたジゼルではあったが、表情が悲しそうなものに変わるとゆっくり首を横に振る。
『私は今更おめおめと戻れません。暴走したナディアを止められませんでしたし、皆に迷惑を掛けてしまいました。その上、勝負にも負けてしまった』
ジゼルの言葉を聞いたアデライドは、何と笑い出す。
『うふふ、貴女は逸材だけど、所詮生徒でしょう? 生徒はね、学びながら成長するの。時には失敗もするものよ』
『り、理事長……』
『そんなに背伸びしないで良いわ。こんな難しい問題は出来なくて当たり前』
『…………』
『ジゼルさん、貴女は頑張り過ぎなのよ、良い? 肩の力を抜きましょう』
『…………』
『もっと大人に甘えなさい。そして教えを請いなさい。だけど礼儀を忘れちゃ駄目なの。その点、貴女は充分礼儀正しいから安心ね』
『…………』
『淑女としては、充分合格よ!』
アデライドに諭されたジゼルは……
黙ったまま恥ずかしそうに顔を伏せる。
だがジゼルには、今までにはない晴れ晴れとした表情が、戻って来ていたのである。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ルウ! お母様!」「ジゼル!」
フランとケルトゥリの声が交錯する。
遺跡から現れたルウ達3人の姿に歓喜の声を上げたのだ。
フラン達の横では、モーラルが満足そうに頷いている。
よかった! 無事で!
3人とも無事で帰って来た。
フランやケルトゥリ同様、アデライドやジゼルも当然ルシフェルによる秘術を受けていた。
ランダムに書き込まれた真名のせいで、もう悪魔に心を操られる事はない。
しかし事件はまだ解決していない。
「ナディアがまだ目覚めないの!」
フランの心配そうな声に反応してジゼルが一目散に駆け寄った。
「ナ、ナディア! 済まない! 私がいけなかった! お前の様子にもっと気を配っていれば!」
しかし!
取り縋るジゼルをモーラルが引き剥がす。
「何をするっ!」
「そんな事をしても無駄だ、少女は戻って来ない」
「な、何ぃ!」
「ルウ様に一切を任せるのだ……お前には発動不可能な魔法を使う。ルウ様のお力無くして、この少女は現世には戻せないぞ」
怒りの表情でモーラルを見つめていたジゼルがハッとする。
怖ろしい事実に気付いたのだ。
「ううう……き、貴様ぁ! ま、魔族かぁ!?」
「だからどうした? 私は真実を言っているだけだ」
驚きと怒りが混在するジゼルに対し、モーラルは全く動じなかった。
ここでアデライドが執り成しに入る。
「ほらほらジゼル! その子の言う通りルウに任せましょう。貴女も含め、ここに居る全員を助けたのはルウなのよ」
「え?」
いきり立っていたジゼルも……
アデライドの言葉にやっと状況を理解したのか、何とか落ち着いたのである。
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