第559話 「リーパ村衛兵隊」
ルウ達一行を乗せた馬車は、今ガラヴォーグ川に掛かる橋を渡っている最中だ。
橋の真ん中を過ぎたのでたった今ロドニア王国に入った事になる。
御者席、そして車内から橋を眺める妻達はそれぞれ感慨深い表情だ。
御者台のジゼルは傍らのモーラルに見守られながら、ロドニア王国に入国する喜びにはしゃいでいたし、馬車の窓から橋を眺めるリーリャはかつて自国の強靭な騎士達がバルバトスとヴィネというルウの悪魔従士に呆気なく倒されてしまった事を昨日起こったかのように思い出していた。
真下を流れるガラヴォーグ川はヴァレンタイン王国とロドニア王国の国境線を表すだけではない。
その源流は遥か北のアールヴの国イェーラに発し、ずっと南に下れば海洋商業国家バートルガーの港湾都市ファロールに到達するのだ。
ナディア、オレリー、そしてジョゼフィーヌは書物で読んだ様々な国へ思いを馳せている。
そしてルウは昨夜の浄化により魔力を消耗し、疲れ切って熟睡するフランをその胸に抱きながら、ゆったりと座っていた。
魔法使いにとって休息と睡眠は体内の魔力を回復するのに不可欠である。
心配した他の妻達であったが、ルウからフランに少し疲れが出たと聞かされて、一応安心して2人の事をそっとしているのだ。
2人の悪魔従士が脇を固める状態で橋を渡りきった馬車はロドニア王国へ延びる街道を直ぐ右折し東へ向う。
少し走れば、今夜の宿泊地であるロドニア領リーパ村に至るのだ。
右手のガラヴォーグ川には何艘もの船が行き来しているのが見える。
妻達はそれを興味津々で眺めていた。
やがて無骨な丸太で防御柵を組んだリーパ村が見えて来ると妻達は歓声をあげる。
リーパ村はヴァレンタインの町であるアレシア同様、戦争中はロドニア王国の重要な拠点であった。
村には当然の如く、砦が築かれてガラヴォーグ川を使って人と物資が運び込まれたのだ。
しかし戦争が終わると砦は廃棄、改築され、アレシア同様村の庁舎となった。
またロドニア騎士団の駐屯もこのリーパ村の位置により、両国間に緊張をもたらすという理由からとりやめという約束になっている。
その為に村の防衛と治安維持の為の警備は衛兵として、この地の領主に雇われた規定数内の傭兵が行っていた。
尤も傭兵の隊長はロドニア王国騎士団のOBではあったが。
ルウ達が村の手前に来ると巡回していた騎馬の衛兵が近寄って来た。
ロドニア王国のお抱えといった彼等は普段から横柄に振舞う事が多い。
逞しい戦士2騎が併走しながらも、ルウの馬車はいかにも貴族のものという趣きである。
その御者台で馬を御しているのが2人の美しい少女だと見るや、少しからかいたくなったようだ。
2人の衛兵はいきなり馬車の左右に乗りつけると大声を張り上げた。
いざとなればルウの妻達がこのような輩など簡単に撃退出来る事を知っているバルバトスとアモンは彼等をちらりと一瞥しただけである。
「ひひひ、お貴族様の馬車な上に、御者台には綺麗な姉ちゃんが2人も座っているじゃあないか?」
「へへへ、おじさん達と今夜遊びに行かないかい? たっぷりと大人の男を教えてやるぜ」
ジゼルは僅かだが、眉間に皺を寄せただけで黙って座っており、モーラルに到っては完全に男達を無視している。
「おいおい天下のリーパ村衛兵隊が挨拶しているんだぜ。無視は無いだろう? 無視は!」
リーパ村衛兵隊と名乗る彼等を全く相手にしないジゼル達に対して、相手も段々苛立って来たようだ。
「おい、ロドニア王国の公務を妨害する罪で無理矢理連れて行ってしまうぞ! この女!」
がなりたてる男達を見たジゼルとモーラルはうんざりした表情である。
「はぁ……折角の旅情がこれでは台無しだな、モーラル」
「ええ、ジゼル姉。仮にもロドニアの衛兵を名乗る者がこれでは……余りにも品が無い。リーリャが可哀想ですね」
溜息を吐きながら言ったジゼルとモーラルの言葉を衛兵達は聞き逃さなかったらしい。
「何だと! よくも俺達を侮辱したな! 連行しろ! 連行!」
「このく○れ女! ぶっ叩いてやるう!」
衛兵2人は激高し、馬を走らせながら剣を抜き放った。
こうなるともう尋常では無い。
その時であった。
「貴様等いい加減にしろ」
いつの間にかバルバトスとアモンの跨ったケルピーが彼等の背後を走っていたのである。
「な、何ぃ!」
しかし衛兵達の抵抗もここまでであった。
バルバトスとアモンがひと睨みすると何故か剣を握っている手が脱力してしまったのだ。
2人はもう剣を握っておれず、下に落としてしまう。
バルバトスとアモンの邪視である。
大悪魔である彼等が念を込めて一瞥するだけで常人は身体が麻痺し、自由を奪われてしまうのだ。
ここで馬車が止まった。
目の前はもうリーパ村の正門であり、遠くから仲間のやりとりを見ていた衛兵の仲間達が馬に騎乗して押し寄せて来る。
ルウ達一行はあっという間に彼等に囲まれた。
しかし御者台のジゼルとモーラル、そして2人の悪魔従士も悠然と構えていた。
不当な言いがかりをつけられ、その上剣まで抜いて威嚇したのは衛兵達の方なのだ。
だが2人に絡んだ衛兵達は、当然の事ながら真実など言わなかった。
「こ、こいつらが職務質問した俺達に抵抗したんだ!」
「けけけ、剣を抜いたら妙な技を使いやがった!」
邪視の影響で身体が硬直し、息も絶え絶えの2人を見た彼等の仲間達は簡単に『嘘』を信じてしまう。
ルウを囲んだ衛兵達は10騎。
その中から隊長らしき男が手を挙げると全員が剣を抜いた。
どうやら強制的に連行する気配が濃厚だ。
その時、馬車の扉が開いてルウが降り立った。
今度はアリスに擬態したリーリャの手を引いている。
『リーリャ、ロドニアの公僕がこれでは不味いな』
『お父様の目が届かない所でこんな事が行われていようとは! 彼等に代わって私が謝罪します』
『まあ、良いさ。現実を知っておかなければ、な。まあ直ぐに是正しよう』
ここでバルバトスとアモンが意味ありげにルウを見た。
力には力で応酬を?というアイコンタクトだ。
しかしルウはゆっくりと首を横に振った。
無用――という返事である。
「貴様がこの一行の主か!? 公務妨害と侮辱罪で連行するからな! 覚悟しろ!」
ルウの漆黒の瞳に怒鳴る隊長の姿が映った瞬間であった。
剣を振り上げた隊長の身体がまるで万力に締められたように硬直したのである。
「ああううう……」
「た、隊長!」
「こいつも妙な技を使うぞ!」
金縛りにあったような隊長の姿に驚く衛兵達。
「どうした? 騒々しいぞ、何があった?」
その時、衛兵とは出で立ちの違う騎馬が1騎、傭兵達の背後から近付いて来た。
馬上の男は騎士の風体をしている。
「おお! バルバ殿ではないか? 久しいな」
ケルピーに乗ったバルバトスに気付いた男は懐かしそうに笑う。
彼はかつてリーリャがヴァレンタイン王国入りした際に、ガラヴォーグ川にかかる橋の上でバルバトスと戦ったロドニア王国の騎士、イグナーツ・バプカであったのだ。
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