第553話 「荒野という名の戦場①」
慰霊碑を後にしたルウ達は再び、馬車を走らせている。
御者台にはフランとモーラルが座っていた。
モーラルの巧みな手綱捌きをフランは食い入るように見詰めている。
本来、御者など王都の貴族令嬢がやる仕事ではない。
だが今のフランは全てにおいて学ぶ事に貪欲なのだ。
ちなみに御者の技を学びたいと申し出たフランに対抗して負けず嫌いのジゼルも手を挙げたのは言うまでもなかった。
時間は午後3時……
まだ陽は高く、夏が進むに連れて毎日気温もあがっている。
フランとモーラルが日除けの帽子をしっかり被るのは当然であった。
「でもモーラルちゃん、この馬車は乗り心地が凄く良いわ」
「でしょう! そもそも道の状態が酷いんですよ。普通の木製の車輪なら直ぐ壊れますね。それに普通に走ると振動も酷いですから」
「うふふ、リーリャもヴァレンタイン王国へ来た時とは馬車の乗り心地が大違いだって笑っていたわ」
ヴァレンタイン王国内でも有数の街道であるロドニア王国への道も例外ではなく整地されてなどいない。
石ころだらけで、雨がある程度降ると、あっという間にぬかるんで車輪が取られるような有様なのだ。
しかしルウ達が乗っている馬車とケルピー達はルウの浮上の魔法で接地をしないで走っている。
こうなると、逆に車輪を壊しようがないのだ。
「御者台に座ると今迄見えなかったものが見えるようになるし、とても良い勉強になるわ」
「ふふふ、フラン姉。例えば?」
フランは嬉しそうに言う。
モーラルはそんなフランに問う。
フランが旅に出る前に書物では読んだ知識だが、こうして目の当たりにすると自分の糧になる事を感じるのだ。
「街道の酷さは当然ですけれど、定められた色々な規則を実感出来るの」
今、走っているロドニアへの街道は土を踏み固めたものであり、王都内の道のように舗装などしてはいない。
幅は馬車2台がやっとすれ違って通れる広さだ。
今迄見かけた旅人も様々である。
貴族、騎士、傭兵、商人、巡礼者、そして近くの住人らしい農夫などバラエティに富んでいた。
各自が当然の事ながら目的を持って旅をしている。
そのような旅に色々な規則がある事など、馬車に乗って移動するだけであったフランの知るところではなかったのだ。
すれ違う対向者にいきなり襲われない為に道は左側通行である事、騎士と馬車がすれ違う際の優先権は馬車にある事、荷物を積んだ馬車と空の馬車がすれ違う際の優先権は荷物を積んだ馬車にある事などだ。
モーラルはケルピーを軽快に走らせながら、にっこりと笑う。
「村が街道の直ぐ傍に無い理由も、こうして旅に出なければ実感出来ないでしょう?」
「改めて分かったわ。村が街道の傍に無いのは耕作面積との兼ね合いは勿論、矢鱈に余所者を入れない為でもあるのね」
モーラルの問い掛けにフランも笑顔で答える。
頷いたモーラルは例え話をした。
「ええ、村自体が村民にとっては自分の家と一緒。フラン姉もブランデルの屋敷に知らない人が訪ねて来ても簡単には入れないでしょう?」
楓村の村民も最初は自分達を何者かと、訝しげに見ていたのである。
フランはそれを思い出して納得顔だ。
「楓村の人だって、旦那様やモーラルちゃんが知り合いじゃあなければ、もっと警戒されているものね」
「ええ、まあ自衛の為にはいたしかたないでしょうね。何かトラブルがあってからでは遅いのです。王都と違って、いつも危険と隣り合わせですから」
モーラルの話を聞いてフランはいかに自分が世間知らずだったか分る。
「でもフラン姉だけじゃあありません。旦那様を含めて皆、日々勉強なのです。逆に私が知らない事は旦那様やフラン姉に習うのですから」
優しく語りかけるモーラルの言葉がじっと魂にしみていくのをフランは感じていたのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
午後5時……
馬車は荒野と呼ばれる広大な古戦場の中心に停まっている。
陽は西に傾きつつあり、数時間も経てば夜の帳が降りてくる事は確実であった。
御者台のフランとモーラル、そして馬車の中の妻達も不敵な笑みを浮べている。
ルウが今夜、ここで葬送魔法の教授を行うと告げた為に気合が漲っているからだ。
葬送魔法を習得する決意を固めたフラン、戦い慣れているモーラル、そして戦闘意欲が旺盛なジゼル以外は未知の敵と戦うにあたって最初は不安がある者も居た。
だが、フランが襲われた原因にもなったこの領域の浄化が必要な事と、ルウがアレシアの町で浄化する為に行使した葬送魔法の話を聞くと彼女達の不安は一掃されたのである。
この古戦場が夜になると魔物や不死者が跋扈する呪われた地になる事はヴァレンタイン王国の者なら皆、知っていた。
旅人で夜、この地を通過する者など皆無であり、当然ルウ達以外は誰も居ない。
本来なら、こうした王国の呪われた地を浄化するのは神務省に所属する枢機卿以下、司祭や僧侶の役割である。
だが、彼等の人数と自身の葬送魔法の効果効能の限界、そして王国が負担する事になる多額の費用などが原因となって手付かずで放置されて来たのだ。
今回のフランの襲撃事件がなければ、更にこの地は放置されたままだったに違いない。
ジゼルの父レオナール・カルパンティエ公爵が命じたキャンプの設置も苦肉の策であり、この地を安全にする第一歩なのだ。
ルウ達は馬車から降りると輪になった。
輪の中心にはルウが居り、その周りを妻達が囲む形だ。
そして輪の周囲をバルバトスとアモンが一行を守るように立ちはだかっている。
「まずは馬車とケルピー達を今夜、泊まる所へ送っておく」
ルウが指を鳴らすと一瞬のうちに馬車とケルピー達が消え失せた。
今夜の宿所である異界へ転移魔法で送ったのだ。
「さあて課外授業の始まり……だな」
ルウは呟くと神速の呼吸法を行い、あっという間に魔力を高めて行く。
魔力が漲るとルウの口は開き、言霊の詠唱が始まった。
「創世の理により生まれた聖なる大地よ! 我、生まれたる原初の時に戻す為に大いなる力を行使する者なり! 聞け! この地に宿る哀れな魂達よ、様々な恩讐を捨て、戻るべき彼方へ旅立つがよい!」
朗々と詠唱の声が響き、ルウの身体が眩い光で輝いている。
「聖域!」
ルウが決めの言霊を言い放つと、大量の魔力波が放出され、ルウを纏っていた白光が地に広がって行く。
すると何という事であろう。
夥しい数の気配が立ち昇ったかと思うと次々に消失して行く。
「皆、今何かを感じただろう」
ルウの言葉に妻達は大きく頷いた。
「今、俺達が居る地に宿っていた魂の残滓を昇天させたのさ。このような地で浄化を行う際にはまず自らや仲間の安全を確保する為に術者はこうやって結界を作る。まあここからが本番だが、な」
ルウはそう言うと妻達を見渡して笑顔を見せる。
彼のいつもの穏やかな表情を見た妻達は安心してリラックスしたのであった。
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