第543話 「兄より優れた弟」
大悪魔と呼ばれる悪魔達は麾下に中小の悪魔や悪霊の軍団を持っている。
その数は数万から数十万にも及ぶが、殆どが数を頼んで戦う弱い軍勢である事も多い。
悪魔の軍団の殆どを構成する小悪魔と言えば下記の通りである。
ウコバク――元小天使であるが、冥界の釜焚きが生業であり、熱病や火傷などをもたらす
ザファン――ウコバク同様に元小天使ではあるが鍛冶に従事する悪魔
ベリアス――こちらも元天使で華麗な衣装に身を包む悪魔であるが、戦闘力は殆ど無い。
他にも単なる露出狂のカルニヴィアン、くらげに似た異様な形のノミノン、他にもニモラップ、オリヴィエルなど数だけは居る。
だが体当たりして敵の足を止める役割を持つノミノン以外は、とても役に立たないの者ばかりだ。
このように使えない? 小悪魔達より大悪魔が頼みとしたのは未だ戦闘力がある中級の悪魔は勿論、不定形で物理的な攻撃が一切効かない悪霊共である。
昇天出来ない魂やその残滓が精神体になった彼等は思考を持たず本能で敵を襲い、喰らう。
元天使である大悪魔達は悪霊に仮初の安らぎを与える事で忠誠を誓わせているのである。
閑話休題。
あえおおおおおおおおおお!
ひゃおおおおおおおおおお!
ここはルウが造り出した異界。
腕組みをして立つルウへ四方八方から数万の悪霊達がおぞましい声をあげて襲い掛かる。
しかしルウの表情は変わらない。
彼の口が僅かに動くと、朗々と言霊が詠唱される。
「冥界に蠢く悪しき魂達よ! 人の理から外れた外道共よ! 我が声に応えよ! 悪しき存在が与える偽りの安寧より、己が真の罪を改悛し、いつの日か新たなる存在へ転生せん事を祈ろう!」
「な、こ、これはっ!?」
ルウの言霊を聞いた悪魔ベリトの顔に動揺が走る。
ベリトの視線には一気に全身を眩く輝かせたルウが居た。
その輝きは最早、ベリトが正視出来ないほどになっている。
しかし本能で敵を襲う悪霊に恐怖心は無い。
あえおおおおおおおおおお!
ひゃおおおおおおおおおお!
数万のおぞましい悪霊達がひたひたと迫り、全身白光に包まれたルウをまさに喰い殺そうとした時!
「昇天!」
凛としたルウの声で放たれた決めの言霊と共に、莫大な量の魔力波が一斉に放出された。
ルウが包んでいた白光が広がり、あっという間に異界全体を覆って行く。
余りの光景にベリトは大きく目を見開き、口をあんぐりと開けている。
そして白光が収まると彼が繰り出した数万の悪霊達は煙のように消えていたのだ。
更に――ルウの姿も無い。
「わ、我の軍団が消失だ……と!? ななな、何という葬送魔法だ! は!? や、奴はど、どこだ!?」
「ここさ!」
ベリトの背後から声がする。
馬上のベリトが驚いて振向いた瞬間であった。
ルウが穏やかな表情を浮べ、その長身の身体を宙に浮かせていたのだ。
間を置かず、ベリトの顔の真ん中へ渾身の力を込めたルウの拳が深々と打ち込まれる。
「あぶしっ!」
悪霊共を強大な葬送魔法であっさりと退けた後、神速の転移魔法を発動させると、ルウはその身を移していたのだ。
くぐもった悲鳴をあげ、意識を手放し、ベリトは呆気なく馬上から転げ落ちた。
最早、勝負はついたのである。
ルウは満足そうに「ふう」と息を吐くと、また穏やかな笑みを浮べたのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「兄上! 兄上!」
どこからか、自分を呼ぶ声がする。
周囲には誰も居ない。
しかし彼を呼ぶ声は相変わらず続いている。
「兄上! 兄上!」
だ、誰だ!
い、いや!
この声、この呼び方はあいつしか居ない。
最早、この世には居ないあいつしか!
ギルベルト・クリューガーは懐かしい部屋に居た。
周囲には木製のボードゲームやトランプなどのカードが無造作に置かれている。
ここは……昔、俺とあいつが育ったバートランドのクリューガーの屋敷の遊び部屋だ。
あいつが王都騎士隊へ入隊する前に良く遊んだものだ。
バートランド執政補佐官を勤めるクリューガー伯爵家には様々な人間が来訪する。
中でも多かったのが冒険者ギルドのマスターを始めとする上級ランクの冒険者達であった。
彼等は冒険者の街と呼ばれるバートクリードの政治面に関しても結構な影響力を持っていたからだ。
元々が冒険者であった開祖バートクリード・ヴァレンタインが建国し、拓いたヴァレンタインのバートランドはヴァレンタイン王国の元王都である。
その伝統から冒険者ギルドの総本部がある街でもあったし、この街の貴族達は冒険者をやる事に全く抵抗感が無い。
父アロイスにしても、この街のトップであるエドモン・ドゥメールと共に貴族でありながら冒険者をしていた事もあるのだ。
しかしギルベルトは生理的に冒険者が嫌いであり、当然苦手であった。
膂力に恵まれ、武技のセンスも抜群であった父からその才能を殆ど受け継ぐ事のなかった彼は書物を好み、様々な学問に触れる事を選んだからだ。
対照的であったのが弟のラインハルトである。
騎士としてのセンスに恵まれた彼は父そっくりだと評判の息子であった。
父から手解きを受けた武技を更に磨き生活魔法も会得したラインハルトは、王都セントヘレナのヴァレンタイン王国騎士士官学校へ入学し、3年後に優秀な成績で卒業した。
王都騎士隊への入隊と可愛い婚約者も決まり、順風満帆の人生を歩んでいる。
ヴァレンタイン王国の貴族の規定では長男が基本的に家督を継ぐ。
長男であるギルベルトがクリューガー伯爵家を相続する事は決定的ではあったが、口さがない周囲の人間はあからさまに言ったものだ。
あの兄弟は逆だったら良かったのに、と!
そのような噂が耳に入る度にギルベルトは悔しさと惨めさで身震いした。
いっそ家督相続をラインハルトに任せようかとも思ったほどだ。
思い切って父アロイスに打診した事もある。
しかし父はあっさりとはねつけたのだ。
「馬鹿な事を言うな! このクリューガー伯爵家の跡取りは長男のお前だけだ」
王国の規定は余程の事がないと例外が認められない。
例えば長男が死亡する等で不在になり、相続権が繰り上がる事などだ。
父も本音はさて置き、さすがに王国の規定には背けないのだろう。
ギルベルトはそう感じたのだ。
当然父は自分などに期待はしていない。
愚鈍な兄より『優れた弟』の方を父は殊更に可愛がっている。
そんなコンプレックスは淀んだ澱のようにギルベルトの魂に溜まっていった。
「お、俺は! 俺はラインハルトが羨ましい! 俺に無い物を沢山持つあいつが……」
いつの間にかギルベルトを呼ぶ弟の声は消えている。
「そして俺をこのように生んだ両親が憎い!」
ギルベルトが振り絞るように発した怨嗟の声は虚しく部屋に消えて行ったのであった。
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