第540話 「愛息の面影」
「馬鹿馬鹿しい! これ以上この場になど居られるか!」
アレシアの執政官アロイス・クリューガー伯爵の息子ギルベルト・クリューガーは荒々しく席を立つと部屋を出て行ってしまった。
先ほどの酷い発言があったので護衛の騎士は誰1人付き従おうとしない。
その時である。
『旦那様!』
呼びかけるモーラルからの念話がルウの魂に響いた。
『モーラル、お前も気付いたか?』
『はい! 最初はこの庁舎に取り付く魂の残滓かと思いましたが……巧妙に隠れていましたね』
ルウとモーラルはこの庁舎附近に巣食う何者かを捉えたようである。
『ああ、邪悪な闇の気配は町のだいぶ手前から感じていたが、今のギルベルトの動きでついに正体を見せたな』
『どうしましょう? 私が動きますか?』
ルウの指摘に対して、モーラルはすかさず自らが対応する事を打診した。
彼女にとってルウに頼りにされる事が1番の幸福なのである。
『ありがとう、モーラル。だが今回はバルバトスとアモンに対応させよう。お前は俺と共にこの場でフラン達をフォローしてくれ』
『はいっ、かしこまりました!』
ルウとモーラルがこのような会話をしているとは露知らず、アロイスは息子が出て行った入り口を見て嘆息した。
いくら身分制度がはっきりしているとはいえ、ギルベルトの態度は論外である。
身内に対してでさえ、このような態度をとっては、上に立つ者に必要な人望など得られるわけがないのだ。
「ブランデル殿、誠に申し訳ない。不肖の息子だが、ラインハルト亡き後、奴がたった1人の私の子なのだ。後でしっかりと言い聞かせるから許して欲しい」
アロイスはルウ達へ深々と頭を下げた。
上級貴族としては考えられない対応である。
貴族とは思えない程、腰が低い父。
権威主義に凝り固まった傍若無人な息子。
アロイスとギルベルトは余りにも対照的な親子であった。
「奴は分っていないのだ。我々『戦う者』である貴族や騎士の生活が『働く者』である農夫や職人、商人など平民の力で成り立って居る事を、な」
「いえ、気にしていません。だが貴方のような貴族が居るのを知る事は喜ばしいかぎりです」
ルウが屈託の無い笑顔を見せるとアロイスはホッとした表情を見せた。
護衛の騎士達も和らいだ表情を見せ、ルウに対して好意を持った事が分る。
アロイスは話題を変えたいらしい。
このタイミングで彼がルウ達の来訪を知っていた理由を明かしたのだ。
「不思議だったでしょうが、私が貴方達の来るのが分っていたのはエドモン様からの鳩便の連絡があったからですよ」
ルウは今回の経緯を手紙で事前にエドモンへ伝えていた。
手紙は以前フィリップへ送った方法を採っている。
アロイスの言葉を聞いた数人の妻達が僅かに頷いた。
王都から離れたアレシアの執政官であるアロイスが、何故自分達の足取りを知っていたか不思議だったらしいが、これで納得が行った様子である。
「時間が少し早いですが、急ぎ夕食の支度をさせました。この庁舎の食堂で余り風情はありませんが、ぜひ!」
確かに時間は未だ午後4時過ぎであり、夕食には早いかもしれない。
だがアロイスはルウ達ともっと話したい事があるようだ。
フランとかつての関わりもあり、ルウは彼の意向を汲む事にした。
「それはお気遣い頂きありがとうございます。喜んでご馳走になりましょう」
「ではご案内致します! こちらへ!」
事前に命じられていたらしく、アレシア守備隊の隊長パトリス・ソランが敬礼をし、笑顔を見せる。
そして数人の騎士と一緒にルウ達を庁舎の食堂へ誘ったのである。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ではフランシスカ殿との再会とこれからの皆様の旅の安全を祈願して乾杯!」
「「「「「「「乾杯!」」」」」」」
アロイスによる手短な挨拶と簡潔な乾杯の音頭でささやかな宴が始まった。
風情がないとアロイスが言った庁舎の食堂ではあったが、城砦の兵士向けの食堂を大幅に改造したものであり、結構広いものである。
そして、まずまずの調度品も置かれて、それなりの体裁は整えられていた。
「済まない! 本当はこの町のホテルが良かったのだが……急な支度となると融通が利かなくてね」
アロイスの口調も徐々に砕けたものになっている。
ルウの人柄や妻達の爽やかな笑顔がこの上級貴族の気持ちを和ませていたのだ。
「ところで……先ほどは見苦しい所をお見せしたが、ブランデル殿の両親は息災なのかね?」
「伯爵、俺の事はルウと呼んで下さい。で、質問の答えですが俺の両親は誰だか分らないのです」
「誰だか……分らない?」
アロイスは訝しげな表情を見せるが、ルウは自分の生い立ちをあっさりと話した。
「はい! 俺は10歳の時に森で1人で居る所をアールヴに拾われて育てられました。何故かそれ以前の記憶が一切無いのですよ」
「……ルウ、君は孤児なのか?」
「さあ、親が居なければ孤児ということならば、そうかもしれません」
アロイスが見る所、ルウの表情に悲しさは窺えない。
「成る程な、それは辛かっただろう?」
「ご心配して頂きありがとうございます。ただ拾って育ててくれたアールヴが本当の肉親のように接してくれましたし、今はフランを始めとして素晴らしい家族や友人が居ますから幸せですね」
はっきりと幸せだと言い切るルウがアロイスには更に好ましく映った。
「旦那様は皆の力になってくれるのですよ、ね」
「ははっ、任せろ!」
思わずフランが甘えると、ルウはいつもの口癖で返す。
その口調を聞いたアロイスはひどく懐かしい感覚に囚われた。
亡き息子が朗らかな表情で自分に返してくれた言葉にとても良く似ていたからである。
「ル、ルウ! き、君は……ま、まるでラインハルトのようだ!」
「あら!? お父上様もそう思われますか?」
フランが少し驚いたような表情で問うと、アロイスは大きく頷いた。
「ああ、言葉だけじゃあない! 顔形は全く違うが……雰囲気が良く似ているのだ」
フランは初めてルウに会った時の事を思い出していた。
あの時、ルウが発したこの言葉に一瞬自分も亡き婚約者を思い出してしまったからだ。
「今夜はとても素晴らしい夜になりそうだ! 私は、う、嬉しいぞ!」
感極まって声が震えるアロイスはまるで亡き愛息と食事をしている感覚に陥ったようである。
「お父上様、もう1回乾杯しましょうか?」
今度はフランの音頭でエールが入った陶器のジョッキが合わされて、宴は再び始まったのであった。
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