第530話 「旅の始まり」
ヴァレンタイン王国王都セントヘレナ、ルウ・ブランデル邸、7月12日午前5時……
ルウ達はいつもより早く朝食を摂っている。
今日からいよいよリーリャの里帰りという名目でロドニア王国への旅行に出発するのだ。
昨日、『狩場の森』で行われた対抗戦には関係なかった妻達の手で旅行の準備は万全に整えられていた。
今回の旅は基本的に馬車で移動する。
ブランデル家の漆黒の馬車はナディアの父エルネスト・シャルロワ子爵が愛娘の結婚祝いに贈ったものであるが、家令のアルフレッドにより、数倍頑丈に強化され、様々な仕掛が施されていた。
車体にはルウにより浮遊の魔法が掛けられており、車道を浮いて走るので悪路でも車輪が破損する事はない。
国と国を結ぶ大きな街道と言っても整備されている道は少なかった。
大きな石がごろごろしているのは普通であり、馬車の車輪が壊れる事も多々あったのだ。
また外敵が襲った際に牽引する馬を含めた馬車ごと包み込む事が出来るのは、ルウが魔力を込めた魔法水晶から発せられる物理と魔法の攻撃に有効な万能性魔法障壁である。
ちなみに今回使う馬は通常の馬では無く、水の妖精の一種であるケルピーを飼い馴らしたものだ。
当然、彼等にはルウが擬態の魔法を掛けている。
一見した所、黒と白の精悍な馬2頭なのだ。
また普通の旅行用の馬車と違って食糧と水はそれ程積んでいない。
せいぜい3日分程度である
全員が特製である収納の魔道具を所持し、大抵の荷物はそこに収めているからだ。
付呪魔法を駆使し、魔道具を製作したのは当然ルウであった。
――30分後
朝食が終わり、妻達は各自が自室で支度をする為に慌しく戻って行く。
支度と言っても準備はほぼ出来ているので軽い化粧直しくらいではあったが。
そのような中、モーラルと一緒に食事の片付けをしているのはアリスに擬態したリーリャである。
「モーラル姉、私、ちゃんと片付けが出来ていますか?」
「ええ、ちゃんと出来ているわ。さあ、ちゃっちゃとやってしまいましょう!」
「はいっ!」
モーラルに促されてリーリャは素軽い動きで厨房へ食器を運んで行く。
王族なら決してやらない事をやっているリーリャではあったが、妻として初めて屋敷で働く事に喜びを感じている。
「わぁお! わぁお!」
アリスに成り切り、声をあげながら片付けをしているリーリャ。
それを見たモーラルは不思議そうに首を傾げた。
「いくら旦那様の変身魔法とはいえ、中身はリーリャなのに全く違和感が無いのは何故?」
「私は穢れなき清流の妖精グウレイグ、アリスよ! わぁお!」
「わぁおって……アリスとは感嘆詞が違うけど……まぁ良いか」
モーラルは苦笑しながらも、この可愛い妹分との触れ合いを楽しんでいたのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ルウ・ブランデル邸正門前、午前6時少し前……
馬車が停められ、その前にルウと妻達が整列している。
見送るのはアルフレッドとソフィアであった。
マルグリット・アルトナーの姿は無い。
ルウ達が暫く王都を留守にすると知ったアデライドがぜひ自分の屋敷へとマルグリットを望んだのだ。
「お気をつけて行ってらっしゃいませ」
「い、行ってらっしゃいませ!」
アルフレッドが深く頭を下げると、ソフィアも釣られて頭を下げた。
少しずつ慣れて来たとはいえ、まだ新人使用人の域を出ないソフィアである。
「ご主人様と奥様方がいらっしゃらないので、暫く寂しくなりますな」
アルフレッドがぽつりと呟いた。
かつてはレッドキャップと呼ばれた悪鬼も、今は剛毅且つ清廉な地の妖精として、ルウに対して忠実に仕えている。
そんなアルフレッドにルウは目を細めた。
「留守を頼むぞ、と言う所だが……たまには羽を伸ばして休めよ、レッド」
アルフレッドは主の気遣いに礼を言う。
「ありがとうございます! まあ私とソフィアは勿論、従士のおふたりとケルベロスも居ますから、しっかりと留守は守りますよ」
アルフレッドの言葉に頷いたルウは護衛に就いた2人の悪魔を振り返る。
既に2人ともケルピーに跨り、鋭い視線で辺りを睥睨していた。
今回、ルウ達の旅行に護衛として同行するのはバルバトスとアモンである。
その為に魔道具の店『記憶』の店番はフォラスが務めるのだ。
ちなみにルシフェルの忠実な部下であったストラスはルウの命令で宰相フィリップの護衛にあたっている。
これはアンドラスがバートランドでエドモンの護衛の任に就いている事と同じだ。
そしてアルフレッド達と一緒にこの家の留守番を務めるのは、今ここには居ないが、新たに鋼商会の顧問となったアスモデウスとシメイスである。
ソフィアは今回アスモデウスが旅に出ず王都に残ると聞いて素直に喜んだ。
アスモデウスの新しい『仕事』をソフィアは未だ知らない。
そもそもルウがアスモデウスにこの任務を与えたのは、悪魔として人間の女を不幸にして来たからだ。
アスモデウスが、その『業』を乗り越えた時にソフィアとの間柄も進展する筈だと、ルウは考えたのである。
「そろそろ出発だな」
腕に付けた携帯型魔導時計を見たルウがモーラルに問い掛けた。
「はい! フラン姉、皆を馬車へ……お願いします」
モーラルの指示を受けたフランは、にっこり笑うと他の妻達を誘い、馬車に乗り込んで行く。
妻達が馬車に乗り込んでドアを閉めると、ルウとモーラルは目で合図し合った。
2人は軽く跳躍すると、ふわりと身体を浮かせた。
そして馬車の御者台に着地し、並んで座ったのである。
ばう! ばう!
ケルベロスがルウを見送るかのように軽く吼えた。
ルウが従士である忠実な魔獣を見て軽く頷いた後に指をぱちんと鳴らす。
すると開門の魔法でブランデル邸の正門が音も無く開いて行く。
門が完全に開くと、まず最初にバルバトスがゆっくりとケルピーを歩かせ始めた。
それを見た御者台のルウもケルピーへ念話で出発するように命じる。
バルバトスを乗せたケルピーが先頭に立ち、ルウ達を乗せた馬車がその後をついて門を出て行くと、後方にはアモンの騎乗したケルピーが続く。
こうしてルウ達一行は屋敷を後にしたのである。
――20分後
一行はセントヘレナ北正門に到着した。
未だ朝でそれも時間が比較的早いので人影はまばらだ。
しかし黒髪で長身の優男、美しい7人の女達に加えて、馬に乗った逞しい男2人という組み合せは居合わせた人々の注意を充分に引いている。
ルウはそんな人々の好奇の目を背に受けながら出国手続きを済ますとモーラルが待つ御者台に再び座った。
「バルバ!」
ルウの声を受けたバルバトスのケルピーが先導し、一行はセントヘレナを出たのであった。
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