第53話 「黒幕」
転移魔法により召喚された地の女精霊ヴィヴィの先導で、ルウ達は異界を進む。
「急げ、ヴィヴィ!」
ルウは真剣な表情で精霊の少女に命じる。
地の精霊達が住む異界の壁は、様々な宝石や金属の鉱床で相変わらず美しかったが……
今の3人には景色を楽しむ余裕など無い。
何かにつけて絡んで来て、一家言あるケルトゥリも流石に静かだ。
やがて……
異界が目的地と繋がり、いつの間にか3人は地上に立っていた。
転移先はルウの指定通り、『古代遺跡』であり、確かに目の前にその建物はある。
その瞬間。
異様な魔力波が3人を包み込むように襲った。
そのおぞましさはけして人の物ではない。
そもそも、転移魔法を使用した際、狙われるとしたら……
目的場所に到着した瞬間なのである。
精霊は転移先の術者の安全を本能的に考えている。
敵の脅威が無い場所に連れて行くのが本来の役目だ。
しかし今回は精霊の力を超えた存在が待ち構えていた。
危険に最初に反応したのは、ルウ達をここへ連れて来たヴィヴィである。
精霊の少女は腕を左右に広げ、ルウ達を守るように、相手を睨みつけた。
その相手とは……
「ナディア!」
3人の視線の先に居るのは……ナディア・シャルロワであった。
ケルトゥリが自分の生徒の名を叫んだ。
しかし!
ナディアから発するおぞましい魔力波は最早、彼女の物ではなかったのである。
『はははははっ! この女の負の感情は心地良い! 寄り代としてもまあまあだ』
ナディアの口からは、低く重いしわがれた男の声が発せられた。
きゅっと唇を噛んだルウは、ナディアを見据える。
「やはり、悪魔か! ……しかもこの魔力波、小物じゃない」
ルウが呟く言葉を聞きつけたのだろうか、
『ナディアであった者』の口からは、さも面白そうな高笑いと言葉が発せられたのだ。
『ふははははははっ、そこの小僧! 我を何者か見破るか? 汝の魔力波もなかなか面白い。しかも……人にしては、凄まじき魔力量だ!』
ルウは悪魔の相手をしながら……
フランとケルトゥリを手で制し、下がるよう指示をした。
『ははは、女達を守ろうと言うのか? しかし無駄だ』
再び高笑いを発した悪魔は、何か呟くと、両手の指をフランとケルトゥリにぴたりと向けた。
『このヴィネの名において……汝の真名を我に知らせよ! その時から、汝は忠実な我がしもべとなる!』
悪魔ヴィネの恐るべき秘術……
人間は勿論、悪魔でさえ創世神より付けられし真の名前、『真名』というものが存在する。
真名とは、魂を全て示す言葉と言い換えても良い。
よって真名を知られる事は個人の根幹である魂を縛られ、自由を一切奪われる事に繋がる。
ヴィネは邪悪な力により人間の真名を読み取り自分の配下にする能力を有しているのだ。
ヴィネから言霊が放たれると……
フランとケルトゥリの瞳の焦点が失われ、顔から生気が無くなった。
あっという間に気を失い、地へゆっくりと倒れ込んだ……
「貴様……」
『ははは、悔しいか、小僧? 我が力は神が名付けた真名を読み取り、思うがままに操る。さあ次はお前だ。女共々、仲良く我の下僕となるが良い!』
『待て!』
『ん?』
驚いた事に!
今迄ひと言も喋らなかったヴィヴィが念話で言葉を発し、ルウと共に悪魔を睨み付けた。
『ほう! 地の女精霊か? だが下級精霊など用はない! 巻き添えになりたくなければ、さっさと立ち去るが良い!』
「黙れ! 木っ端悪魔! 私を高貴なる地界王、アマイモンの娘と知ってもそう言えるか!」
『な、何! アマイモンだと!』
驚いたナディア=悪魔ヴィネは……ヴィヴィを凝視する。
そして暫しの沈黙の後……
面白そうに笑いだす。
『はははははっ、確かにお前は地界王の娘! だが何故こんな人間に従っておる? ん?』
『うるさいっ! 何がこんなだ! 悪魔! ルウ様を侮辱すると許さぬぞ』
『ほう! 誰がどう許さぬのだ?』
『こうだ!』
ヴィヴィが叫ぶと……
大地から濃い魔力が立ち上った。
ヴィヴィは主を守る為、ヴィネと戦う気らしい。
『お前など……偉大なる地の魔力で粉砕してやる!』
『ほう、面白い! やるか小娘! 相手をしてやろう……』
戦いを挑まれたヴィネも、受けてたつ構えだ。
しかし!
『ヴィヴィ……俺は大丈夫だ……ここは任せてくれ』
ルウが静かに命じると、意外にも怒り心頭だったヴィヴィは素直に受け入れたのである。
『……ルウ様、ヴィヴィにこの場は退けと、仰るのですね? ……分かりました』
ヴィヴィはそう言うと……忽然と消え去った。
一方、ヴィネはヴィヴィが去る様子を見て、大きく頷いた。
『うむ! 我はお前をますますしもべとしたくなった! たかが人の身でアマイモンの娘を従えるとは!』
どうやらヴィネは、ルウに興味津々のようである。
しかしルウは苦笑し、首を振る。
『俺がお前のしもべ? まっぴらごめんだ』
『くくくく! 無駄だ! お前の魂にある真名がさらされれば……我に抵抗など一切出来ぬ』
ヴィネは面白そうに笑うと今度はルウを人差し指で差す。
『くくく、さあ、真名を教えて貰おうか?』
しかしルウは全く動じていない。
暫くして、ヴィネの声に疑問と動揺……
そして焦りが感じられる。
『な、何故!? 馬鹿な! お、お前の名が! お前の真名が読めんぞぉ!』
ヴィネは完全に動揺していた。
只の人間だと侮った相手の、真名が読み取れないという不可思議な事態に陥っているからだ。
真名を読み取りさえすれば読まれた相手は奴隷と化し、自分に逆らう事などありえないのだ。
『ははっ、どうした、お前の得意な技をやって見せろ? 人の真名を盗み読むという下衆な力を!』
『くくくう! 我が力はこれだけでは無いぞ! 嵐よ、来たれ!』
ヴィネが叫ぶと巨大な竜巻が現れる。
凄まじい魔法を目の当たりにしても……
ルウの表情は変わらない。
それどころか、口元には不敵な笑みが浮かんでいた。
やがて竜巻がルウを襲うが、彼は平然としている。
ルウの身体をずたずたに切り裂くはずの風の刃が全く彼を傷つけてはいないのだ。
ヴィネが驚愕の表情に変わる。
自分の発した風の攻撃魔法が届いていない。
攻撃魔法の無効化が起こっていた。
『ばばば、馬鹿なぁ!? わ、我が魔法を! むむ、無効化するとはぁ!』
目の前の人間は何者なのだ!?
繰り出す手段が、次々と封じられたヴィネは頭を抱えた。
『悪魔! どうせ、貴様は精神体をその娘に宿しているだけだろう?』
ルウは全てを見通したかのように、悪魔へ言い放った。
そして厳しい表情を浮かべ、ヴィネを睨みつける。
『お前みたいな悪魔が巣食った場合、寄り代には結構な負荷がかかる。俺の大事な生徒の身体に、これ以上万が一の事があってはいけない』
『馬鹿め! こんな女の身体などいくらでも替えが利く。例えば、そのふたりのどちらかでな』
寄り代としたナディアなど全く気にしないヴィネの言葉に対し……
怒りの感情からか、ルウの魔力が一気に膨れ上がった。
『やはり貴様達、悪魔は狡猾で残忍だ。いや……どうしてそうなったのだ?』
『な、何だ、人間!?』
ヴィネが驚くのも無理はない。
何と!
ルウの声が途中から変わったのだ。
一番最初の声こそルウであったが、全く別人の声に変わって行く。
『お前達は、使徒として最初は高潔だった筈。人の子を導く為、敢えて天から堕ちても良いと……自己を犠牲にした崇高な志はどこに行った?』
謎の声に聞き覚えがあるのだろうか……
ヴィネは完全に動揺し、傍から見てもはっきり分かるくらい恐怖に駆られていた。
『そ、そ、そ、そのお、お声はっ!? まさか! い、い、いや! 有り得ない! ああ、あの御方は! 冥界の最下層に魂も肉体も縛られている筈だっ』
耳を塞ぎ、謎の声を遮断しようとしたヴィネであったが、その行為は無駄となってしまう。
『ふ! 私が居なくなって自暴自棄になったのか? この愚か者が!』
『う、う、嘘だ! 我は騙されぬぞ! ははは、小僧! 決着をつけてやろう! 遺跡の中で待っている』
何とか気を取り直したヴィネは捨て台詞を吐き、逃げ去ろうとした。
だが!
寄り代としているナディアの身体が、金縛りに遭ったが如く動かない。
『く、くっ! き、貴様ぁ!!!』
『無駄だな……その娘の身体に束縛の魔法を掛けた。これ以上、彼女の身体に負担を掛けさせんと言った筈だ』
いつの間にか……
ルウはナディアの身体を縛り、身動き出来なくなる魔法を掛けていた。
それもヴィネと会話をしながら無詠唱で……
まさに底知れぬ力である。
ルウがずいっと前に出て、口を開く。
今度は本来のルウの声である。
『この場に居ないようだが、あと女性ふたり……貴様が捕らえているのか?』
『ぐうう! だ、だとしたら! どうする? 貴様ぁ!』
ヴィネの返事にルウの眼が細められ、顔が僅かに怒りで歪む。
ルウはぺろりと赤い舌で乾いた唇を舐めると……
またしてもや彼ではない声が、ヴィネに対し、容赦ない口調で言い放たれる。
『言うまでもない……万が一、女達の身に何かあったら……』
『な、何かあったら!? ど、どうする!』
『この私が、貴様の魂をばらばらに引き裂いて、永遠の虚無に還してやる』
『な! 何!?』
『魂を引き裂けば……不死である悪魔といえども2度と復活は出来ない。貴様は残滓となって、永遠の虚空の中を彷徨う、ふふふ!』
ルウでない人格は……
彼の顔を借り、狂喜をはらんだ表情で冷たく笑っていた。
どうやら悪魔も恐怖とやらを感じるらしい……
ルウの束縛の魔法に縛られ立ち尽くしたナディアの口から、霧の様な物体が溢れ出し、遺跡の方へと逃げて行く。
その行方を……
鋭い眼差しで追うルウは、いつもとはまるで違う、別人のような冷酷な笑みを浮かべていたのである。
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