第525話 「ロドニア王国対抗戦⑳」
『我ハ……シ、信ジナイ! 信ジナイゾ!』
オーガエンペラーは魂の会話――念話で呻く。
『オ前達、ヒ弱ナ人間ハ単ナル餌ナノダ!』
これは食物連鎖の上位者へ、もし知恵をつけたら絶対に言い放つ台詞である。
そんなオーガエンペラーの言葉を聞いたルウは苦笑した。
『ははっ、確かにな。さっきは俺も生徒へそんな話をしていたよ』
ルウは言うが、どうやらオーガエンペラーにルウの声は届いていないらしい。
最早、オーガエンペラーの言葉は自分の常識や価値観からしか語られないようだ。
『タカガ餌ニ! 餌ノ分際ノ貴様ニ力デ負ケルワケハナイ! オ前ノ魔法モ俺ニハ通ジル筈ガナイ』
吼えるオーガエンペラー。
しかしルウは平然としている。
『人間も魔物も知る事や学ぶ事をやめた者は基本的には同じだな』
まるで独り言のようなルウの言葉にオーガエンペラーはハッとした。
『ナ、何ガダ!?』
『事実を受け入れようとせず、信じたいものしか、信じない――それでは停滞してそこで終わりさ』
『ナ、何ヲ貴様! 我ガ愚カダト言ウノカ!?』
『そうだ! もう1回考えてみろ。確かに人の子はお前の餌だ。だが全ての餌がお前より弱いとは限らないぞ』
『煩イ! 黙レ! バエル様ハ我ニ力ヲ与エテクレタ! 王ニナレルト言ッテクレタノダ――餌ナド喰ウ! 喰ラッテヤル!』
バエルの力はこのオーガエンペラーを完全に洗脳している。
恐るべきは悪魔の紋章の力であった。
『お前は哀れな存在だ……しかしお前が食いたいからといって俺も生徒達も黙って喰われてやるわけにはいかないな』
『我は喰ウ、全部喰ウ、一切ヲ喰ウ!』
オーガエンペラーが唸るように本能の叫びを発すると、ルウはすっとオーガエンペラーの両腕を離す。
いきなり自由になったオーガエンペラーはぶるぶると身を震わせ、顔を左右に振った。
『お前の信じるものを全て俺にぶつけて来い。その上で冥界へ送ってやろう』
ルウがオーガエンペラーへ伝えた瞬間、沈黙の魔法も含めて全てが解除されたのであろう。
ご、あああああああああ!
いきなりオーガエンペラーが、咆哮する。
空気がびりびりと振動し、木々が怯えたように揺れた。
しかし!
オーガエンペラーが単なる『餌』と見下したルウは彼の正面に腕を組んで立っている。
さっきまでの穏やかな表情は笑みを浮べた不敵な表情に変わっていた。
はっきり言えるのはルウがこの凶暴な肉食獣に対して一片の怖れも抱いていない事である。
その事を本能的に察したのだろうか。
オーガエンペラーは、両手を左右に広げる。
そしてひと際大きく咆哮するとルウに掴みかかろうとしたのだ。
相手を捕まえ、身体の自由を奪ってその圧倒的な膂力で軽々と引き裂く。
単純ではあるが、殴殺するのと並び、この魔物が得意とする戦法のひとつであった。
強靭な肉体が持つ能力を生かしての攻撃だが、力と速度で相手を圧倒する者は力量が上の者には到底敵わない。
ましてやルウには魔導拳があるのだ。
ルウは僅かに身体を沈ませると鋭く右腕を一閃させる。
がら空きになったオーガエンペラーの腹にルウの拳が叩き込まれた。
肉を打つ重い音が鳴り響く。
「ガ……フ……」
オーガエンペラーが苦悶の叫びを発すると、ルウは軽くステップして後方に移動した。
何とオーガエンペラーは膝を折り、前のめりに崩れ落ちてしまう。
苦しい息の下からオーガエンペラーは相変わらず信じられないという表情で唸る。
「グウウウウ、ナ、何故ダ!? ワ、我ガ強キ肉体ガ!?」
「これこそが人の子が抗う技だ。俺達は単なる『餌』ではないのだよ」
「信ジヌ! 我ハ信ジヌゾ!」
「最後まで不幸な奴だ……」
ルウはぽつりと呟くと同時に詠唱を開始した。
それは先程、オーガエンペラーが聞いたのと全く同じ物だ。
「我は知る、風を司る御使いよ。その吹き荒ぶ烈風をもって我が敵を滅せよ。ビナー・ゲブラー・ルーヒエル!」
先程オーガエンペラーが弾き返したリーリャの魔法、風弾であった。
「馬鹿メ! ソンナチャチナ魔法ガ効クカ!」
嘯くオーガエンペラー。
リーリャの魔法を含めて3人の魔法使いの同時攻撃を受け付けなかった自信がそう言わせたのであろう。
だがルウの双腕から大気の塊が放たれると、比較にならないほど重い衝撃がオーガエンペラーの腹を襲った。
「ゴフウッ!」
大きく開けられた口から大量の息と同時に真っ赤な血が吐き出されると、そのままオーガエンペラーはどうっと地に伏した。
この時点で彼の意識は勿論、生命も既に無い。
ルウの強力な風弾がオーガエンペラーの内臓を瞬時に破裂させていたからである。
「魔法とは突き詰めれば魔力の質に他ならない。同じ風弾の魔力波でも術者が違えば全く違う威力になるのさ」
斃れて物言わぬ骸に対して、ルウはまるで生徒へ言い聞かせるように呟いたのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ジェローム・カルパンティエ達、ヴァレンタイン王都騎士隊の11名が現場へ到着したのは丁度、ルウがオーガエンペラーを倒した直後である。
巨大な骸の前に立っている、見覚えのある長身の無事な後ろ姿を認めた時にジェロームは大きく安堵の息を吐いた。
同時に彼の頭の中には可愛い妹が魂から喜ぶ姿が浮かび、杞憂に満ちた表情が微笑ましい表情に変わったのである。
「お~い、ルウ! 無事か?」
手を振り、呼び掛けるジェロームに対して振向いたルウはいつもの穏やかな表情であった。
「ああ、兄上。じゃなかったジェローム」
「俺の事を兄上と呼ぶなと言ったろう」
駆け寄ったジェロームは拳に息を吐いて怒る真似をする。
「ははっ、済まない」
笑顔で返すルウにジェローム達騎士は驚愕の眼差しになる。
目の前に斃れている巨大な骸が両国出場者が言っていた上位種の中の上位種である怖ろしい食人鬼――オーガエンペラーだからだ。
当然、ジェローム達は生まれて初めて見る相手である。
「ルウ……」
「ん!?」
「これ……お前が1人で倒したのか?」
「ああ、何とかな」
「何とかって……お前は……」
相変わらず穏やかな表情のルウにジェロームは改めて畏敬の念を抱いたのであった。
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