第522話 「ロドニア王国対抗戦⑰」
オーガエンペラーは何事も無かったかのように大きな欠伸をした。
そして魔法が当った辺りをぼりぼりと掻いている。
何という事か、3人の魔法使いの渾身の攻撃魔法が全くダメージを与えていないのだ。
だがこのチームの指揮官であるリーリャは、めげてなどいられない。
何せルウが自分の一挙一動を見守っているのだ。
夫の期待には充分な結果で応えたいとリーリャは決意していたのである。
「サンドラ! 火の壁を!」
「はいっ、リーリャ様! 天に御座します偉大なる使徒よ! その聖なる炎の護りを我に与えたまえ! マルクト・ビナー・ゲプラー・ウーリエル・ケト!」
サンドラ・アハテーの防御魔法が発動し、リーリャ達の目の前に凄まじい炎が立ち昇る。
高さはオーガエンペラーの身長と同じ5mはあるだろう。
リーリャ達を認めて、オーガエンペラーが迫って来るが、この火の壁に対しては躊躇する筈だ。
その隙にマリアナ達、2人の騎士が剣を突き入れ、怯んだ所へ至近距離からさっきの魔法を撃ち込めば良い。
今の魔法が効かなかったのは遠くから撃ったからであり、もう少し引き付けて撃てば魔法の威力も増す筈だとリーリャは計算したのである。
もし、それでも駄目だったら……
火の壁と岩の壁の効果があるうちに撤退するしかない。
そして魔法障壁に守られた待避所に避難してヴァレンタイン騎士隊の助けを待つ。
万が一ルウが加勢してくれない場合は、ここまで自分の指揮で部下達を動かさなければ、とリーリャは考えていたのである。
予想通り、オーガエンペラーは火の壁の手前で止まった。
よし!
今だ!
マリアナ・ドレジェルとエルミ・ケラネンが岩の壁を盾にして左右から素早く剣を突き入れる。
しかし2人の剣は岩を叩いたような衝撃を返した上に、あっさりと弾かれてしまった。
それどころか、剣を突き入れた2人の騎士の手は衝撃で痺れてしまい、掴んでいた剣を取り落とす始末だったのである。
「うぐ、な、何て! 固い!」「まるで、い、い、岩だ!」
ご、あああああああああ!
その時、オーガエンペラーが咆哮した。
至近距離での肉食獣の咆哮は人間を含め、獲物側からすれば恐怖以外のなにものでもない。
オーガエンペラーの咆哮により空気がびりびりと振動し、リーリャ達の聴覚が奪われてしまう。
その上、身構えていたロドニア選抜チーム数人の身体が竦んで動かなくなってしまった。
捕食者たる食人鬼の咆哮は彼等にとって有効な武器となっている。
身の毛もよだつ咆哮は、獲物である人間に恐怖を感じさせ、身体は本能的に動かなくなり、下手をすると全身が麻痺してしまうのだ。
「ああ、そ、そんな!?」「ああ、ううう……」
不幸にも身体が麻痺して、魂から絞り出すように絶望的な声をあげたのはエルミとサンドラである。
事前には相手の咆哮に負けまいと思っていても人間も所詮は捕食される動物なのだ。
「あああ、ど、どうしたら!?」
「く、ううう!」
頼みの2人が麻痺させられて動揺するラウラ、そして悔しそうに歯噛みするマリアナ。
そこへルウから声が掛かった。
「マリアナ、助けようか?」
「う、煩い! 立会人であるお前の助けなど無用だ! この大事な試合が反則負けになるだろうが!」
動揺しながらもきっぱりと断わるマリアナを見てもルウの穏やかな表情は変わらない。
そんなマリアナ達を尻目に食人鬼の最上位種オーガエンペラーはあっさりと火の壁を乗り越えて迫って来る。
それを見たラウラとサンドラも動揺する。
浄化の炎である筈の魔法炎が全く効かないのだ。
さっきの様子だとオーガエンペラーは目の前の岩の壁も簡単に破壊するであろう。
このままであれば……リーリャ達、ロドニア選抜の命は風前の灯である。
このような極限状態の中で皆を元気付け、必死にチームを立て直そうとするのは、やはり、指揮官であるリーリャであった。
「ラウラ、慌てないで! 落ち着いて私と貴女の魔法で再度、食人鬼の足止めを! マリアナ、エルミとサンドラを抱えて急いで後方へ撤退して下さい」
自分が残って部下を助けようとする健気なリーリャ。
優しい主君の言葉を聞いてマリアナはとうとう後方のルウに叫ぶ。
「私達を助ける為に我が身を、か!? 何と言う!? リ、リ-リャ様ぁ! お、おい! ルウ! お前、な、何故後ろでただ見ているだけなのだ!? 状況を良く認識しろ! 我々は今、危機なのだぞ!?」
さすがのマリアナも、もう強情を張るのは限界であった。
悲痛に叫ぶマリアナの声を聞き、それまで動かなかったルウの身体がふわりと舞い上がる。
彼が得意とする風の精霊魔法、飛翔だ。
「な!? と、飛んだ!?」
ルウが宙を舞う姿を初めて見たマリアナは驚きの余り大きく目を見開いた。
リーリャ達が見守る中、滑空するルウの身体は防御壁である岩の壁を楽々と越えると、迫り来るオーガエンペラーの前にすっと降り立った。
「リーリャ! 大丈夫か!?」
その時であった。
何かあったらリーリャ達を助けようと向っていた魔法武道部の面々が現れる。
リーリャの名を大声で叫んだのは部長のジゼルであった。
ジゼルは目の前の様子を見て状況を瞬時に理解したが、ルウに指示を仰ぐべく念話で呼び掛けた。
『旦那様! そいつは!?』
『詳しい話は後だ、ジゼル。まずリーリャ達を連れて一緒に撤退してくれ。こいつはただの食人鬼ではない危険な存在だ。俺が直接倒さないといけないのさ。全員で待避所まで下がるんだ』
『はい! 旦那様』
新たな相手が現れたのを見たオーガエンペラーは自分の存在を誇示する為か、また口を開け、咆哮しようとする。
「おっと……けたたましい騒音は勘弁して貰おうか」
ルウがぱちんと指を鳴らすと、何故かオーガエンペラーの口が開かず咆哮する事が出来なかった。
慌てたオーガエンペラーは口を押さえて唸るしかない。
この為にオーガエンペラーの注意が完全にリーリャ達から外れた。
今がリーリャ達を撤退させる絶好の機会である。
ジゼルと顧問のシンディ・ライアンが躊躇いもなく、走り出したのに勇気を得てシモーヌ以下の部員達もリーリャ達、ロドニア王国選抜のメンバーの下へ駆け寄った。
「ありがとう! ジゼル姉! シンディ先生!」
「礼は後だ! まずはこの場から撤退する。旦那様の指示だ。急いで待避所まで退くぞ」
シンディが騎士のエルミを、ジゼルが魔法使いのサンドラを背負った。
2人とも未だオーガエンペラーの咆哮で身体が麻痺しており、自由がきかないのだ。
「よし! ヴァレンタイン、ロドニア両国メンバー、撤退するぞ!」
「旦那様ぁ!」
ジゼルが叫んだ後にリーリャの切なげな声が尾を引いた。
「リーリャ、旦那様を信じよう。お任せするのだ!」
涙ぐむリーリャの肩をポンと叩いたジゼルは退くように促した。
そしてルウの方をちらりと見ると、全力で走り出す。
『邪魔ヲ、シオッテ!』
ジゼル達の姿が見えなくなってから、突然怒りの声がルウの魂に響く。
何とオーガエンペラーが念話を使ってルウへ話し掛けたのであった。
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