第513話 「ロドニア王国対抗戦⑧」
衝撃の発言をしたイネス・バイヤールの話は続いている。
「大きな街に住む人間は王都にしろ、バートランドにしろ、最前線に立つ者以外は地方の苛酷な状況を全く理解していない。先程のフルール、お前の物言いがその典型なのだ」
「私の……言った……事が……」
いつもは弁の立つフルール・アズナヴールではあるが、イネスの衝撃の発言により、すっかり戦意を喪失していた。
それほど彼女のショックは大きかったのである。
「私は王都から離れたとある、村の出身だ。その村の管理をする騎士爵の娘として生まれたのだ」
イネスはフルールから視線を外して遠い目をしていた。
今は離れた遠い故郷を思い浮かべているようだ。
「そんなに豊かでは無い村だ。生活の為の仕事は殆ど農業と牧畜。秋の収穫の規定量を王都に税として収め、余剰の食糧で何とか生活が出来ている」
いつの間にか、彼女達から少し離れた場所にルウが目を閉じ、腕組みをして立っている。
ルウが思うにイネスの話では彼女の故郷はあの楓村のような場所なのであろう。
「しかし村の周囲には凶暴な食人鬼を始めとした様々な魔物や獣が跋扈している。前触れなく奴等は人を襲い、攫ったり食い殺したりするのだ」
魔物は特に女性を好むとイネスは言う。
それは男に比べて組し易いという理由だけではなく、おぞましい理由があった。
魔物にとって性的な衝動のはけ口として使われるのと、身体が柔らかいせいか、餌として好まれるのだそうだ。
それを聞いた時、フルールだけではなく部員達全員が背筋に悪寒を感じたのである。
「分かるか? のんびりと無防備で農作業をしている時に襲われる恐怖が? いきなり攫われて犯されて喰われてしまうのだぞ」
相変わらず淡々と語るイネスの視線がもうフルールには耐えられなかった。
「や、やめて! もう、やめて!」
「耳を塞ぐなよ、フルール。現実を知らないで安全な場所から薄っぺらい感情論を振りかざす奴が私には許せないんだ。この際しっかりと現実を認識してくれ」
「あうううう……」
半泣きのフルールであったが部員達は誰もイネスを止めない。
特に王都騎士志望のシモーヌ、それにミシェルとオルガはイネスの言う通りにしっかりと現実を知りたいのである。
「地方の村にまで中央の騎士や衛兵は滅多に出張らない。王族や上級貴族の警護がある時くらいだ。しかし魔物は地方が圧倒的に多い。この意味が分かるか?」
「…………」
無言になってしまったフルール。
「ジゼル部長の前でもはっきり言っておきますけど……この国では働く者を守る、戦う者の義務が既に崩壊しているのですよ」
「……イネスのいう事は真実だ。耳が痛いがな」
ジゼルは辛そうな表情だ。
そんなジゼルを見て苦笑するイネスは、はっきりと言い放った。
「部長は軍を統括するカルパンティエ公爵の令嬢という立場上、詳しくは言えないでしょうが、王都や大都市に駐在する騎士や衛兵は地方の民の為には殆ど働かない。王や上級貴族の為だけに職務を全うしているのです」
だから、とイネスは言う。
「私達地方の人間は自分自身を鍛え上げて、己や家族、仲間を魔物の脅威から守っていかねばならない。当然奴等魔物に話し合いなど通じないし、素手などでは到底敵わない……となると剣と体術は勿論、更に才ある者は魔法を習得しようと必死に足掻くのさ」
ここまで話して「ふう」とイネスは大きく息を吐いた。
「……さっきの親友の話だが……今でもはっきりと覚えている。私が8歳の頃だ」
イネスの目が大きく見開かれる。
何か決意が篭もったような表情だ。
「農作業をする父の従士の傍で私と親友の女の子が遊んでいた時に食人鬼の大群がいきなり現れたんだ。従士は私を掴んで逃げた。従士は3人で逃げ切るのが無理だと考えたのだろう。残された親友は……奴等に捕まり、引き千切られ、あっという間に喰われてしまった」
イネスは唇を噛み締めている。
「私を連れて逃げてくれた従士は……その子の父親だったのだ……わ、私は、私は……その親子に助けられて今を生きているんだ」
魂の底から絞り出すような声で話すイネス。
実の娘を捨ててイネスを助けた男はイネスを彼女の父である自分の主に送り届けると、娘の仇を討ちに単身、食人鬼の大群に突っ込んだと言う。
慌てたイネスの父が残りの従士達と武装を整え、彼の後を追って現場に着いた時は食人鬼達はその場を引き上げた後で、犠牲になった親友の父親も無残な骸と変わっていたのである。
親友の父が倒した3匹の食人鬼の命と引き換えに……
イネスの見た所襲って来た食人鬼の群れはゆうに100匹を超えていた。
対してイネスの父達は総勢で10名ほど……到底敵う相手ではなく、父は非常事態を宣言し、村の門を閉めて村人全員で息を潜めて、食人鬼の群れが去るのを待ったという。
2週間ほど経ち、食人鬼の脅威が去った後で、イネスの父は改めて王都に救援を求めたが、黙殺されたそうだ。
幼かったイネスは非情な現実を知り、ある決意を固めたのである。
私は絶対に強くなり、自分でこの村を守る、と!
「今迄に父から受ける剣の訓練が厳しくて弱音を吐きそうになったり、魔法に対する私の未熟さを感じたりした時はあの日の親友の悲鳴を思い出すんだ。断末魔の悲鳴を、な。分るか、フルール。私の悔しさが?」
厳しい視線を受けたフルールは力なく項垂れてしまったのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
イベント会場から廊下に出たフルールは1人で泣いている。
イネスの凄惨な過去と非情な現実の中で生きようとする覚悟を素晴らしいと思うと同時に自分の薄っぺらさを感じてしまったのだ。
「あううう……それに比べて私は、私は……」
馬鹿で情けないという思いが、自己嫌悪の念が湧き上がって来る。
今迄自分の都合の良い事しか見たり、学んで来なかったせいで表面上でしか物事を捉えられなかったのだ。
だから魔物が可哀想などと、あんな下らない事を感情に任せて言ってしまった。
イネスはこう言いたかったのであろう。
貴女が学んだ書物という世界の中では攫われないし、食べられてしまう事もない。
現実を見て、学べと……
今迄信じていたものが壊れていく……
自我が崩壊して行く……
「ひっ!?」
そんな絶望感に囚われて泣いていたフルールが小さな悲鳴をあげた。
誰かが肩を優しく叩いた為である。
「だ、だ、誰?」
「俺さ、フルール」
「ル、ルウ……先生……」
悲しみに沈んでいたフルールが振り返ると、ルウがいつもの穏やかな表情をして立っていたのであった。
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