第503話 「モーラルの休日」
モーラルの毎日は忙しい。
本業といえる仕事はルウから依頼される影働きである。
加えて使用人達を束ねた屋敷の実質的な仕切り、他の妻達の身の上相談、ルウの従士である悪魔達との連絡役等、多岐に渡る仕事に忙殺されていた。
ブランデル家の家計の管理もモーラルの重要な仕事である。
大家族であるルウ達の生活費は元より、広大なブランデル邸の維持と管理に要する莫大な費用、王国に納める結構な金額の税金、アルフレッド達使用人の給与他がモーラルの指示により支払われていた。
家計を支える肝心の原資だが、ルウや妻達の持ち寄った金には殆ど手を着けていない。
当初はルウやフランから渡される魔法女子学園の給料とエドモン・ドゥメール大公からの祝い金で賄っていた。
しかしルウの従士である悪魔バルバトスの魔道具店『記憶』が開店してからは、共同経営者として、安定した莫大な収入が手に入るようになったのである。
開店初日で1日の売上げが金貨8,000枚を記録した『記憶』であるが、客足と売上げは以降、全く落ちていなかった。
週4日営業の店に関わらず、月の売上げが金貨約11万枚※にも達しているのである。
※金貨1万枚=1億円ですね。
販売商品に関しては、バルバトスが永年蓄財した古からの魔法使いの失われた秘宝が中心であり、仕入れにかかる費用は皆無に等しい。
仕入れ金額0という商売は利益も莫大な金額となるのが当り前だ。
総売上げから10%の税金、人件費、店の家賃及びメンテナンス費などの経費、及び孤児院等へも月に金貨1,000枚が寄付されており、それら全てを差し引いても利益が金貨9万枚にもなっていたのである。
結局、ルウ、モーラル、バルバトスの3者で話し合った結果、共同経営者として毎月金貨6万枚をモーラルを代表としたブランデル家が受け取る事になった。
経営者のバルバトスは金に全く執着しておらず、当初はモーラルへ利益を全額渡そうとしたが、残りの金貨3万枚はルウの他の悪魔従士達が人間界で暮らす生活費に充てる事にしたのである。
金貨6万枚を受け取る事になったモーラルは半分の3万枚をルウへ渡した。
そして1万枚をフランへ、残りの2万枚を生活費に振り分けたのであった。
――日曜日、ブランデル邸午前10時
そんな忙しいモーラルも今日は久々の休日だ。
勿論、夫のルウが一緒である。
「では皆様、行って参ります」
「「「「「いってらっしゃいませ!」」」」」
他の妻達や使用人達に見送られて2人は王都へ出掛けようとしていた。
「モーラル奥様、屋敷の事はお任せ下さい!」
家令のアルフレッドがひと際大きく声を張り上げる。
手を振って応えたモーラルは傍らのルウを促して一緒に歩き出した。
やがてかき消すようにいなくなった2人は転移魔法で王都のとある場所へ跳んだのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「やはり、旦那様は私の行きたい所をご存知ですね」
モーラルは嬉しそうに言う。
彼女が喜んでいるのはルウが魔力波読みをせずとも、モーラルの意を汲んで希望通りの場所へ来たからである。
2人が居たのは王都の書店通りであった。
王都の商館街区の奥に入った中の横道にある、この通りは20軒余りの書店が軒を連ね、子供向けの本から大人向けの本までこの大陸の殆どの書物が手に入る場所なのだ。
ルウもモーラルも書物が好きである。
その傾向はこの王都セントヘレナに来てからというもの、はっきりと現れていた。
読書とは様々な知識を得るだけではなく、一種の異界へその身を置く事だと2人は考えている。
書物を読み込めば、今住んでいる世界とは違う世界に暮らしたり、全く違う人物に成り代って、異なる人生を歩む事が出来るからだ。
「昨日はケルトゥリ様とご一緒だったようですね」
「ああ、彼女と昔話をしていた。お前も一緒だったらもっと盛り上がっただろうよ」
ルウの言葉にモーラルは曖昧な微笑で返した。
アールヴの里でのモーラルの想い出は決して楽しかったものばかりではない。
人間以上に嫌われた魔族の自分を里でも助けてくれたのはやはりルウであった。
ルウの執り成しとモーラルが里に貢献した事でアールヴ達はやっと彼女を認め、且つ受け入れたのである。
「ケルトゥリ様は?」
「ああ、昼間から飲んで食べて話して充分、満足したみたいだ。店を出たら俺に手を振るとあっという間に人混みに紛れてしまったよ」
モーラルにはケルトゥリがアールヴの里を出た理由が何となく分っていた。
ルウと一緒に居たモーラルは、姉のリューディアがルウの実力を素直に認めたのに対してケルトゥリは嫉妬したのを薄々感じていたのである。
加えて妹のケルトゥリは姉リューディア以上にルウへ特別な想いを持っていたとモーラルは思う。
ケルトゥリはその2つの相反する感情に責められて、我慢出来ずに里を出たのだ。
その後、バートランドにおいて冒険者稼業で暮らしを立て、現在は王都セントヘレナで教師をしながら、相当多くの事をケルトゥリは学んだであろう。
そしてルウに再会した時の彼女の気持ちは?
嫉妬が純粋な愛情に変わっているとしたら?
ルウに対する思いは更に深くなっているに違いないのだ。
まあ、良い……
ケルトゥリがルウと深く交わりたいと言い、ルウが彼女を受け入れれば、自分としては認めるだけだ。
2人は数回来た事のある書店に入る。
様々なジャンルの書物が書架に並んでいた。
紙とインクの独特な香りが鼻を衝く。
「旦那様……」
「ん?」
「私はアールヴの里、そしてこの王都に来てから多くの事を学びました」
にっこりと笑う可愛い妻にルウも笑う。
「よかったな」
「はい! 私はひとつ学ぶごとに、またひとつ人に戻れるような気がします。……気がするだけですけど、ね」
モーラルは手を伸ばすとルウの手を確りと掴んだ。
「当然旦那様が居なければ、私はそのような気持ちにはなりません。私にとっては旦那様が全てですから!」
甘えるモーラルにルウも言う。
「俺も同じさ! 俺は10歳までの記憶が無い。と、いう事は10年間俺とずっと一緒に居て俺を見て来たお前は俺の人生そのものだからな」
自分がルウの人生そのもの?
そう言われた瞬間、モーラルは涙でルウが霞んで見えた。
「旦那様! 私は……これからも貴方の人生そのものでありたい! そう仰って頂けるように従士として、妻として尽くして行きたいと思います」
ルウは黙って握った手をきゅっと握り返して来る。
モーラルもすかさず握り返した。
それは絶対ルウを離さないという彼女の意思そのものであったのだ。
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