第496話 「戦乙女達⑤」
「ホッとしました」
意味ありげなモーラルの笑顔にラウラは怒りも忘れて戸惑う。
「な、何が……」
「うふふ、後でお話します。……それよりラウラさん、私が夢魔モーラという事はご存知ですね?」
モーラルが安心したと言う原因とは何か?
具体的に聞こうとするラウラを軽くいなしてモーラルは自分の正体を知っているか、と問う。
ラウラはとりあえず自分の質問を引っ込めて、肯定の証に小さく頷いた。
ルウの弟子になってから、皆との距離も縮まると、ラウラはルウ達の内情もある程度は告げられていたのである。
「ええ……確か魔力を糧とする吸血鬼……ですね」
「そうです。貴女に詳しくはお伝えしていませんでしたが、私の両親は人間なのです。それが事もあろうに、私は魔族のモーラとして生まれてしまいました」
「…………」
ラウラは言葉を失った。
さすがにこれはラウラにとっては衝撃の事実であった。
人間の両親から生まれた魔族……そのようなありえない、そして不幸な事実があっても良いのだろうか……
そんなラウラの思いを知ってか知らずか、モーラルの告白は続いている。
「私の不幸の始まりはその呪われた生を受けた事、そして実の父親の裏切りでした」
「え!?」
「私が8歳になった時でした。人の子として母が密かに育てていた私の正体が……夢魔モーラだという事がとうとう元冒険者の父親に知られました」
モーラルはふうと、息を吐く。
「元魔法使いの母は自分の魔力を私に与えて優しく育ててくれました。自分の娘が夢魔だなんて恨み言は一切言わずに……だけどある日、父が気付いてしまったのです」
モーラルの父は粗暴で自分の事しか考えない自己中心的な男だったらしい。
「父に知られればそうなる事を母は予想していたようです。だから隠していたのです……案の定、父は私達を守るどころか、自分の身に害が及ばないように母が魔族に身を任せたという偽りの申し立てを創世神の神託所に行い、激高した司祭や村人達の先頭に立って私と母を殺そうと迫ったのです」
実の父親が自分の子供を守るどころか、偽りの告発をして妻共々処刑する……まるで悪魔のような所業である。
ラウラは思わず両手で顔を覆った。
「酷い……」
危く嬲り殺しになりそうな所を逃げおおせたモーラル母娘は人も入らない森の中に逃げ込んだと言う。
「私と母は深い森の奥でやっとひと息つく事が出来ました。ですが着の身着のままで逃げたので手元には何も無く、母の魔法に頼って細々と生きる、辛い生活が続きました」
しかし苛酷な運命は不幸な母娘に対して更なる試練を与えたのである。
「数ヵ月後、飢えと病気で母があっけなく死に、1人では魔力を補えない幼い私もやがて森の中で力尽き倒れました……私は本来その時に死ぬ筈だったのです」
ルウがモーラルを助けたと、ラウラもそれだけは聞いていた。
そこで思わず叫んだのである。
「……でも貴女は助かった! いいえ、助けられたのね!」
ラウラの叫びに呼応するようにモーラルが叫ぶ。
それはまるで魂の叫びのようであった。
「そうです! ルウ様が! 旦那様が助けて下さったのです。師の反対をも押し切って!」
「師!? 師匠?」
「そうです。あの方が敬愛してやまないアールヴのソウェル、シュルヴェステル・エイルトヴァーラ様の激しい反対を押し切ってです。僅か10歳の子供のあのお方が!」
「モ、モーラルさん、貴女!?」
ふとモーラルの顔を見たラウラは吃驚した。
モーラルの双眸から大粒の涙が溢れ出ていたのである。
「私は今でも覚えています……薄れ行く意識の中で激しい口論が聞えていました。あの方は御自身の命の恩人とも言えるシュルヴェステル様に初めて逆らったのです。そして師が止める間も無く、私の手を掴むと自らの心臓に当てて魔力を与えてくださったのです」
その瞬間であった。
倒れていたモーラルを即座に夢魔と見抜いて叫ぶ、幼いルウ。
師であり、親代わりのアールヴの強硬な制止を振り切って小さな魔族の女の子を助ける少年の日の彼の姿がラウラの魂にも鮮明に浮かんできたのである。
「ルウ様に命を助けて頂いた私はその日以来、あの方に従士として、忠実なる魔族の従士として付き従って来ました。人としての日常を神様に奪われた私が、ルウ様からは魔族としての日常を与えていただいたのです」
モーラルはそう言うとゆっくりと首を横に振った。
「しかし……今の私はまた非日常の生活をも送っています。魔族の夢魔である私が、人であるあの方の妻として生きて行くという非日常を……」
それは……どういう事であろうか?
ラウラにはモーラルの言う意味が理解出来なかった。
「そ、それは違います! モーラルさんは自ら幸せを掴んだのですよ、愛するルウ様に妻として愛されたのですよ!」
幸せを掴んだ、と叫ぶラウラを見てモーラルはやはり首を振ったのである。
「いいえ、私はまず魔族の従士と言う日常での生活に充分満足しています。旦那様の妻と言う非日常の生活はあくまでも付け足しです。決して当り前の事だとは思っていません」
「魔族の従士として仕えるのが日常での生活で当り前!? な、何故ですか?」
「それが私の本来の役目だからですよ。旦那様の役に立って感謝されるのが、助けて頂いた時に誓った私の日常の幸せ。だから妻として愛されるのはイレギュラーな私の非日常の幸せなのです」
ラウラを見詰めながら唄うように言うモーラルの言葉に彼女はピンと来た。
「モーラルさんはこの異界でルウ様や貴女方と訓練するのも当り前では無くイレギュラーな非日常と言いたいのですね」
「そうです。貴女だって私と出会った頃と比べれば魔法使いとして立派に成長しているのですよ。ヴァレンタイン王国へ来る前、最初に立てた貴女の目標を思い出して御覧なさい。ご自分で思い描いた素晴らしい魔法使いになってゆくゆくは祖国ロドニアの役に立つという事でしょう? それが貴女の日常なのです」
「私の日常……確かに!」
モーラルに自分が立てた目標を言い当てられたラウラは改めて実感している。
周囲のレベルが高すぎて分らなかったが、今の自分はロドニアに居た頃とは段違いの実力をつけているのだ。
「ラウラさん、貴女は魔法一筋の人生を送っていらっしゃったけれども、人として健やかに生まれ、そして育ち、まだまだ伸びる可能性のある素晴らしい魔法の才能も持っている」
「…………」
モーラルの言葉には僅かだが羨望の響きが篭もっている。
またもや無言になったラウラにモーラルは微笑む。
「そしていつか愛する人と巡り会い、愛しい子を産む可能性もある――それが貴女の日常、なのです」
「愛する人? ……私にとって愛する人とは1番尊敬出来る人……それって、ルウ様?」
頬を赤くして呟くラウラの独り言が聞えなかった振りをしてモーラルは話を続けた。
「まず今のこの世界での状況は非日常であり、決して『当り前』の事ではありません。どうでしょう? 貴女が現在、当り前だと思っている事、全てを見直してみて下さい」
「た、例えば!? お、教えて下さい!」
当り前だと思う事――答えを願うラウラに対してモーラルはゆっくりと子供に諭すように言う。
「人の子である事。普通に見る事、話す事、聞く事、そして歩く事。このような事から始まって挙げればきりがありません。当然、魔法が使える事も含みますね……貴女が私の様な魔族だったら? 当り前に出来るこれらの事がもし一切出来なかったら? ……そう考えてみて下さい」
モーラルの話す内容にラウラは思い切り大きく目を見開いた。
そして納得したように大きく頷いたのである。
「どうやら私の言う意味に気付いたようですね。当り前の事が自分にある、そして当り前の事が出来る幸せ。それを分かって欲しいのです。恵まれた他人の境遇や才能を逆に励みにする事は良いと思いますが、気力を失くしたり絶望して死にたいなんて……私から言わせて貰えば馬鹿げています」
辛い境遇でも前を向いて生きようとするモーラル。
ラウラはそんなモーラルの生き方と彼女が発した言葉に刺激されて自分も頑張ろうと鼓舞されたのだ。
「ちなみに私だけでなく他の妻達の境遇も貴女は聞いているでしょう? で、あれば単純に羨ましいとは思わない筈です」
ラウラはモーラルにそう言われて親友となったフランから聞いた話を思い出した。
彼女は12歳の時に婚約者と死に別れ、ずっと魂に傷を負って生きて来たのだ。
自分を護る為に死んだ、婚約者の優しい笑顔と言葉が思い出されて、自分は絶対に幸せになってはいけないと思い込んでいたのである。
ルウと出会い、愛し愛されて今は幸せだが、その婚約者の事は一生忘れずに背負って行くと言っていた。
ラウラから見れば、元の婚約者の事など早く忘れれば、とも思ったが、それがフランなりのけじめなのであろう。
他の妻にしてもそうだ。
ナディアは悪魔に殺されかけ、ずっと後遺症に悩んでいたそうだし、その悪魔が何とルウの従士となったので辛いトラウマを乗り越えたという。
またオレリーは身分の違いから他の妻に対してのコンプレックスを持っていたらしい。
自分の場合は多少の苦労はしているが、そのような経験もせず王宮魔法使いまで登りつめた。
リーリャという可愛い弟子にも恵まれ、それが当り前の日常として自分には存在するのだ。
じっと考え込むラウラをモーラルは慈愛の眼差しで見詰める。
「最初に話が戻りますが、私は逆に安心しました」
「へ!?」
驚くラウラに対して今度は悪戯っぽく微笑み掛けるモーラル。
「普段は凛としたラウラさんも普通に悩む、生身の女だったという事です」
「私が普通!? 生身の女!?」
モーラルの指摘に吃驚するラウラだが続いての彼女の問いには更に驚いてしまう。
「うふふ、貴女はその様子では旦那様に悩みを相談した事など無いでしょう?」
「ルウ様に!? あの方はあくまでも魔法の師です。それに主筋のリーリャ様の夫となられる方、私如きのくだらない悩み相談など出来ません!」
思わず本音で叫んだラウラ。
しかしラウラは信じられない言葉を聞く。
「ラウラ! 何を変に遠慮している。悩みや愚痴ならいつでも何でも聞くぞ!」
「え!? ルウ様?」
いつの間にか師匠のルウが傍に居て話を聞いていたのである。
こうなるとラウラはとても気になる事がひとつあった。
「ルウ様、……もしかして『さっきの』を聞いていました?」
「ああ、私にとって愛する人とは1番尊敬出来る人って奴だろう?」
「あわわ!」
ズバリと正解を答えるルウに、ラウラは真っ赤になって俯いてしまったのであった。
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