第483話 「ルウと宰相フィリップ①」
ヴァレンタイン王国王都セントヘレナ、王宮宰相執務室、木曜日午後8時50分……
宰相フィリップ・ヴァレンタインはルウに関する資料を読み終えた後、腕組みをして目を瞑りながら待っていた。
間も無くルウと接見の約束の時間である。
要らぬ諍いを起さぬ為に護衛の特務隊や騎士達は部屋から遠ざけてあった。
しかし何とも不思議な方法でルウは連絡をして来たのだ。
ジェラール・ギャロワ伯爵と会見後、フィリップが執務室で公務をしながら昼食を摂り終えた時であった。
気が付くとフィリップの机の片隅に一通の手紙が置いてある。
宛名はフィリップだが彼には見覚えの無い筆跡だ。
このような手紙はいつもなら護衛についた特務隊員に開けさせる所だが、不思議な事にフィリップに警戒心は起きなかった。
何故ならば裏を返すと差出人はルウ・ブランデルとなっていたからである。
封を開けて、一読したフィリップは思わず笑いそうになる。
ちなみに手紙の内容は下記の通りであった。
フィリップ・ヴァレンタイン殿下へ
お忙しい中、急ではありますが、本日午後9時に参上致します。
当方、美味い紅茶と焼き菓子の用意あり。
了解されたならば、殿下の署名を記し、この手紙を机上に戻されたし。
ルウ・ブランデル
フィリップは笑みを浮べながら、署名をした手紙を机上に置いた。
すると手紙はあっという間に消え去ったのである。
どうやらルウが引き寄せの魔法を使ったらしい。
「ふう、この王宮には一応攻撃と侵入防止の魔法障壁が掛かっているのだがな」
フィリップは肩を竦めて呆れたように呟いたのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
これより時間は遡って数時間前……
ルウからの手紙が返送された後にフィリップは改めてルウに関して調査したいくつもの資料に目を通している。
これらは全て内務省特務隊が纏めたものだ。
異形の怪物によるフランシスカ・ドゥメール襲撃事件、護衛の騎士殺害と彼女の救出。
ジゼル・カルパンティエ、ナディア・シャルロワとの狩場の森での対決――その後2人との不可解な結婚。
ダニエル・アルドワン侯爵によるジェラール・ギャロワ殺害未遂事件。
あくどい奴隷商人の謎の自首。
大量発生したゴブリンの楓村襲撃に際して見せた圧倒的な戦闘力。
そして今回のヴァレンタイン、ロドニア両国を巻き込もうとした悪魔とアッピニアンの暗躍。
恐るべき魔族である悪魔の出現という事実、そして赤い魔導書を探し求める謎の組織の発覚。
不可解だというように眉を顰めたフィリップは別の資料に目を通した。
『黒鋼』と呼ばれる戦場の英雄ジーモンとの対決。
バートランド冒険者ギルドのサブマスターであり、『炎の飛燕』と呼ばれる魔法剣士ミンミ・アウティオとの対決。
――その2人を軽く子供扱いした恐るべき実力。
そして別の資料にも様々な報告が記されている。
アールヴの伝説のソウェル、シュルヴェステル・エイルトヴァーラに育てられ、後継者に指名されながらも辞退した男。
謎めいた強力な従士達を従える男。
悪逆な街の愚連隊、蠍団全員が謎の失踪を遂げた時に噂された男。
そうかと思えば愚連隊『鉄刃団』を『鋼商会』として見事に更生させた男。
当然、魔法女子学園での授業の様子の報告書もあった。
彼が発動する驚くべき魔法の数々に生徒達も引っ張られ、魔法女子学園2年生全体のレベルも急速に上がっているらしい。
「ふむ、本当に不思議だ。これだけの力を持ちながら何故?」
思わず独り言ちるフィリップ。
「特に今回のロドニアの一件で決定的だ。彼は力を己の為に一切使ってはいない」
先日、人払いをさせてバートランド大公エドモン・ドゥメールと王宮で話した時もそうであった。
エドモンは普段の厳しい表情がルウの事になると好々爺に変貌したのだ。
「それにだ。あのエドモン様があれだけ惚れ込むとは、な……」
呟いたフィリップの背後に誰かの気配がする。
「誰だ!?」
振り返ったフィリップの視線の先には茶色の革鎧を纏った1人の愛くるしい少女がお辞儀をしていた。
その小柄な身体からはとてつもない魔力波が放たれている。
しかしフィリップは何か違和感を覚えた。
「貴女は……」
人間では無い、という言葉をフィリップは慌てて飲み込んだ。
「殿下……」
そんなフィリップに若い男の声がゆっくりと掛けられた。
若い男=法衣を纏った長身で痩身、黒髪に黒い瞳――彼が!?
「君がルウ……ブランデル、か」
「はい、俺がルウ・ブランデルです」
ルウはフィリップにいつもの穏やかな表情で返す。
ぞんざいなルウの言葉遣いは王族に対して不敬にあたり、到底許容出来るものではない。
しかしフィリップにルウを咎める気持ちは起きなかった。
これは先程の『手紙』と全く同様である。
身分の垣根を越えて、何故か人を和ませる、ルウにはそんな不思議な雰囲気があった。
こうなると違う意味でフィリップにも遠慮は無い。
「ははは、私が思っていたよりも……華奢な男だな」
「はい、良く言われます。ではお茶の用意を……」
ルウがパチンと指を鳴らすと左腕に装着された腕輪が振動し、何かが飛び出して来た。
執務室の応接のテーブルに現れたのは……
華美では無い白磁のポット1つに、同じ素材のソーサー付きのカップ2つが載っている。
「ほう、素朴でシンプルなデザインだ」
「俺が好きなものをお持ちしました」
フィリップが見る限り、今夜のルウに相手を持て成すという意思は無いらしい。
持て成すと言うよりは飾らない自分を見て欲しいと言う趣旨のようだ。
しかしそれが誤解であるのをフィリップは身を持って知る事となった。
「おお、これは美味い!」
「余り高価な茶葉ではありませんが、殿下のお口に合いましたか?」
「おお、こんな美味い紅茶は飲んだ事が無い」
ルウは続いて指を鳴らすと、今度は焼き菓子が入った包みが飛び出す。
「成る程、君も甘党か? 立場上、私だけでは市民に評判の有名な店へは中々食べにいけぬ」
どうやらフィリップは金糸雀を知っているようだ。
彼は人懐こそうな笑顔を見せ、ルウに対して改めて握手を求めて来たのであった。
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