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第469話 「マチュー・トルイユ子爵顛末記」

 マチュー・トルイユ子爵邸大広間、火曜日午前7時……


「ご主人様! ファブリス坊ちゃまが部屋に見当たりませんが!」


 現在トルイユ家は朝食の時間である。

 息子のファブリスが起きて来ないので様子を見に行った召使いが大きな声で報告するのを聞いてマチューは眉をひそめた。


「ううむ……ファブリスめ。ウジェニー、お前は知らないか?」


「大丈夫よ、どうせまた夜遊びしに行ったんでしょう?」


 紅茶を飲んでいたトルイユ子爵夫人ウジェニーはいつもの事だと言うように平然と返した。

 彼女の顔には息子を心配するような感情は浮かんでいなかった。

 それどころかウジェニーはとんでも無い事を言う。


「ねぇ、貴方。ミグラテール商会のあの人は来ないのかしら? 私、もうお小遣いが無いのよね、あの人お金払いが良いから好きよ」


 妻の露骨な発言にマチューは呆れ、思わず舌打ちをした。


「馬鹿! 使用人が居る前でその話をするな! 何を考えているのだ」


 しかしウジェニーは夫の叱責にも全くひるまなかった。

 夫婦の溝は相当深いらしい。


「馬鹿とは何よ! 私をずっと放置して……どうせ貴方は外に女が居るのでしょう? 私も好きにしないとやっていられないわ!」


「馬鹿を言え! 私は出勤するぞ!」


 マチューは妻の相手をするのがだんだんと嫌になって来たらしい。

 その雰囲気を察してか、ウジェニーも決定的な事を叫ぶ。


「いっその事、私と別れて下さい! 慰謝料さえ充分に頂ければファブリスの親権などと言いませんから!」


「黙れ! 別れるなどと言っても私はびた一文慰謝料など払わんぞ!」


「ううう、もう嫌! こんな生活!」


 ウジェニーが泣き崩れるのも構わず、マチューはさっさと出掛けたのであった。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ヴァレンタイン王国は独特の中央集権体制を敷いている。

 全ての貴族には領地が与えられず、働いた対価は王家から俸給で支払われていた。


 いわば兵農分離という事だ。

 数世代前の王が定めて実施した、特定の貴族が経済力や軍事力を持ち過ぎる事を防ぐ為の国策である。


 そのような王国の方針に基づいて中小貴族が務める地方官吏はいわば代官のような役割を果たしていたのだ。

 これは辺境伯と呼ばれる地方の上級貴族でも変わらない。


 その中でもバートランドは特別都市として唯一の例外と位置づけられている。

 元は王都であった経緯からドゥメール公爵家が代々治めているのだ。


 ちなみにマチュー・トルイユ子爵はヴァレンタイン王国地方都市監督庁の役人である。

 地方都市監督庁とは王国内の中小の町や村を管理する役所であり、主な仕事は王国の中央の各省庁と地方官吏との繋ぎ役を務める事だ。


 繋ぎ役とはいわば何でも屋である。

 税金の相談から、公共事業の斡旋まで様々だ。

 この為にどうしても癒着が生じやすいので地方都市監督庁では2年に1回は担当地区を変更する等の措置を講じてはいるが、完全には無くならなかった。

 いわばいたちごっこの状態だったのである。


 これに対して王国も手をこまねいていたわけではない。

 特に役人の汚職を嫌う国王の実弟フィリップにより内務省特務隊が設置され、騎士が当たれない王家の特別警護という本来の任務の他に、役人の汚職の実態調査及び粛清などを担わせたのだ。

 事実、少しずつではあるが、その効果は上がりつつあったのである。


 そんな中でマチューは用心深く事を行っていた。


 自分が直接対応すると尻尾を掴まれると危惧した彼は代理の人間を使ったのである。

 それは、現鋼商会カリュプスかつての鉄刃団アイエンブレイドの競争相手としてしのぎを削っていた愚連隊、鉤爪団タロンであった。


 この日も仕事が終わった後、地方都市監督庁を出たマチュー。

 彼は馬車を降りると尾行を気にしつつ、目立たないように、とある1軒の居酒屋ビストロに入って行く。


 裏通りに入った目立たないこのこじんまりした店は愚連隊、鉤爪団タロンの経営する店である。

 マチューは人目を避けてここを繋ぎ場所として使っていたのだ。


 2階の奥まった個室が彼等との密会場所である。

 マチューがノックをした。

 中から低い声が合い言葉を言う様に求めて来る。

 これはいきなり手入れを喰らわないようにする用心だ。


 マチューが合い言葉で返すと中から入室を許可する声が聞こえたので、彼はドアノブを回してドアを開けるとするりと中に滑り込んだのである。

 対峙するのは椅子に座った中年の男とそれを守るかのように左右に控えた2人の男、計3人であった。

 そのうち真ん中の椅子に座った男がマチューに話し掛ける。

 どうやらこの男が首領らしい。


「良く来たな、子爵」


「ああ、サデーロ。息子は来ていないようだな」


「ファブリスか? いや見ていないな」


 元々、鉤爪団タロンは息子のファブリスが配下として抱えていた愚連隊である。

 息子が自分の犯罪のやり方を自慢した際に父のマチューが自分も彼等を使いたいと申し入れたのがきっかけであった。

 まさに子供が子供なら親も親である。


「早速、話に入ろう。先月は結構稼げただろう」


 マチューがにやりと笑うと同じ様に首領のサデーロも笑った。

 稼げた……とは便宜を図る窓口として地方官吏や商人から賄賂の受取をしてという意味であろう。


「ああ、金貨にして約1,000枚……結構な事だ」


「ではいつも通り、お前達の取り分3割の手数料の残り、700枚を今夜遅くに私の屋敷へ目立たぬように届けておいて貰おうか?」


 マチューが取り決めをしようとするとサデーロが待ったを掛けた。


「……相談がある」


「相談?」


 訝しげに返すマチュー。

 それを見たサデーロはきっぱりと言い放つ。


「ああ、相談だ。他でも無い、俺達が直接やばい橋を渡っているのにあんたはいつも安全な所でぬくぬくしている。そこが少し不満でな」


「やばい橋? 何を言っている。それなら私も同じだ。段取りをつけるまでが大変なんだ」


「それにしても俺達の取り分が少な過ぎる。こうしないか? 5割なら文句は無い」


 あからさまな手数料割り増しの要求である。

 それも3割から半分の5割への大幅なアップだ。


「5割? 馬鹿言うな。私の取り分から更に各所に流さなくてはならない金もあるんだ」


「そんな事は関係無いな。もし断るって言うのなら、俺達は今迄の事を衛兵隊にでも密告して地下に潜るぜ」


 しかしマチューも肝が据わっていた。

 こうなる事も予想して手を打っておいた様子である。


「要求は一切飲めんな。そんな事をして逃げようとしてもお前達の逃亡先は全て私が調べ上げている。そうなればお前達も一蓮托生だ」


「て、てめぇ! 何だと!」


 思わぬ反撃に驚くサデーロ。

 その瞬間であった。

 マチューの魂に聞き覚えのない若い男の声が響いたのである。


『お前に最後の機会チャンスを与えよう。……反省して罪を償うか?』


 いきなりの問い掛けにマチューは戸惑った。


『は!? 貴様は誰だ? 何を言っているのだ?』


『もう1回聞こう。今迄やって来た汚職の数々……認めて反省し罪を償うのなら助けてやろう』


 自省をしろという声らしいが、そんな事はマチューにとって糞喰らえという心境である。


『反省? 償う? そんな事はしない!』


『そうか……息子共々、馬鹿な奴だ』 


 男の呟きにファブリスが所在不明となったのも関係があるのではという思いがマチューにはぎった。


『ファブリスが馬鹿だと!? 貴様、息子に何をした? この馬鹿野郎!』


「お前は最低の馬鹿野郎だ! 使い捨ての駒だよ」


 何とマチューは現実でも鉤爪団タロンの首領サデーロを更に罵倒してしまったのだ。

 部下の目の前で罵倒されたサデーロは怖ろしい形相でマチューを睨みつけている。

 このような人種の男達は面子を潰されるのを1番嫌う。

 サデーロが怒り心頭に達している事は間違いが無かった。


 ハッと気付いたマチューではあったが彼の悪口雑言は止まらない。


「私は選ばれた貴族さ。お前達みたいな人間のゴミ屑とは違う!」


「き、貴様! 言わせておけば」


「いざとなればお前達に罪を被せて私はしっかりと逃げきれるのさ! ははははは!」


 ば、馬鹿な!

 私は何故こんな事を喋る!


 不思議な事にマチューの意思とは関係ない言葉が次々と出て来るのだ。

 しかしこれらはマチューの本音とも言える。

 怒りに耐え切れなくなったのか、ついにサデーロの左右に居た男達が剣を抜いた。

 刃が魔導灯の明かりを受けてぎらりと光る。


 うわあああ!

 やめろ!

 私を殺さないでくれ!


 そんなマチューの魂の叫びは当然男達には届かない。

 まるでスローモーションのように男達が突進してマチューにぶつかった瞬間、彼は腹に激しい痛みを感じる。


 マチューの意識はもう2度と戻れない遠い奈落の底に沈んで行ったのであった。

ここまでお読み頂きありがとうございます!

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