第453話 「夢という名の異界①」
ジェラール・ギャロワ邸、ジェラール寝室、日曜日深夜……
ルウとジョゼフィーヌが遊びに来た日の晩であった。
自分の本心を曝け出してすっきりしたジェラールは気分良く眠っている。
そして……
ジェラールの魂は今、自らが作り出した異界に存在していた。
彼の周囲は美しく深い森である。
林立する木々は青々と茂り、密集した葉に邪魔されて見通しは良くなかった。
そこにジェラールは1人で無防備に立っていたのである。
「親父さん」
ジェラールの背後から聞き慣れた声が掛かる。
振向くとそこには彼の見知った黒髪で長身痩躯の青年が1人立っていた。
いつもの穏やかな表情で立っていたのはルウであった。
ジェラールの不安な表情が安堵のものに変わる。
「おお、婿殿ではないか! 何故このような所に? そしてここは一体どこだ?」
「ああ、俺達が今居る世界は異界……分かり易く言えば親父さんの夢の中さ」
「な、何!? 私の……夢の中?」
夢と言われて驚くジェラールにルウは簡単な説明をした。
「ああ、夢とは人の魂が作り出す異界……偽りなく本音で語り合える世界なのさ」
「偽りなく本音で語り合える世界?」
ジェラールが繰り返すと、ルウは頷いて問い掛けた。
「親父さんは俺との約束を覚えているかい?」
「あ、ああ確か……現実でも夢の中でも今の気持ちがぶれないように行動する……だったな」
ジェラールはルウとの奇妙な約束を覚えている。
それはとても不思議な謎掛けのようなものだったからだ。
「ははっ、その通り! ここは夢の中という異界……現実の世界では無い。だが現実であろうがなかろうが、親父さんの気持ちがぶれないように行動して欲しいんだ」
「む、婿殿!? それはどんな謎掛けなのだ? い、意味が分からんぞ!」
「深く考えずに今の言葉だけ親父さんの魂に刻んでおけば良い。この道を少し行けば親父さんは大切な人に出会う。その時に俺の言葉を忘れないでいてくれ」
ルウが指差した場所には踏み固められた一筋の道があり、それは森の奥に続いていた。
そして……大切な人とは?
「大切な人だと!? そ、それは、まさか!? 婿殿、そもそもここは危なくないのか?」
「ははっ、ここは親父さんの夢。そして親父さんの大切な人の夢とが交わった異界だ。まず危険は無い。では、俺はこれで……」
ジェラールの矢継ぎ早の質問に対してルウはこの異界が危険で無い事のみを告げる。
そして手を横に振って去ろうとするのだ。
「おいおい、婿殿! もしや私を置いて行ってしまうのか?」
「大丈夫! 単なる案内人の俺が居ては却って野暮になる。じゃあな……」
「お、おいっ! 待ってくれ!」
ルウは、ぱちっと指を鳴らすと煙のように消えてしまう。
残されたジェラールは呆然と立ち尽くしていたのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
一方……同じ森の違う入り口にブランカ・ジェデクは立っていた。
「ここは……一体? 私は眠っていた筈……」
美しい森の中でブランカはたった1人ぽっちである。
前後左右を見渡しても彼女の他には誰も居ない。
ブランカはつい心細くなり、不安の声が出た。
「私はどこへ行けば?」
「このまま真っ直ぐにその道を行って頂ければ宜しいのですわ」
「え!?」
ブランカが振向くと1人の美しい少女が立っていた。
先程は居なかった筈だ。
これは幻だろうか?
そんなブランカの魂を読んだように少女は答える。
「うふふ……幻と言えば幻……ここはブランカさんの夢という異界なのですから」
「あ、貴女は?」
ブランカは少女には見覚えがあった。
腰まで伸びたさらさらの栗色の髪、顔の造りは一見冷たい雰囲気ながらも大きな鳶色の瞳を持ち、鼻筋が通っている美しい少女である。
そのたおやかな肢体には純白の薄布で出来たショールの様な衣服が羽織られていた。
ショールはまるで古の女神が着た羽衣のような神々しさである。
「貴女はジョゼフィーヌ様……」
「はい! ジェラール・ギャロワの娘、ジョゼフィーヌです。父が大変お世話になっております!」
ジョゼフィーヌはぺこりと頭を下げ、にっこりと笑う。
一見冷たい雰囲気のジョゼフィーヌであったが、彼女が笑うととても親しみ易く柔らかい表情になる。
ブランカはジョゼフィーヌの屈託の無い笑顔を見て、緊張で硬くなっていた身体が解れて行くのが分かった。
ブランカが緊張した理由……それはジェラールより彼が結婚しない理由を聞かされていたからである。
可愛い娘と亡き妻との思い出を大事にしたい――それがジェラールの結婚しない理由であった。
その可愛い娘とは?
亡き妻に生き写しで……我儘で自由奔放に育った1人娘……ジェラールがブランカに語ったジョゼフィーヌとはそのような娘であった。
暫しそのような思いに囚われ、ブランカは相手に挨拶するのをつい忘れてしまう。
そんなブランカにジョゼフィーヌは優しく語り掛けた。
「ブランカ様……貴女が父を真剣に愛して頂いていると聞いて、私は嬉しいのです」
「え!? わ、私は……」
口篭るブランカの魂に先程、リーリャと交わした約束の言葉が甦る。
『良い? ブランカ! ジェラール様との事は現実でも夢の中でも今の気持ちがぶれないように行動するように! さもないと貴女はジェラール様を失う事になるわ』
リーリャから告げられた言葉が香辛料のようにぴりぴりと魂と身体に刺激を与えて、ブランカは思わず顔を横に振った。
ジェラール様を失う?
そんなの絶対に嫌だ!
「は、はい! 私は貴女のお父上、ジェラール様を愛しております。不束な女ですが宜しくお願い致します」
このような事をジョゼフィーヌに言って大丈夫なのだろうか?
ブランカは恐る恐るジョゼフィーヌを見た。
「ありがとう! ブランカ様! こちらこそ父を、そして私も宜しくお願い致します」
思いがけないジョゼフィーヌの言葉。
彼女はこの私を受け入れてくれたのだ。
いや……それどころか歓迎してくれている!
ブランカが見るジョゼフィーヌの姿が何故だか、霞んで見える。
夢の中だというのにブランカの目には涙が一杯に溜まっていたのであった。
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