第446話 「金糸雀の客達」
ブランデル邸正門、日曜日午前9時30分……
ルウとジョゼフィーヌは中央広場に向って手を繋いで屋敷を出た。
天気は雲ひとつ無い快晴であり、朝なのにもう陽射しは強かった。
少し歩くと汗がじわりと滲んでくる始末である。
今日は1週間前にルウがコクトォ洋服店のマルエル・コクトォへ依頼したジョゼフィーヌへのプレゼントがいよいよ出来上がって来る日だ。
受取時間は午前11時、この時間に店で依頼品を受取った後、久々にジョゼフィーヌの実家であるギャロワ家にも行く事になっている。
ジョゼフィーヌはいかにも済まなそうに言う。
「先週に引き続き、ジョゼだけが旦那様を独占して……何か皆に申し訳ないです」
「いや、今日はお前へのプレゼントが出来上がる日だし、俺も久々にギャロワの親父さんに会いたいからな」
妻達は普段、自分からは実家に行きたいなどと絶対に言わない。
1人がそう言い始めると収拾がつかなくなるのを知っているからだ。
だがルウは妻達の気持を読むのが上手い。
今回もルウがジョゼを連れてギャロワ家に行くと言ってくれたのである。
普段とても忙しいルウが自分を優しく気遣ってくれた事を十分に分かっているので、ジョゼフィーヌは涙が出るほど嬉しかった。
だから、これ以上は何も言わずに今日のイベントを楽しむ事に決めたのだ。
「うふふ、楽しみですわ。それにお父様に会うのは久し振りですから。旦那様と一緒に、色々な事を一杯お話ししたいですね」
ジョゼフィーヌの魂からの笑顔にルウも笑顔で応え、途中で買い物に行く事を確認する。
「ははっ、俺も同じさ。まず以前話した通り、例の菓子店へ行こうか」
「金糸雀、……以前、ジェローム様とお会いしたお店ですね」
大の甘党であるジェローム・カルパンティエとルウが出会った、デザート菓子を扱う店である『金糸雀』は、このセントヘレナにおいては知る人ぞ知る有名な店である。
ちなみに女性の職人のみで全ての商品を作る店で、素材の新鮮さを活かした繊細で奥深い味わいが特徴で、1度食べるとリピーターも多い。
ルウは過去にお土産で購入して妻達に大好評だったので、たまに購入して持ち帰っている。
今日はマルエル・コクトォへの礼にするのと、ギャロワ家へのお土産、そして自分達のお土産を購入しようと向っているのだ。
店への道を歩きながらジョゼフィーヌが僅かに笑う。
どうやら思い出し笑いのようだ。
「ふふふ、旦那様。お菓子といえば!」
「そうだな」
2人の短い会話だけで昨夜、ナディアがジゼルに勝ち誇った事がお互いに分かってしまう。
それほどナディアはしてやったりと嬉しそうで、反対にジゼルは地団太踏んで悔しがったのである。
「今日、フラン姉がオレリーと一緒にドミニク・オードラン様のお屋敷に伺うという話を聞いて、ジゼル姉とシモーヌ先輩も無理矢理、同行を頼んでいましたね」
「分かり易いな、2人とも」
「ナディア姉がいつものやりとりでジゼル姉に対して完全に止めを刺しましたからね」
「ははっ、本当に焦っていたな」
ジゼルの中で身近に居る最大のライバルは親友のナディアである。
ナディアは自分とは少しタイプが違うジゼルが、必要以上に意識し張り合うのを一応面白がってはいる。
ジゼルに対してあまり本気になる事はなく、適当にあしらう事が多いが、現実に勝負を競うとなれば、つい負けず嫌いの一面が出てしまう時もある。
昨日のやりとりは料理と言う勝負において、そんなナディアの圧勝劇であった。
そんな妻達の『女の戦い』をジョゼフィーヌが説明する。
「私達、妻も結構忙しくて時間は限られていますの。だから帰宅部の私とナディア姉はその時間で魔法の勉強と料理に力を入れていましたわ。その結果、魔法は勿論、料理の腕も確実に上がりました。料理の方は残念ながら未だお菓子だけしか作れませんが……」
ジゼルが名誉を挽回する為に考えたのが少ない時間を有効に使ってのお菓子製作の習得だ。
今迄食べた中でダントツの味であったオレリーの母アネットのデザート菓子。
今回、オレリーに習ったナディアの腕を超えようとすべく、ジゼルは『本家』の師匠に突撃したのである。
ルウは思わずその光景を想像して苦笑した。
「ジゼルめ、いつもの押しの強さでアネットさんに直訴して、あの凄く美味しいお菓子作りの伝授を直接頼むつもりだろう」
「その通りですわ……ジゼル姉はとても負けず嫌いですから。ロドニアとの対抗戦で忙しいのに……死ぬ気でお菓子作りを練習して絶対に初歩レベルくらいまでは習得しそうですわね」
「ああ、そうなるとフランも見過ごせなくて、結局は参加するのだろうな」
「ふふふ、フラン姉も結構負けず嫌いですから、確実ですわ――こうなると私も負けていられません、もっともっとレベルアップしないといけませんわね」
ルウとジョゼフィーヌは顔を見合わせて笑う。
ブランデル家は普段このような調子である。
徹底的に魔法や勉学、技術を学び、体術を鍛錬したかと思えば、目一杯遊ぶ事を楽しみ、疲れた身体をゆっくり休めるという生活だ。
しかし不平をいう者は居なかった。
ハードだが、このようにメリハリのある人生が妻達には楽しくて堪らないのである。
ルウとジョゼフィーヌはまた確りと手を握り合うと、菓子店、金糸雀のある区画へ歩いて行った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
セントヘレナ中央広場付近、菓子店金糸雀前、日曜日午前10時……
金糸雀は小規模なカフェを併設したこじんまりした店である。
しかしいつからか、口コミで菓子の味が抜群なのが知れ渡ると、常に行列が出来るようになった。
客は殆どが商品目当ての女性であったが、妙齢で美人揃いの女性職人目当てである者も結構居たのである。
ルウ達が店に着いた時も既に5人が並んでいた。
1番先頭は結構早くから並んでいたに違いない。
ルウ達の視線も自然に列の先頭に注がれた。
「あ、あれ!? 旦那様、先頭に並ばれているのって? も、もしかして……」
驚くジョゼフィーヌに対してルウは静かにするようにと、唇に指をあてる。
「し~っ……ははっ、今日は多分非番なのだろう。そっとしておいてやろう」
「そ、そうですね。折角の休みの日くらいのんびりしたいですものね」
1番先頭に並んでいた熱心な金糸雀マニア……それはやはりジゼルの兄、ジェローム・カルパンティエであった。
危険の多い騎士隊勤務によるストレスや『彼女』の居ない寂しさを紛らわす為にジェロームもこの菓子を好んで食べるようになったのである。
ルウが最後列に並んだ頃、ジェロームは一生懸命考え事をしていた。
真面目なジェロームは来週に迫った例の『対抗戦』の警備の事で頭が一杯だったのである。
そうこうしているうちに店員が出て開店を告げた。
「皆様、お待たせ致しました。金糸雀開店のお時間です。店内の広さが限られていますので3名様ずつ、お入り下さい」
ジェロームは切り替えが早い人間らしい。
店員の声でそれまで悩みまくっていた表情が嘘のように、ぱあっと明るくなり「はいっ」と大きな声で返事をするとスキップしながら店に入って行ったのであった。
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