第390話 「見送り」
ルウとフランは革鎧姿のモーラルが迎えに来た馬車で魔法女子学園から屋敷に戻る。
屋敷では迎えに出た赤帽子ことアルフレッドへ馬車を返し、ルウとフランは部屋で真竜王の鎧に急いで着替えた。
着替え以外の旅支度は既に整えられており、3頭の馬も中庭に用意されている。
移動用の馬はルウが異界から呼び寄せた、水の精霊の一種であるケルピー達であった。
本来は人間に対して気の荒い精霊ではあるが、ルウにとって彼等と交歓し、思いのままに御するのは全く容易い事だ。
勿論、外見はルウの魔法により普通の馬に変えられている。
モーラルはにっこりと微笑む。
「屋敷から王都の正門を経てバートランドに向かう街道の途中まではカモフラージュとしてケルピー達に乗って参りましょう。そこから先は飛翔魔法でも転移魔法でも旦那様のご指示でバートランドに向かえば宜しいかと存じます」
モーラルの言葉にルウも穏やかな表情で頷いた。
時間短縮の為に飛翔魔法や転移魔法を使うつもりだが、使用者が限られた稀少な魔法だけに多くの人の目がある前でおいそれと発動するわけにはいかないのだ。
ケルピーに跨ったルウは懐かしそうに言う。
「ははっ、了解だ。こうして馬に乗るのはアールヴの里に居た時以来だな」
「うふふ、旦那様。そのような事をおっしゃるのなら私なんか10年ぶりくらいですよ」
ルウの言葉を受けたフランも少し遠い目をしながらも満面の笑みを浮かべた。
「大丈夫だ。どんな初心者でも言う事を聞くように俺がケルピー達に頼んである」
「もう! 旦那様の意地悪!」
仲良く会話をする2人を優しく見守るモーラルではあったが、そろそろ出発の時間である。
「ふふふ、旦那様、フラン姉。そろそろ行きましょう」
モーラルが出発を促すと、ルウは傍らに跪いて控えたアルフレッドへ留守を託すと伝えた。
「じゃあ、アルフレッド、留守を頼むぞ。まあケルベロスも居るし、アスモデウスとアンドラスにはジゼル達やアデライド母さんも含めて学園やこの屋敷近辺の守護を頼んである。何かあれば彼等に対応して貰えば良いし、持ちきれなければ念話で俺に直ぐ連絡しろ」
「はい! ルウ様、かしこまりました」
「では、行って来る」
ルウがジゼルに贈った名馬ベイヤールと同様にケルピー達に鞭は不要である。
皆が魂で念じるとケルピー達はゆっくりと走り出したのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
3人はセントヘレナの街中をケルピー達の背に揺られて行く。
何人かの鋼商会の者がルウを認めて会釈するのに対して手を振って応える。
遠目から見ても彼等の表情は明るく、アモンとリベルトの差配で商会の仕事も上手くいっているようだ。
やがて3人はセントヘレナの正門に着くと衛兵詰所へ出立の届けを出した。
フランがドゥメール伯爵家の令嬢だと衛兵全員が知っているので最敬礼で迎えられるが、衛兵の何人かは護衛も居ない一行の身を案じて声を掛ける。
貴族であるフランに同行するのが、華奢な魔法使いと未だ幼い面影を残す少女だけでは危いと見たのであろう。
彼等が危惧するのも無理はない。
馬で1日中ぶっ通しで走ればセントヘレナからバートランドは2日ほどの距離でしかないが、最近は魔物も跋扈し道中は何が起こるか分からないのだ。
年かさの衛兵がフランに恐る恐るという雰囲気で問いかける。
「失礼ながら……大丈夫……でございますか?」
「ふふふ、大丈夫です。ねぇ、旦那様」
フランは衛兵に対して笑顔で返事をするとルウに同意を求めた。
「ああ、問題無いさ」
ルウがフランの言葉に答えると、いきなりルウ達に聞き覚えのある声が響く。
「そうだな、俺も問題が無いと思うぞ」
声のした方を見ると、ルウ達が思った通りジゼルの兄、ジェローム・カルパンティエである。
彼はたまたま正門でルウ達の姿を認めたので衛兵詰所に顔を出しに来たのであった。
「ああ、ジェローム様」
衛兵達もカルパンティエ公爵家の御曹司で騎士隊の猛者である彼の事は良く知っている。
しかしジェロームが次に発した言葉に対してその場に居た衛兵達は耳を疑った。
「彼の腕は俺が保証する。俺みたいな下手な騎士の10人分は働ける男さ」
「そ、そんな!?」
驚く衛兵達をよそにジェロームはルウに振り返ると片目を瞑って見せた。
本来は誇り高い貴族で更に強さを拠り所とするジェロームのような騎士が軽々しく言う台詞ではない。
それも、あのヴァレンタイン王国随一の騎士レオナール・カルパンティエの子息である、ジェローム・カルパンティエなのだ。
父にも劣らない実力だと巷で評判のジェロームが太鼓判を押す男とは……
衛兵達は改めてまじまじとルウの顔を見詰めたのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――ルウ達にジェロームと護衛の騎士達3名を加えた一行は正門前にて馬上にあった。
ルウが苦笑しながら言う。
「ははっ、兄上。俺みたいな下手な騎士の10人分は働ける男……とは言い過ぎだぞ」
「おいおい、兄上と呼ぶのはやめてくれって言ったろう。……まあ、『あの稽古』を見てしまったらな。俺にとっては全然言い過ぎでも、大袈裟でもないさ」
ジェロームはルウの言葉に対して僅かに顔を顰めた後、周囲に聞えないよう静かにそう告げたのである。
あの稽古とは――彼がルウの屋敷に宿泊した翌朝にルウが彼の妹のジゼルと行っていた組み手である。
あれははっきり言って人間の域を超えたレベルのものだ。
ジェロームはあの後、父はもとより騎士隊の格闘技の教官とも比較していたが、ルウの強さは遥かにそれを上回っていたのである。
ルウ達がバートランドへ旅立つと聞いたジェロームはよければ街道の途中まで送ると申し出た。
しかしルウはジェロームの申し出を丁重に断わったのである。
断りを聞いたジェロームはルウが遠慮していると思ったようだ。
「そうか? 遠慮するなよ。こちらは職務だからな、全然構わないぞ。しつこいようだが、俺達の護衛は本当に要らないのか?」
「ああ、大丈夫さ。それにフランもモーラルも『あの拳法』を使える。悪いが、ジェロームの部下以上の強さだ」
本当はフランもモーラルもジェロームでさえ遥かに凌駕する実力の持ち主だ。
しかし今それを言っては彼の自信と誇りはとりかえしのつかないくらい崩壊するであろう。
ここは『言わぬが花』というやつである。
「ふーん、そりゃ凄いな。だったら……大丈夫そうだよな。じゃあひとつだけ教えてくれ。何故バートランドに?」
ジェロームはルウ達がどのような用事でバートランドに行くのか知りたいようだ。
秘密にする事でもないのでルウはジェロームに教える事にした。
「ああ、本来は王都でも可能だが、エドモン様と約束したのでね。あちらで冒険者登録をするのさ」
「冒険者登録!? おお! 冒険者になってクランを組むのか?」
思わず大きな声が出たジェローム。
慌てて口を押えて後ろを振向いたが、部下には聞えなかったようだ。
ホッとしたジェロームは声を潜めてにやりと笑った。
「妹が……ジゼルが煩かったろう?」
やはり兄妹である。
自分に似たジゼルの性格を知り抜いているジェロームはルウの用事を聞いてピンと来たのであろう。
「ふふふ、そうだな。だが彼女は魔法大学受験があるからな。今年は諦めて貰った」
「成る程。よく説得出来たものだ、あのジゼルを。さすが妹がベタ惚れしている夫だな」
「直ぐに分かってくれたよ。ただ大学に合格したら即冒険者だろうな」
ルウがにっこり笑うと、ジェロームも納得したように大きく頷いたのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
正門の外で見送ってくれたジェローム達の姿が見えなくなるとルウ達はケルピーの速度を上げた。
バートランドへの街道は比較的整備されており、あの楓村への街道とは全く違うのである。
王都の道同様に石が敷き詰められ、多少の雨ではぬかるんだりはしない。
暫く行った所で行き交う人がたまたま途切れる。
ルウ達は街道を外れ、周囲にあった雑木林に入った。
無論、彼等を害する者が居ないか、確認してからの上である。
ケルピー達を異界へ帰すと、ルウ達の間でバートランドへの移動手段の相談が始まる。
「フラン……飛びたそうだな?」
「ええ! 貴方と出会って直ぐ大空を飛んだわ。あの時の感動を思い出したいの」
「私も賛成です。大空を飛びましょう!」
モーラルもすかさず頷いた。
まだ飛翔魔法が使えないフランはルウに抱きかかえられて飛ぶしかないが、その上で敢えて話をもちかけているのだ。
そんなフランの気持ちが分かり、自分は一歩控えて優しい心遣いをするモーラルは可愛い妹といった所である。
「モーラルちゃん……ありがとう」
フランはつい涙ぐむ。
今迄一緒に暮らして来て彼女には分かった。
モーラルは魔族ではあるが、人の魂の温もりを知っている。
そこでルウがいつもの穏やかな表情で口を開く。
「よし、行くぞ。フラン、おいで」
「はいっ!」
ルウに呼ばれたフランは返事をすると、真っ直ぐにルウの胸に飛び込んだのであった。
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