第388話 「優しく強く⑨」
ルウが創り出した『高貴なる4界王の異界』の一画……
こちらではリーリャとラウラのロドニア王国組が既に呼吸法の訓練を済ませ、次の段階に進んでいた。
訓練の途中からモーラルとアリスが指導にあたっている。
指導の内容はルウが組んだメニューで、身体強化の魔法と魔導拳の習得の為の初歩の組み手だ。
ラウラは既に身体強化の魔法を習得済み、そしてラウラから教授されたリーリャは魔法式のみを覚えていたが、それらはヴァレンタイン王国で使用されているものと同様に効果が不完全な魔法式であった。
戦闘時に必要不可欠な身体強化の魔法ではあるが、彼女達が覚えている魔法式では効果が半減どころか、1/5程度しか出せない。
そこでモーラルが最初から指導をやり直しているのである。
仮にもラウラは大国の王宮魔術師という立場だ。
しかしルウの底知れない魔法のレベルに接して驚き、感嘆したラウラは詰まらないプライドは捨て去り、最初の呼吸法から真摯に取り組んでいるのである。
「我は知る、力の天使よ! 我の盾となり護りたまえ、その名のもとに! ビナー・ゲブラー・ザイン・サーマエール……2人が詠唱している魔法式はこれね?」
「そ、そうです! モーラル姉」
「仰る通りです、モーラルさん」
「2人とも気にする事はないわ。旦那様がフラン姉達を指導するまでは彼女達も同じ魔法式を詠唱していたから」
「やっぱり、旦那様はすご~い!」
「そうなのですか! やはりルウ様は素晴らしいですね」
「ふふふ、2人とも良いですか? 正しい言霊はこうです! 我は知る、力の御使いよ! 汝の力を盾に変え肉体に纏い、我は勝利と栄光の王国へ赴く! 我は知る、かつて人で在りし偉大なる御使いよ! この力の契約を執り行い給え! ビナー・ゲブラー・サーマエール、ビナー・ゲブラー・ネツアク・ザイン・ホド・マルクト・メータトロン!」
モーラルが言霊を詠唱した瞬間、彼女の身体は強力な魔力波に満ち溢れた。
「詠唱に長くかかり、難易度の高い魔法式ですが、他の魔法同様、詠唱と発動のバランスを完璧に習得すれば徐々に短縮化、そして最終的には無詠唱で発動する事も出来ます。……メータトロン!」
ただ魔族であるモーラルが何故、創世神の御使いの力を行使出来るのか?
リーリャはふと疑問に思ったが、よくよく考えればルウ自体がそのような存在だ。
リーリャはかつてルウに助けて貰った時の事を思い出す。
あの時、リーリャを害そうとして闇の魔法使いが召喚しようとしたのは確かに怖ろしい冥界の眷属である悪魔である。
しかし召喚される筈の悪魔は出現せず代わりにルウが来てくれた。
何故、凄腕の術者が召喚した術にルウは干渉する事が出来たのか?
そんなとてつもない実力を持ったルウは底が知れない。
リーリャの見る所、彼は光と闇の力を両方、行使出来る稀有な魔法使いなのだ。
リーリャは今迄に伝説の魔法王ルイ・サロモン以外に、そのような存在を見るどころか、聞いた事も無い。
かといってルウには生々しい欲望は感じない。
唯一、男性としての本能は感じられるが、それとて奥手と言えるべきものだ。
自分も含めてルウの妻達への愛情表現は見ていて爽やかだし、分かり易く好ましい。
例えば身体を洗って貰う時がそうである。
リーリャは未だルウに抱かれてはいないが、彼の慈しみの気持ちを感じて、とても気持ちが良くなってしまうのだ。
その時である。
鋭い声が飛び、リーリャの思考が中断された。
「リーリャ!」
「ひゃう!」
「駄目ですよ、訓練の時は集中してね」
虚を衝かれて動揺するリーリャの視線の先にはモーラルの温かい笑顔があった。
どうやらルウの事を考えていたと見破られているらしい。
「御免なさい、モーラル姉」
素直に謝罪するリーリャに対してモーラルからの糾弾は無い。
それどころか、リーリャの心情を慮ってか、優しい言葉が掛けられたのである。
「ふふふ、貴女は夜はホテル住まいだし、ずっと旦那様と一緒に居られないからね……私には分かるわ」
しかしリーリャはモーラルの言葉に、かえって闘志をかきたてられたようだ。
「いいえ! 切り替えます! 続けてください、モーラル姉」
「とりあえず今の魔法式の詠唱を完璧に覚えてね。……あら?」
そんな妹分の健気な決意を優しく見守るモーラルであったが、何かを感じたようである。
モーラルの感知した正体は直ぐに指摘された。
「まぁ、旦那様達ですよ」
モーラルはルウ達の魔力波を感じたようだ。
というか、ルウのみは多分意図的に自分が近付いた事をモーラルには報せているのであろう。
「本当ですよぉ! ご主人様達だぁ!」
「「ええっ!」」
アリスも嬉しそうな声を上げて、指差す方向をリーリャとラウラが見ると、それは青く晴れた異界の空の彼方である。
「ふふふ、ナディア姉もジョゼも飛翔魔法を習得したようですね」
ここでリーリャにも何かが感じられるようになった。
それは懐かしく温かい――ルウの魔力波である。
「だ、旦那様ぁ~!」
リーリャの嬉しそうな声にラウラも上空を見上げるとルウを中心にナディアとジョゼフィーヌがそれぞれ肩に手を掛けて大空を飛んで来る。
その直ぐ後ろにはプラティナと呼ばれているジョゼフィーヌの従士もぴったりと付き従い、その伸びやかな肢体を大空に浮かべていた。
ルウ達を迎えるようにモーラルが大きく手を振り、他の3人もそれに倣う。
特にリーリャは力の限り、大きく左右に打ち振っている。
その輪の中にルウ達がゆっくりと降下し、着地した。
リーリャとラウラはルウに対しては勿論、ナディアとジョゼフィーヌも尊敬の眼差しで見詰めている。
妖精に近い種族であり、魔法の達人が多いアールヴならいざ知らず、人の子が自由に大空を舞う事が出来るのだ。
これも魔法の力だと思うと2人には期待と不安が入り混じる。
期待とは自分もこれから偉大な師について未知な魔法の領域に足を踏み入れて会得出来るかもしれないというものだ。
反面、その不安とは自分の才能の限界に対するものだ。
しかしそのような不安もリーリャとラウラが、ルウの穏やかな笑顔を見ると、何故か徐々に消えていったのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
リーリャとラウラはまた感心したようにルウの顔を見詰めている。
2人は彼の妻達もかつて魔導拳の最初の極意を教授して貰ったと聞いたのだ。
ラウラが疑問の表情を浮かべながら尋ねて来る。
「しかしルウ様……この魔導拳なら私も聞いた事がございます」
ルウはラウラが何を言いたいのか分かるようだが、敢えて何も言わずに穏やかな表情を変えていない。
他の妻やアリスは黙ってやりとりを聞いている。
ルウに対してラウラは言葉を続けた。
「アールヴ族に伝わる秘拳である魔導拳……しかし、彼等の長である歴代のソウェルは教授を一族の中に留めて流出を禁じた筈では?」
ラウラは魔法を会得する為に出向いた様々な地で色々な話を耳にしている。
その中には少ないながら魔導拳の話はあった。
その謂れをつい、ルウに問い質したのである。
「ははっ、そうだな……しかし、魔導拳は戦いの中で進化して行く拳……一族の中に留めておいては価値が無いと爺ちゃんに教えられた。外に出して色々な戦いや流派と交わる事で成長するとね。事実、魔導拳は爺ちゃんの代で飛び抜けて最強になった。それは彼が長きに渡る旅の中で色々な人と交流し、様々な武術の技を取り入れたその結果、得た強さなのさ」
「成る程、それであのジーモン殿と戦ったりもしているのですね」
ルウの話にラウラは納得したようである。
しかし未だ聞きたい事があるようだ。
「でも私達に教授してくださるのは何故ですか? このような膂力もない無力な魔法使いの女達に?」
ルウはラウラの言葉を聞くと、ひとつ息を吐いて全員を見回した。
「魔導拳は武術でもあるが……生きる術でもある。膂力を持たない弱き者でも生き抜く事の出来る術……爺ちゃんはそう言って人間の俺にも教授してくれたんだ。俺も同じさ。お前達を始め、愛する者達を死なせたくない。その為なら生きる術として魔法も魔導拳も出し惜しみなく伝えて行く……そう、魂に決めているんだ」
この人はやはり教師なんだ……そして、私は生徒……か。
ラウラはそう思うと新鮮な気持ちになって思わず笑みを浮かべたのであった。
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