第386話 「優しく強く⑦」
「ルウ・ブランデルよ! 先に約束を違えて修行に顔を出したのはそっちだからな。借りは返して貰おう」
モリーアンはそう言い放つと悪戯っぽい笑みを見せた。
「風の魔法の修行なら、ナディアの夫のお前の方が我よりも適任であろう」
モリーはルウとナディアのやりとりを見ているうちに、何故なのか急に1人になって考えたくなったのだ。
彼女はルウ達にはそうする理由は一切言わなかった。
とりあえずは自分の異界に戻るという。
「分った、引き受けたぞ」
ルウはモリーに何も聞かず、あっさり了承すると穏やかな表情を向けた。
そんなルウはモリーに言わせると『面白い男』なのだそうだ。
「ははは、女の頼みを理由も聞かずに引き受ける男は……なかなか居ないぞ。大抵は根掘り葉掘り聞きたがる」
「ははっ、気をつけてな。待っているぞ、モリーアン。お前にはちゃんと戻る場所があるのだ」
「ふん…………口説き方が下手だな、夫婦揃ってだ」
夫婦揃って口説き方……自分に対しての説得の仕方等も含めての事であろう。
モリーの意味ありげな言葉を聞いたナディアがつい言葉を返した。
「夫婦?」
「そうだ、ナディアよ。お前もルウ同様、立ち回り方が下手さ。敢えてお前を呼ぶのであれば……そうだな、2つ名は『不器用のナディア』だ……ふふふ、また会おう」
そう言うとモリーは片手を挙げる。
魔力が高まり、彼女の身体を特殊な魔力波が包む。
モリーは軽く首を傾げると、美しく長い灰色の髪がふわっと舞い、冷たい眼差しに僅かだが温かさが宿った。
その瞬間、モリーはかき消すように居なくなる。
自ら発した帰還の魔法で彼女は自分の異界に帰ったのだ。
ナディアは彼女の消えた辺りを見ていたが、苦笑して肩を竦めた。
「行ってしまったね……はっきり言って1番不器用なのはモリー姉さ。まあ確かに彼女の言う通り、ボクも旦那様も器用な方じゃないけどね」
ナディアの言葉にルウも同意して頷く。
「そうだな、不器用だからこそ様々な人が助けてくれて魂の絆が結べるし、未来への可能性もその分、大きくなると俺は思う」
「そうだよね……ボクは今迄一見して何も問題が無いと思える人生を送って来た。しかし今から思えば平々凡々とした詰まらない毎日の裏返しとも言える」
問題が無い人生。
しかし平凡な人生……
人の幸せとは何が正しいのかとは、簡単には判断出来ないが、ルウに助けられたあの日、ナディアの場合は運命が大きく変わった事は確かであった。
「ボク……悪魔に魂を食べられかけたけど、お陰で旦那様に巡り会えて、生き延びる事が出来た。今はとっても幸せなんだ。うふふ、今後とも『不器用なナディア』を宜しくね」
ナディアはそう言うと鼻を鳴らしてルウの胸に飛び込んで来た。
ルウは彼女の華奢な身体を最初はそっと、そして徐々に確りと抱き締めてやる。
「はぁ……他の皆もそうだけど……ボク、こうしてどんどん甘えん坊になって行くよ。旦那様、もしもボクがお婆ちゃんになってもこうやって抱き締めてくれる?」
「当然さ」
「わあっ! 本当に!?」
ナディアはルウから1番聞きたい返事が聞けて幸せそうだ。
思わずルウの背中に細い腕を回して確りとしがみついたのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
2日前の月曜日の夜にもこの異界で妻達の訓練は行なわれている。
その時にルウはナディアの指導をしたが、魔法式の風属性魔法はほぼ完璧に発動する事が出来ていた。
今日の訓練では言霊の短縮化が使徒の名のみの詠唱まで問題なく行けたので、後は無詠唱発動のみクリアすればナディアはやっと自らに課した縛りを解いて精霊魔法に挑戦する事が出来る。
「ははっ、でもお前は既に精霊に好かれているぞ、ほら!」
「え!?」
ナディアが傍らを見ると腰までの長い金髪に碧眼、目鼻立ちの整った顔、細身の身体に透明な光沢のある布の衣を纏った女性が穏やかに微笑み掛けている。
水の精霊とは髪色と瞳の色が全く違うが、醸し出す雰囲気は良く似ていた。
こちらは風の精霊であるシルフである。
「ど、どうして!?」
自らの力で初めて精霊を視認したナディアは混乱した。
「落ち着け、ナディア。呼吸法で魂を安定させてから、ゆっくりと彼女に話し掛けてみろ。念話に関しては以前お前に教えた通りさ。言葉じゃ無く、意思を伝えるんだ。礼儀を弁えてな」
動揺するナディアを宥めたルウは風の精霊に何か念話で意思を伝えると、そっと2人から距離を置く。
混乱から立ち直ってやっと落ち着いたナディアは風の精霊に向き直り、ゆっくりと念話で意思を伝え始めた。
意思と言ってもややこしいものでは無い。
まずは挨拶と簡単な呼び掛けであった。
暫く経つと意思疎通が上手く行き始めたらしい。
ナディアは夢中になって風の精霊と話している。
――やがて風の精霊は手を振ってナディアの前から消えて行った。
ルウの方に振り返ったナディアは興奮の面持ちだ。
「だ、旦那様! 彼女、ボ、ボクと友達になりたいって!」
「ははっ、よかったな」
「ずっとボクが訓練しているのを、ちゃんと見ていたって! お前さえよければ祝福して加護を与えたいって!」
ナディアが地道に訓練、すなわち真面目に修行をしていたのを精霊は見ていたのであろう。
だから好意を持って接触して来たのだ。
これでナディアも妻の中ではジョゼフィーヌとフランに次いで風の精霊と正式に交歓した事になる。
この分であれば祝福、つまり精霊の加護を受けるのも時間の問題であろう。
「じゃあ次回は精霊魔法の訓練だな。ただ、お前は魔法大学の受験勉強もあり、モリーからの教授もある。とても忙しくなるが、絶対に無理はするなよ」
「はいっ!」
「じゃあ、ここは異界という事もあるし、今回だけ魔法杖を使って飛翔魔法を発動しよう、ジョゼの所まで行くぞ」
「ええっ、飛翔魔法!?」
「飛翔魔法の言霊は俺からは教えたし、フランやジョゼからも聞いていて毎日詠唱の練習はしているのだろう?」
「あ、ばれてた!」
ナディアは悪戯っぽい笑みを浮かべるとぺろりと舌を出した。
「ははっ、お前達が俺と過ごせない晩にはお互いに情報交換をしながら、屋敷の自分の部屋で魔法の訓練をしているのは知っているのさ。偉いぞ!」
「うふふ、旦那様、じゃあご褒美に頭を撫でて! 最近はジョゼやジゼルの気持ちが分るんだ!」
ルウが頭を差し出して来たナディアの頭を愛撫するような触り方で撫でてやるとナディアはまたもや鼻を鳴らして目を閉じ、うっとりした表情になる。
「その表情、ジゼルにそっくりだぞ」
「うわぁ、勘弁! でも、まぁいっか」
ジゼルに似ていると言われて絶句したナディアであったが、元々悪態をついても仲の良い親友なのだ。
何の問題も無い。
――やや経って異界に飛翔魔法の言霊が響き渡った。
ルウとナディアが同じ言霊を同時に詠唱しているのである。
「「大地の息吹である風よ、その揺蕩う思いを我は理解しよう! 風の精霊である貴女のその思いを我は受け止めよう! その見返りとして素晴らしき息吹の力を以って我をしっかりと摑まえよ! 我、人として母なる大地より旅立つためにその力を欲する! 我にその力を与えよ!」」
そこで一区切り言霊が切られると、2人から決めの言霊が力強く発せられた。
「「飛翔!」」
その瞬間、2人の身体は風の精霊の力により、あっという間に大空高く運ばれていたのであった。
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