第385話 「優しく強く⑥」
伝説の戦の魔女、モリー・アン……
ナディアの目の前に立つ彼女はその伝承通り、頑丈そうな真紅の革鎧に身を包み、灰色のマントを纏っている。
灰色の長い髪は膝までも伸びていた。
背はルウと同じくらい高く、ゆうに180cmはあるであろう。
灰色の澄んだ瞳は鋭く相手を見据えており、整った美しい顔だちをしているが、彼女の肌は病的なまでに青白い。
だが、僅かに覗く胸元は乳白色であり、それがやけになまめかしく感じられた。
「ナディアよ、お前が毒のネヴァンや赤毛のマッハに匹敵する妹になれるよう我の持つ秘術の一部を授けよう。ただお前に素養や修行継続の意思が無ければ教授はそこで終わりだ」
「はいっ! モリー姉」
モリーの厳しい言葉にナディアの返事にも気合が入る。
ルウは自然な形で胡坐を組みながら傍らに座っており、そんな2人のやり取りを聞いている。
ルウの眼は閉じられているが、2人の発する魔力波で何が起こるかを捉えようとする彼自身の訓練でもあった。
「我等、戦の魔女は戦場において兵士達を狂気に駆り立てる声を放つ。いわゆる雄叫びだな。これは敵味方に対して有効だが、上手く使い分ければ味方を鼓舞し、敵には冷静さを失わせるのだ」
「はいっ!」
「まず、私がやる……この異界で鍛錬する他の女共に影響を出さないように抑え目にするが、目の前のお前には結構な影響が出る筈だ。気持ちをしっかり持てよ、ナディア」
「はは、はいっ!」
モリーは一気に深呼吸する。
彼女も独特の呼吸法を会得しているようだ。
膨大な魔力があっという間に高まって行く。
「現世の勇士たちよ、命を捨てて戦え! 戦の魔女の名のもとに規律と理性を捨てて戦うのだ! はっ! ……が、はああああああああああっ!」
独特の言霊が詠唱された後に、一瞬の間を置いて放たれた『雄叫び』はまるで肉食獣の咆哮である。
異界の大気がびりびりと振動し、ナディアは意識を手放しそうになった。
凄い!
これが、これが戦の魔女の雄叫びか!?
思わず唇を噛み締めて、意識が飛ばないように堪えるナディアであったが、ふと傍らのルウを見ると座ったまま微動だにしていない。
それどころか、軽く結ばれた口角は僅かに上がってさえいる。
いつものように穏やかな笑みをうかべているのだ。
だ、旦那様!?
そ、そうか!
そうだよね……
ルウの表情を見て魂が落ち着いたのか、ナディアにも余裕が出て来た様である。
モリーを穏やかに見詰めたのだ。
「ふむ! ルウのお陰で何とか凌いだようだな……さて、訓練方法はどうする? 我はそこまで甘く親切ではない、己の力で探してみよ」
「大丈夫さ、モリー姉。いくら魔法の系統は違ってもボクのやる事は変わらない。最初は魔力を全く篭めず、詠唱を完璧にして、そこから魔力を少しずつ篭めて発動訓練に移して行くんだ」
「ははは、いつもの変わらない方法と来たか。まあ良い、やってみせろ」
修行方法を教えないと伝えてナディアが焦る姿を想像したモリーは拍子抜けしたが、それをおくびにも出さない。
モリーに許可を貰ったナディアはいつもの魔法の訓練と同様に詠唱の積み重ねを行っていく。
「現世の勇士たちよ、命を捨てて戦え! 戦の魔女の名のもとに規律と理性を捨てて戦うのだ! はっ! ……が、はああああああああああっ!」
ナディアは何回も何回もモリーが行った『雄叫び』を繰り返して行く。
最後の『咆哮』がモリーに比べて遥かに迫力不足なのはご愛嬌だ。
―――そんなナディアの『雄叫び』が数十回も続いたであろうか。
突然、吃驚したようにモリーが目をかっと見開いた。
「ぬう!? 最初は幼い子供の泣き声のようだと思っていたら、どうしてどうして……これなら発動出来るな?」
「うふふ、発動して……構わないかな? モリー姉」
「うむ!」
先程のモリーと同様にナディアは一気に深呼吸する。
膨大な魔力があっという間に高まって行く。
そして今迄の詠唱とは全く違う、ほとばしるような朗々とした声が発せられる。
「現世の勇士たちよ、命を捨てて戦え! 戦の魔女の名のもとに規律と理性を捨てて戦うのだ!」
一瞬の間を置いて決めの咆哮が放たれた。
「はああっ! ……が、はああああああああああああああっ!」
大気がびりびりと振動する。
その中でナディアは鋭い視線をモリーに投げ掛けて立ち尽くしている。
これは先程モリーが発動した『雄叫び』とほぼ同じであった。
「ははは、はっはははは! 成る程! さすがだ、お前は素晴らしい魔法使いだよ。我の1回のみの発動を見ただけで直ぐ雄叫びを会得してしまうとはな、かつてのネヴァンやマッハの力を遥かに超えている」
そんなモリーに対してナディアは首を横に振る。
「うふふ、それは光栄だね。ただ他の魔法にも言えるけど、未だ迅速化や省力化、制御などの些細な課題が残っている。この『雄叫び』も例外ではない。ボクは引き続き精進してモリー姉の『雄叫び』と同じくらい完璧にするよ」
ナディアの不敵な言葉に対してモリーも嬉しそうな笑みを浮かべる。
「よし! 次は戦の魔女として『変わり身の秘法』と『敵に不運をもたらす呪詛』を伝授すると言いたい所だが、お前は風の魔法使いだ。『雄叫び』を完璧にしながら風の魔法を発動してみるが良い。お前の携えているその素晴らしい魔法杖が存分に能力を発揮してくれよう」
どうやらモリーはナディアが大事に抱えている魔法杖が気になっていたようである。
ナディアの修行という意味もあるが、魔法杖の能力を見たかったというのも本音であろう。
「素晴らしい魔法杖? あ、ああ……これは旦那様にプレゼントして貰った杖なんだ」
「ルウに……だと?」
「最初は只のハシバミ製の杖さ。それを旦那様が付呪して、風の精霊の力を篭めてボクに贈ってくれたのさ。一生の宝物だよ」
「ななな、何だと!?」
ナディアが持つハシバミ製の小振りな魔法杖……
その平凡とも言える外観にそぐわない、精霊の力が篭った強大な力を持つ魔法杖なのだ。
それをあのルウが付呪していたとは……
モリーは改めてルウの凄みを実感する。
そんなモリーの思いを他所にナディアはきっぱりと言い放った。
「この杖の力を借りて精霊を呼べば、魔法の修行はとても楽さ。だけど……きっとボク自身の為にならない。そう思ってずっと使用する事を封印して来たんだよ」
ナディアのかつての決意を聞いたモリーは彼女の健気さにまた笑顔になった。
何故?
自分はこのように笑えるのだろう?
破壊と死を招く魔女として怖れられ、哀しく厳しい表情で戦場を駆ける彼女にとっては自分のそのような変貌が驚きでもあり、可笑しくもある。
「ははは……」
つい口に出た笑いはナディアへの情と共に自分へも向けられた不思議な感情でもあったのだった。
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