第38話 「春期講習②」
ルウはいきなり、貴族の少女に魔法を使った。
全くの無詠唱&ノーアクションで。
あまりにも、突然の出来事に……
少女はルウに向かって、口を「ぱくぱく」させている。
取り巻きの少女達も唖然として、口をあんぐりと開けたままだ。
ルウが使ったのは、防御魔法の範疇に入る中級魔法、沈黙である。
この魔法は魔法使いが、人間の声帯に働きかけ、魔法式の呪文を詠唱出来ないようにする。
相手が魔法を行使出来ないようにするので一見、万能のように見える。
だが、何故なのか、自分よりも格上の相手には効果を発揮しにくい。
加えて、ルウのように無詠唱で魔法を発動出来る者には全く効果が無い。
結果、そんなに、人気のある魔法ではないのだ。
「俺の声は聞こえるな?」
ルウは、相変わらず穏やかに微笑んでいる。
大混乱に陥っていた貴族の少女はやっと落ち着くと、激しい憎悪の篭った目でルウを睨みつけて来た。
しかしルウは、華麗にスルー。
取り巻きの少女のひとりに尋ねた。
「お前達に聞こう、この子の名は?」
事前には、答えまいとして、注意していても……
いきなり聞かれると、誰しも思わず返事をしてしまうものだ。
「ジョ、ジョゼフィーヌ……」
「ありがとう」
ルウは微笑むと、改めて、ジョゼフィーヌの方へ向き直る。
「ジョゼフィーヌ、どうでも良いお喋りをやめて、呼吸法をやろう。どうだ? 了解したら、机を2度叩いてくれ」
しかし、ジョゼフィーヌはルウを睨み、拳を振り上げる。
ルウは咄嗟に彼女の手を掴み、ゆっくりと首を横に振った。
まるで、「いけないぞ」と言うように。
どうやらジョゼフィーヌは、怒りに我を忘れ、2度どころか、机を何度も叩こうとしたらしい。
ジョゼフィーヌの魔力波を察知した、ルウが事前に止めたようだ。
なおもジョゼフィーヌは、ルウに手を掴まれながらも、物凄い勢いで暴れている。
「ははは、無茶はやめろよ……鎮静!」
ルウが言霊を唱えると……
暴れていたジョゼフィーヌは、糸の切れた操り人形のように崩れ落ちたのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「はっ!」
ジョゼフィーヌが目を覚ますとそこは教室ではなかった。
「ジョゼフィーヌ様、お目覚めですか」
取り巻きの少女のひとり、セリアが心配そうに覗き込む。
「え? セリア……私は一体?」
「あの新任の……ルウ先生が、ジョゼフィーヌ様をここまで運んで下さいました。折角の良い天気だから、外で呼吸法の練習をしようって仰って……」
セリアの言う通り、ジョゼフィーヌが居るのは、魔法女子学園のキャンパスであった。
実習室と研究室の間の芝生の上である。
周りを見渡すと、講習に出たクラスの生徒達が、思い思いに呼吸法の練習を行っていた。
ジョゼフィーヌは、不思議な感覚に囚われている……
この、寝起きの良さは、どうしてなのだろうか?
教室で眠ってから、そんなに時間は経っていない筈であるが……
たっぷりと熟睡したような、この爽快感は最近経験していない。
いつの間にか沈黙の魔法も解除されていた。
ジョゼフィーヌは、普通に喋れるようになっていたのだ。
と、そこへ、長身の男が近付く。
ルウである。
「ジョゼフィーヌ、起きたか?」
「…………」
ルウが呼びかけても、ジョゼフィーヌは無言であった。
まだまだ、へそを曲げているのは間違いない。
「いきなり沈黙の魔法を掛けて悪かったな。だけどフラン、いやフランシスカ先生も一生懸命やっている。ちゃんと授業は受けてくれ、頼むよ」
ルウは相変わらず、穏やかに笑っている。
そのうちに、どこからかルウを呼ぶ声がした。
どうやら、ミシェルとオルガのようである。
何となく甘えるような響きが籠っており、ジョゼフィーヌは不快に感じ、眉間に皺を寄せた。
「じゃあな!」
そんなジョゼフィーヌにおかまいなく、ルウは手を振って去って行く。
思わずジョゼフィーヌは、ルウを目で追った。
やはり、ルウはミシェルとオルガの所へ向かった。
やはり、ミシェルとオルガは、以前からルウを知っているようである。
普通に教えて貰うと言うより、甘えているように見えなくもない。
その様子を見ていた、アンナとルイーズが「出し抜かれた!」とばかりに慌てて近づいて行く。
何よ、あれ!
この私に!
いろいろ優しく、言っておいて!
冷静に考えれば、ルウは家庭教師ではなく学園の教師である。
だから、ひとりの生徒にかかりきりというわけがない。
しかし、ジョゼフィーヌは何故か、ルウが他の生徒と仲良くするのが尺に障ったのだ。
そんなジョゼフィーヌの視線を受け止めながら……
ルウは、生徒達にせがまれたので、改めてフランの許可を取った。
改めて呼吸法の授業を行なう事にしたのである。
ルウの下に集まった生徒は……
ミシェル、オルガ、アンナ、ルイーズ、そして騒いでいた生徒達を鎮めた学級委員長のエステルという生徒の5人だ。
そしてフランも、ルウの話を聞いている。
「さっきも話したけれど、また聞いてくれるか?」
ルウは、生徒達を見渡した。
フランと、5人の生徒達は、神妙に聞いていた。
「呼吸法は、各自が自分に最も適したやり方で行なうべきだ」
ルウによると……
呼吸法だけでも腹式呼吸、胸式呼吸、片鼻呼吸、密息など様々な呼吸法がある。
ここで問題なのは呼吸法の手法では無く、いかに自らを安定、または集中させて、体内の魔力を高め魔法を発動し易くして行くかだという。
師シュルヴェステルが、まずルウに教えた魔法使いへの第一歩が、この風を司る精霊の加護を受け、自分に適した呼吸法を見つける修行であった。
アールヴ魔法の真髄である精霊魔法は精霊との対話が鍵と言える。
屋外で精霊の息吹に身を任せ、いろいろな呼吸法を試すと、リラックスする。
と同時に、精霊魔法に適性のある者は精霊が適した呼吸法を告げてくれる可能性が生じるのだ。
ルウはフランと5人の生徒へ、芝生に寝転がるように指示をする。
総勢7人は、ふかふかの芝生に横になった。
春にしては空は高く、上空を雲がゆっくりと流れて行く。
風は頬を撫でるような強さではあるが、ルウには精霊が楽しそうに周りを遊んでいるのを感じた。
横になっている6人は、それぞれ思い思いに過ごしている。
目を閉じている者、流れ行く雲をずっと眺めている者……
共通しているのがこの風に身を任せながら、様々な呼吸法を試している、または実践している事だ。
「あ、あの……私も仲間に入れて貰っても構いませんか?」
おずおずとルウに聞いてきたのは、先程ルウに食って掛かった、オレリー・ボウである。
ルウは微笑むと手招きをした。
右隣にはフランが横になっており、オレリーはルウの左側に横になる。
最初は各々でやっていた者、遠巻きに見ていた者が……
だんだんとオレリーのように、おずおずと近付い来て、芝生に横になり始めた。
結局、最後まで残っていたのは、ジョゼフィーヌとその取り巻き3人だけである。
「ジョゼフィーヌ様、ど、どうしましょう?」
「むう!」
暫く、躊躇う4人であったが……
「お~い! ジョゼフィーヌ。そしてそこの3人! お前達もよかったら混ざれよ、一緒にやってみよう」
突如、ルウの声が響く。
ジョゼフィーヌ達が吃驚して振り向くと、いつの間にかルウが立っていたのである。
「あっ!」「えっ!」「いつの間に?」
3人は驚いて見るが、ルウは何事もなかったかのように立っている。
「仕方がないですわ。私達にどうしても来てくれと、仰っているのですから」
ジョゼフィーヌは笑みを浮かべると、ゆっくりと、ルウに頷いて見せたのである。
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