第370話 「学ぶ喜び④」
ルウは先輩教師のルネ・ボワデフルが魔法女子学園の生徒であった頃の気分になり、嬉しそうに返事をするのを見て、悪戯っぽく片目を瞑り、親指を立てた。
いよいよルウとルネの個人授業の開始である。
「分った! じゃあ、時間も無いし早速始めよう。この魔道具研究は他の魔法以上に商品に対する深い知識が必要となる。商品の種類、出自を識別して真贋を含めた価値を見極める、それが鑑定だ。更に上級になると付呪を発動して商品に魔法効果を加えて魔道具を作り上げる……これが魔道具製作となる」
まずはルウが話すのは魔道具研究の概要からだ。
初めて授業を受ける生徒の前で切り出すような彼の口上が、生徒として待ち構えるルネの耳に心地良く入って来る。
「はいっ、先生の仰る通りです」
元気に返事をするルネの脳裏に彼女が多感な少女の頃の記憶が鮮やかに甦って来た。
初めて魔道具研究を学んだあの日は、先生の言う事全てをノートにメモしていたっけ!
そうだわ! ……詰まらない冗談さえも全部ね!
うふふ、ようし! 頑張ろう!
そんな思いを秘めたルネの事を全て理解したかのように、ルウは頷きながら話を続ける。
彼の授業の内容は魔法女子学園において生徒達に行うものと殆ど変わらない。
「魔道具はありとあらゆる種類のものが巷に溢れている。それを全て追いかけようとすると無理が生じる。最初は自分の好きな物に絞って行くのが得策だ。そこで今日はこの店の場所と商品を借用させて貰った。これからルネの好きな商品を数点選んで貰い、鑑定して貰おう」
これはルネにとって意外な展開であった。
通常は教師が指定した商品を生徒が鑑定するものである。
それを無視して、ルウはルネの好きな物を選んで鑑定するようにと指示して来たのだ。
「えっ!? 本当に好きなものを選んで良いのですか?」
「ああ、OKだ」
ルウの返事が終わるか終わらないうちにルネはもう立ち上がっていた。
そして展示してある商品をすかさず物色し始めたのである。
「わぁ! 凄い! 何これ!?」
喚声をあげながら、商品を手に取って目を輝かせるルネはまさしく1人の生徒であった。
「ははっ、きりがなくなるから制限時間を設けよう。10分だ、10分でまず最初の1つを選んでくれ」
「ええっ!? たった10分で、それも1つですか? ぶうぶう!」
不満たっぷりのルネであったが、やがて1つの商品を選んでルウの下に戻って来た。
そしてそっとその商品をテーブルの上に載せたのである。
「ほう、面白そうなものを選んだなぁ」
「うふふ、何かわけの分らない物があったので、これにしました」
テーブルの上に置かれたそれは黄金製の1匹の虫の置物であった。
大きさはルネの拳くらいで表面には美しい彩色が施されている。
形状はいわゆる甲虫という奴だ。
ルウはルネの商品選択が気に入ったようだ。
「じゃあ、この魔道具をルネのどのようなやり方でも良いから鑑定して貰おうか」
「ええっ!? まずはルウ先生が色々と教えてくれるんじゃあないのですか?」
ルネはこのような難易度の高い魔道具を提示すればルウが鑑定しながら指導してくれると思っていたらしい。
当てが外れた彼女は恨めしそうにルウを見ている。
しかしルウは首をゆっくりと横に振った。
「ははっ、それじゃあ研修……いや授業の意味がない。頑張って自分で鑑定してくれ……制限時間はこれまた10分だ」
「ええっ!? また10分? ぶうぶう、こうなるのだったらもっと簡単な魔道具にしておけばよかったかな」
ルネはそう言いながらも早速甲虫の形状をした持ち上げたり、側面から覗き込んだりしている。
しかし彼女の中にこの魔道具に関する知識はなかったようだ。
「こうなったら……やっぱり魔法だな」
ルウは小さく呟くとゆっくりと呼吸を整える。
彼女は魔力を高めているようだ。
やがて魔法を発動するタイミングが来たとみえてルネは言霊を詠唱する。
「叡智を司る御使いよ! 知らしめよ、我に真理を! もたらせよ、我が手に栄光を! ビナー・エメト・ヨド・ホド・ラージエール!」
ルネから放たれた魔力波は甲虫の魔道具を包み込んだ。
目を閉じてじっくりと考え込むルネ。
この鑑定の魔法は魔道具から発せられる魔力波を天の御使いの力を借りて読み取るものである。
キングスレー商会でルウが義弟のジョルジュを指導した時に発動したものと同じ物だ。
ただ同じ言霊を詠唱しても術者によって精度には差が出てしまうのであるが……
「ええと……|魔道具から放出される魔力波を読み取った限りでは……南方の国で作られた古代の魔道具である事、それに護符というかお守りの一種である事は分りました。価値は骨董的なものも入れると金貨400枚くらいかしら?」
ルネの言葉を聞いたルウは満足げに頷く。
「ははっ、良い線、行っているぞ。あと3分、頑張って考えてみようか」
「あ、あと3分しかないのですか!? う、うわ、やばいっ!」
もう魔法を発動する時間も無いし、効果も甚だ疑問だ。
ルネは再びじっと考え込んだのである。
しかし!
「残念! タイムアウトだ」
無情にもルウの時間切れの言葉が告げられるとルネは子供のように地団太を踏んだ。
「ううう! 先生は分るのですか?」
「ああ、大凡は分るよ」
頬を膨らませて口を尖らせるルネにルウは穏やかな表情を見せた。
そして指をパチッと鳴らしたのである。
「無詠唱!?」
強大な魔力波が魔道具を包み込むのを感じたルネは呆然としてルウを見ている。
この人は……どこまで凄いのだろう。
そんなルネの思いを知ってか知らずか、ルウは平然として話を続けている。
「今の鑑定魔法で全ての事が分ったよ」
果たしてルウはどのような説明をしてくれるのだろう?
ルネの胸は大きな期待で高鳴った。
思わず彼女の声はうわずってしまう。
「じゃ、じゃあ! ルウ先生、ご説明お願いします!」
「よし! ルネ、これはな……スカラベだ」
「スカラベ!?」
ルウの口から出た耳慣れない言葉にルネは首を思い切り首を傾げた。
そんなルネの様子を見ながらルウは穏やかな表情で説明を続ける。
「ルネが選んだ魔道具はこの大陸の遥か南、古代のアーロンビアから伝わる護符のひとつだ。モデルは言い難いがフンコロガシという虫だ」
「フ、フンコロガシって? まさか!」
ルネの胸を悪い予感がちらっと過ぎった。
そして、その予感は的中する。
ルウからの現実を告げる言葉がずばんとルネの魂に突き刺さったのだ。
「ああ、動物の糞を食べる昆虫さ。この虫は糞を丸めて転がしながら運ぶ習性がある。この習性を古代アーロンビアでは太陽の運行に見立てたのさ。太陽とは彼等にとって『復活』の象徴である。丸めた糞の中から卵が孵ったので復活という考えは更に広まったんだ」
「…………」
「アーロンビアの人々はこのスカラベを象り、装身具として身につけたり置物として身近に置く事で護符や守り神としたのさ……まぁ、ルネにはショックかもしれないが世界は様々な価値観が同時に存在している。アーロンビアの人にとってスカラベとは神聖な生き物なのさ」
「……私、全然知りませんでした。まさかこのような虫が守り神だなんて……」
「ははっ、それにこの魔道具は場所によっては結構な価値なんだ。このヴァレンタイン王国では護符の価値は余り無くて、金自体の価値しかつかずに金貨100枚程度でしか売れないが、アーロンビア王国で売れば、護符としての有り難味と骨董的価値が加わって、これに500枚くらいの金貨が加算されるぞ」
「え、ええっ!? じゃあ、これで金貨600枚!? う、嘘!?」
「さらにこの魔道具には闇を払う破邪の魔法が付呪されている。最終的にはその効果を評価して金貨800枚ってところだな」
「……ううう、私って鑑定も満足に出来なかったばかりか、評価額も半額!? これじゃあ、大損しちゃう! 駄目駄目だわ!」
拳を握り締めて悔しがるルネにルウは悪戯っぽく笑って問い質す。
「ははっ、落ち込んだか?」
労わるルウの言葉を撥ね返す様にルネはきっぱりと言い放った。
「ぜん、ぜんっ!!! それどころか、凄く燃えて来たわ! ルウ先生、次はばっちり決めるわよ!」
今回ルネは全く鑑定が出来なかった。
これはA級魔法鑑定士という彼女にとっては屈辱である。
しかし!
ルネは何故か暗く、ネガティブな気持ちにならなかった。
それどころか、久々に壁に当たったルネは魔法や知識とはいかに奥が深いと改めて感じていたのである。
今のルネは自分にとって未知で困難なものを探求し、知る喜び……つまり学ぶ喜びというものをはっきりと実感していたのであった。
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