第351話 「追憶と言う名の書①」
暗転した周囲がやっと通常の景色に戻って行く。
ルウが見ると自分やフランとジゼルは丁度、精神体のような状態である。
ルウ達の目の前には気難しそうな1人の老人が質素な部屋の粗末な椅子に座っていた。
老人は人間族では無い。
白髪でやや耳が尖ったアールヴ族の老人である。
年齢は外見からははっきりとはいえないが、かなりの高齢のようだ。
だが体格こそ小柄だが、肌の色は抜けるように白く張りがあり、しなやかな筋肉はいささかも衰えていない。
彼を見たルウは珍しく穏やかな表情を変える。
『爺ちゃん!』
ルウの言葉と驚いた様子を見たフランとジゼルはこの老人がかつてのアールヴのソウェル、シュルヴェステル・エイルトヴァーラである事を知ったのだ。
『この人が!』
『旦那様の育ての親で師匠でもある偉大なアールヴの長……なのだな!』
ルウが大声でシュルヴェステルを呼び、フランとジゼルも同様に話すが3人の声はどうやらあちらには聞こえないらしい。
「ふむ……では出掛けるかな」
シュルヴェステルは小さく呟くと、自室のドアを開けて部屋を出た。
部屋の外には薄い青色をした丈夫そうな革鎧を身に纏い、魔剣らしいロングソードで武装した1人のアールヴの剣士が待ち構えていた。
剣士は部屋を出ようとするシュルヴェステルを押し留め、更に問い質そうとする。
声からすると剣士はどうやら女性のようであった。
フランとジゼルが見て――美しく長い金髪に菫色の瞳、そして見覚えのある美しい顔立ち!
……これは、もしや!?
『ケリー!? ケルトゥリ教頭? ……いや……少し違うわ!』
思わずケルトゥリの愛称を呼ぶフランであったが、傍らでルウが首を僅かに横に振った。
『そうだな……あの剣士はリュー、……リューディアだ』
『『リューディア!?』』
思わずフランとジゼルの声が重なった。
『ケリーの姉のリューさ』
『……綺麗な女性……』
ルウが愛称で呼ぶケルトゥリの姉のリューディア・エイルトヴァーラをフランはじっと見詰めていた。
そんなルウ達をよそにシュルヴェステルとリューディアのやりとりは続いている。
「シュルヴェステル様! このように夜も明けぬうちに、どちらへお出掛けなさる! そもそも、お1人で出かけられるなどとても危険だし、おやめ頂きたい!」
咎めるようなリューディアに対してシュルヴェステルは悪びれた様子もなく逆に彼女を誘う。
「危険? この儂にか? ははっ、よかったらお前も来るか? リューディアよ、今日の日こそ待ちに待った、我が友ルイが予言した運命の日なのだ」
シュルヴェステルの口から人間族の古の魔法王ルイ・サロモンの名が出ると流石にリューディアも居住まいを正す。
基本的に人間族を見下しているアールヴだが、さすがに神にも匹敵すると言われたルイ・サロモンに関しては別格なのだ。
そしてこの偉大なソウェルが魔法王との知己である事もリューディアは充分、認識している。
「ルイ・サロモン殿が予言した運命の……日?」
「ああ、アールヴにとって……いや、儂にとっては今迄過ごして来た7千年の人生の日々などとは比べ物にならぬ大事で濃密な日となりうるのだ」
シュルヴェステルがそこまで言うとは並大抵の事ではない。
リューディアはもう外出を止める事を諦めて同行する事に考えを変えていた。
当然、好奇心もある。
「そんな大事な日に……私如き未熟者が同行して……宜しいのでしょうか?」
「ははっ。どうせお前の事だ。来るなと申し付けても着いてくるに決まっている。お前の務めはこの儂のお守りなのだからな」
シュルヴェステルが苦笑するとリューディア・エイルトヴァーラはにっこりと笑った。
そして左腕を胸に置き、シュルヴェステルの足元に跪いたのである。
「偉大なソウェルの寛大なる御心に感謝致します。ではお供させて頂きます」
こうして2人は未だ明けきらぬ星が瞬く夜に出掛けたのであった。
――そこでルウ達の見ている光景がまた切り替わる。
今、シュルヴェステルとリューディアが歩いているのは深い森だ。
2人の全身は眩い光で覆われており、それは魔法を学んだ者であれば凄まじい魔力波である事が分る筈だ。
ここはアールヴの里からだいぶ離れている。
シュルヴェステルの転移魔法でこの森まで亜空間を跳び、身体に発動した強化魔法で目的地に向っているのである。
いや……目的地に向うというより、誰かを探しているようだ。
それにしても良く見れば2人の足は地に着いていない。
地上から30cmほど上を結構な速度で流れるように歩いているのだ。
やがてリューディアが目を見開き、美しい菫色の瞳に驚愕の色が宿る。
「この……気配は……幼い人間? 何故このような所に!? そ、そしてすぐ傍らに居る……こここ、この気配は!?」
「ははっ、お前の索敵にもそう見えたか? 人間の幼子とこの気配……普通ならまず考えられんな」
実はシュルヴェステルとリューディアが居る森は通常の野生動物どころか、一部を異界と接していると言われて凶悪な魔族や魔獣が跋扈する危険な場所だからだ。
「我が友ルイは亡くなる際に私にはっきりとこう言った。私は必ず帰って来る……シュルヴェステルよ、また会おうとな……」
「…………」
「それが3千年後の今日なのだよ」
リューディアは半信半疑であった。
いくら神に近いとは言われても所詮は人間――神にはなれない。
一旦死んで天界や冥界での務めを経て、仮に転生出来たとしても連綿とした生命の管理は創世神やその使徒達の管轄であり、アールヴは勿論、か弱き人の子の意思ではどうしようもないのだ。
それがシュルヴェステルに言わせればこの日のこの時間にルイ・サロモンが転生し、彼の前に現れると死の間際に予言したというのである。
確かにそれが真実であれば、シュルヴェステルがこれほどの一大事と言う事も理解出来るのではあるが……
「彼の居る場所が特定出来た……では転移する」
シュルヴェステルの魔法は基本無詠唱だ。
そして普通のアールヴの数万倍とも言える膨大な魔力量を誇っている。
シュルヴェステルはその魔力を元にあらゆる強大な魔法をあっさりと実現してしまうのだ。
当然、原初のソウェルから受け継いだ知識と技術、そして彼の七千年の生涯における研鑽も加味されての事である。
アールヴがこの世界に誕生してから最強のアールヴにして最も偉大なソウェル――それがシュルヴェステル・エイルトヴァーラなのである。
その事実はシュルヴェステルの跡をいずれ継ぐ、新たなソウェルにとっては重圧以外の何物でもなかった。
それに今居る、新たなソウェルの候補者達をシュルヴェステルと比べれば達人と生まれる前の赤ん坊以下である。
はっきり言って自分を含め、桁が違い過ぎるのだ。
シュルヴェステル・エイルトヴァーラ……偉大なるソウェル。
彼に万が一何かあったら……我々アールヴの未来は一体どうなってしまうのだ?
リューディアはシュルヴェステルの転移魔法で目的の地に向いながら小さく溜息を吐いていたのである。
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