第350話 「不思議な書店」
古びた平屋の建物を見ながら訝しがるフランとジゼル。
2人は騎士など護衛の者同行の上で、何度もこの書店通りを訪れており、ここにはどのような書店が何軒あり、各店で扱う書物がどのような物か、ある程度把握していたからだ。
その2人が必死に記憶の糸を手繰ってもこの古めかしい店の事は思い出せない。
「ははっ、思い出せないのも無理はない。本来ここには無い店だし、今、この店が見えているのは俺達だけだからさ」
ルウの言葉にフランとジゼルは動揺する。
「旦那様? 今、何て?」
「え!? 本来無い? そして私達にしか見えないだって? 私には今、旦那様の信じられない言葉が聞えたぞ」
愕然とする2人にルウは穏やかな笑顔で応える。
「落ち着けよ、2人共。これから行くあの店は何者かが異界にて営業している店なんだ。こちらの世界と異界がほんの少しの接点で繋がっているのさ」
ルウの言葉に2人は目を見開いて息を呑んだ。
そんな2人を見ながらルウは話を続ける。
「本来ならそのような場所にお前達を連れて行く事などしないが、あの店から出る魔力波には悪意や殺気が全く無い。はっきり言うと俺達に来るように誘っているんだ。多分面白い経験が出来る筈だ」
ルウは2人を諭し、手を繋いで店に向かって歩いて行く。
フランとジゼルもこうなるとルウを信じるしかない。
3人は店の前に着くと屋根に掛かっている看板を見詰めた。
看板には『幻想』と記されている。
その時である。
3人の魂に壮年の男性の声が響いたのだ。
『ようこそ、我が素晴らしき店へ! ルウ・ブランデルとその妻達よ』
ルウだけは落ち着いているが、フランとジゼルは鋭い視線で辺りを睥睨していた。
これは高位以上の魔法使い間で使われる念話である。
店主らしい男はルウ達の魂に直接呼び掛けているのだ。
『ははは! そう警戒するな、ルウの妻達よ。そなたらの夫のルウが心配ないと申しておる、安心するが良い。それよりルウよ! 今やお前の忠実なる従士バルバトスの店が記憶なら、対抗してこの店の名は幻想と名付けた。どうだ? 中々良い名であろう?』
どうやら相手はこの店の名を誇らしげに感じているようだ。
ルウは相手の自慢に対して褒めてやる。
『ああ、良い名前だ。ところで俺達は店の中に入って良いのか?』
『この店にはお前達に見せたい魔導書がたくさんある。是非入ってくれ。特に見せたい本があるのだ』
店主はルウ達に入店を促すがフランとジゼルはルウに対して問い質した。
「旦那様、相手の意図は?」
「旦那様! この店はやはり怪しいぞ! 本当に大丈夫なのか?」
「ははっ、このような時、俺の言葉だからといって直ぐに信じ込まず、注意警戒する事は必要だし、正しい判断だ。だがここまで話して俺にはもう相手の正体と意図が分っている。だから安心して俺について来い」
「「はいっ!」」
はっきりと言い切るルウの言葉は確信に満ちたものである。
フランとジゼルにもう異論はなかった。
ルウに促された2人は彼の手を固く握りなおすと店に足を踏み入れたのである。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ルウ達が入り口から店に入ると、そこは不思議な世界であった。
高さが10mにも及ぼうかという書架が巨大な城壁のように数え切れないほど立ち並び、中にはぎっしりと新旧様々な本が詰まっているのである。
床はふっくらとした赤い絨毯が敷かれ、少し向こうには本をゆっくりと読めそうな、いくつかの重厚な木製のテーブルと豪奢な肘掛付き長椅子が置かれていた。
ご丁寧にテーブルの上には紅茶のセット一式まで置いてある。
ここまで来ると書店と言うより貴族や富裕層が利用するサロンか、大学の大型図書館に近い施設だ。
一体この小さい平屋の建物のどこにこのような内装が造れるのだろう。
フランは圧倒されたのか「ほう」と息を吐いてルウを見詰めた。
「旦那様、あんな小さな建物にこのような設備が収まるわけがありません。やはりここは何者かの造った『異界』ですのね」
「ああ、確かにここは異界さ。普通にはあり得ない事だからな」
ルウが答えると、今度はジゼルが首を傾げる。
「旦那様、瑣末な事だが書架の上の方の本は高い所にあり過ぎて取れないぞ。それに梯子も無い!」
そんなジゼルの疑問に答えたのは店主らしい念話の声であった。
『ははは、ルウの妻達よ。そこに抜かりは無い。この領域では書架の高い位置の本を取る為に、魔法使いでなくとも言霊を唱えれば容易に魔法を発動出来るようにちょっとした仕掛けをしてある――良ければ試してみるが良い』
店主の言葉を受けてルウは納得したように頷く。
『ははっ、俺は元々その魔法を使う事は出来るが……こういう事だな……浮べ!」
ルウが言霊を詠唱すると彼の身体がふわりと浮き上がる。
これは飛翔の魔法とはまた違って身体を浮かせたり、低速で飛べる浮遊の魔法である。
「多分、この異界の全域にこの浮遊の魔法が仕込まれているのだろう。お前達も詠唱してみると良い」
ルウの勧めに従ってフランとジゼルは言霊を詠唱した。
当然、魔力は込めていない。
「浮べ!」
すると大きな魔力波が2人を包み込み、身体があっという間にふわりと浮き上がる。
「あら!」「おおっ!?」
いきなり与えられた『自由』に対してフランとジゼルが喚声をあげる。
そして暫く飛び回るが、またそこに店主の声が響く。
『ははは! これでこの店の使い方の初歩を覚えて貰ったというもの。今後は取りたい書物を取れるだろう。だが今回は我がぜひ読んで欲しい書物を事前に選んでおいた』
コホンと軽く咳払いが響き、店主はとあるテーブルの傍に降りるようにルウ達に指示をした。
重厚な木製のテーブルの上にはこれまた茶色の古ぼけた装丁の1冊の本が置いてある。
ルウ達は早速地上に降りた。
そしてルウは直ぐにその本を手に取る。
表紙には――『追憶』と記してあった。
これがこの書物の題名なのであろう。
「追憶……か」
ルウが小さく呟くと一瞬のうちにその場が暗転し、景色が一変したのであった。
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