第338話 「同じ思いを」
ヴァレンタイン王国王都セントヘレナ中央広場、金曜日午後12時……
ロドニア王国リーリャ王女付きの侍女頭ブランカ・ジェデクが若い侍女数人を従え、王都の某商会で買い物を済ませた帰りの事……
彼女は昼時で喧騒真っ只中の中央広場にて何故か単独で馬車を降りたのである。
リーリャが昨夜に衝撃の告白をしたショックはなおもブランカの中で尾をひいており、彼女はただ独りになりたかったのだ。
ブランカは中央広場の人混みに揉まれながら、やっとの事で空いたベンチを見つけると疲れたように座り込んだ。
彼女は虚ろな眼差しで途切れなく流れる人々をとりとめもなく眺めていたのである。
自分がボリス国王から赤ん坊のリーリャを預かり、世話をするようになって早や16年。
彼女が若干18歳で今と違い1人の若き侍女であった頃だ。
当時は彼女の上司の侍女頭と乳母が居て総勢10名で赤子であったリーリャの世話をしていたのである。
しかし5年後にリーリャ付きである当時の侍女頭が縁あって結婚し、その後釜としてブランカが侍女頭に任命されるとリーリャが5歳の可愛い盛りである事もあって2人の関係はなお濃密となった。
はっきり言ってブランカはリーリャが実の娘のように可愛くて仕方がなかったのである。
その天使のような風貌と優しい性格をブランカは愛してやまなかったのだ。
昨夜のリーリャの告白でショックだったのが彼女の父国王ボリスの変貌であった。
悪魔に操られていたとはいえ、リーリャに死ねと命じるとは何という親であろうか。
そして傍に居ながらリーリャが窮地に陥って行くのを守れなかった自分の無力さが情けなかったのである。
更に1番大きいのは、そんなリーリャがもう自分から巣立って行くという寂しさなのだ。
「はぁ……」
ブランカは思わず大きな溜息を吐いた。
異国の街中であっても昼間のこの時間であれば自分が独り歩きしてもさすがに安全だろうとの思い込みがブランカにはある。
しかし豪奢な衣服を纏い、30代半ばで端正な顔立ちをした女盛りのブランカが男達に放っておかれる筈はなかった。
「おほう! 金持ちの姐さんったら寂しそうに溜息ついちゃってさ。俺が慰めてやろうか?」
「え!?」
見れば30歳前後の遊び人風の男が下卑た笑いを浮かべてブランカを覗き込んでいる。
それを見て現実に戻ったブランカは「結構です」と首を横に振ったのだ。
しかし男は諦めない。
「そんな固い事を言うなよ。なあ姐さんよぉ、どこか楽しい所へ俺と遊びに行こうぜぇ!」
何と男は無理矢理ブランカの手を掴んで、どこかに連れ去ろうとしたのである。
「やめて下さい!」
ブランカは男をキッと睨み、掴まれた手を振りほどこうとした。
しかし男は舌なめずりしながらブランカの手を放さない。
「ははは、遠慮するなって。あんた、男好きしそうな顔と身体じゃねぇか!」
――そこにたまたま1台の馬車と護衛の騎士数人が通りかかった。
馬車に乗っていたのはジョゼフィーヌの父であるジェラール・ギャロワ伯爵である。
財務大臣代行として午前中の公務が終わったので、一旦昼食を摂りに自分の屋敷へ戻る途中であったのだ。
ジェラールはリーリャ到着時に行われた宮中での歓迎晩餐会に出席した時にブランカの顔を覚えていて、ふと目を留めたのである。
「おおっ、これはいかん! おい! 馬車を停めろ」
ジェラールが命じて停まった馬車から急ぎ降り立つと、警護の騎士が何事かと馬を寄せて、これも地上に降り立った。
「閣下、どうされました?」
「話は後だ! 私に着いて来い!」
揉み合っている2人に一気に近付いたジェラールは男の腕を取り、逆に捻ったのである。
「い、痛てててて! 何するんだよ、この糞親爺!」
抵抗する男にジェラールはきっぱりと言い放つ。
「嫌がるご婦人をかどわかそうとするとは不埒で言語道断! お前はこの街の治安を乱すならず者だ。少し牢で頭を冷やしてくるが良い」
そこに逞しく若い警護の騎士が来てジェラールから男を受け取ると、拘束して連れて行った。
騎士は少し離れた所でこれまた駆けつけたらしい衛兵に男を引き渡している。
そのような様子をブランカは魂が抜けたように放心して眺めていた。
「危ない所でしたな。一体どうされたのです?」
「…………」
ジェラールが声を掛けてもブランカは無言であった。
ショックの余り気が動転しているようだ。
そんなブランカを見てジェラールはしまったという表情をする。
「ははは、これは失礼。立ち入った事を聞いてしまったようですな。ここは結構あのような輩が居るのですよ、よかったらホテルまで馬車でお送りしましょう」
「…………」
それでも返事が無いのでジェラールは訝しげにブランカを見詰めた。
するとブランカは俯き、目に一杯涙を溜めていたのである。
「少し落ち着かれた方が良い。丁度質の良い美味しい紅茶が手に入ったのでな。大したお持て成しも出来ないが我が家にいらっしゃると良い。さあさあ!」
ジェラールはそう言うとブランカの手を引き、待たせていた馬車に乗せたのであった。
―――その馬車の車中。
「確か貴方様は……ギャロワ伯爵様……でしたね。私はロドニア王国リーリャ王女様付き侍女頭のブランカ・ジェデクでございます。危ない所をお助け頂きありがとうございました。先程は色々と無作法な振る舞いをして失礼致しました」
ブランカは漸く落ち着いたと見えてジェラールに弱々しく微笑んだ。
「良かった! やはり貴女のような美しい方には笑顔が良くお似合いだ」
美しい?
私が?
どうせ……お世辞でしょう。
天使のようなリーリャ王女の傍に自分が居ると誰もが皆そう言うのだ。
王女の機嫌を取る為、ほんのついでに……
ブランカはそう言われる事に慣れていたのである。
そんな事から再度、黙ってしまったブランカ……
俯く彼女をジェラールはこちらも無言で見守っていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ジェラール・ギャロワ伯爵邸大広間、金曜日午後1時過ぎ……
ブランカの昼食が未だだと聞いたジェラールは急遽、もう1人分の食事を料理人に作らせた。
彼女は遠慮したが、1人の食事は味気ないとジェラールは強調し、そして2人は簡単な昼食を共にしたのである。
食後の紅茶を啜りながら、ブランカは思わず笑顔になる。
「伯爵様、本当に美味しゅうございますね、このお茶は……」
「気に入って頂けたようですな。この紅茶は余りこの国に入って来ない名品のお茶でしてね。娘の嫁ぎ先と関係のある某商会から分けて貰ったのです、いわば婿殿の口利きですよ、ははははは」
ブランカはこの屋敷に来て夫人の姿が無い事に気付いていたが、敢えて聞くのは失礼であると考えていた。
「嫁がれたお嬢様がいらっしゃるのですか?」
「ああ、私は18歳で結婚して8年後に妻を亡くしましてな。彼女の忘れ形見である娘を手塩にかけて育てましたが……好きな男が出来てさっさと嫁いでしまいました。本当は婿を取ってこの家を継がせたかったのですが……娘が幸せになるのならと許しましたよ」
ジェラールは遠い目をしながら寂しそうに語る。
あ、ああ……
この方は……私と同じだ……
これから私の可愛いリーリャ様を嫁がせる、この私と……
ブランカはそう思ってジェラールをじっと見詰めたのであった。
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