第337話 「リーリャのカミングアウト」
時間は少し遡る。
ルウの魔道具研究B組の入室試験が行われた木曜日の晩の事……
ここホテルセントヘレナのスイートルームではこれからある秘密の話がされようとしていた。
話すのはロドニアの王女リーリャ・アレフィエフと同王宮魔法使いラウラ・ハンゼルカの2人。
対する聞き役はロドニア騎士団副団長マリアナ・ドレジェルと同侍女頭ブランカ・ジェデクである。
このような場合、生粋の武人であるマリアナは黙って話を聞くと決めているらしい。
手を膝に置いて黙って目を閉じていた。
だがリーリャの事を、赤ん坊の頃から面倒を見てきた侍女頭のブランカは、話の内容が気になって仕方がないらしい。
「リーリャ様、急に話があるとはどのような? ……それも聞く所によるとラウラ殿は事情をご存知の様子、一体何のお話でしょうか?」
「ええ、マリアナにブランカ……これはもう2人に話しても良いと、ある方から許可が出たのでお話しする事なのです」
ブランカが見る限りリーリャの顔付きはとても真剣な様子である。
彼女はまたリーリャの身の上に何かとんでもない厄事でも起こったのかと気になった。
だがロドニアを出発した時のリーリャの寂しい表情から比べれば、とても晴々としていて暗い影は全く無い。
それを見たブランカは安心してホッと息を吐く。
しかし……『ある方』とは誰だろう?
彼女の父である国王、ボリス陛下だろうか?
ブランカがそんな事を考えているとリーリャの話が始まった。
リーリャが伝える事は全て事実ではない。
後々の事を考えて、所々脚色をしてあるのだ。
「これから話す事は厳秘です。絶対に2人の胸に秘めて置いて下さい。もし誰かに話そうとでもしたらその部分の記憶が無くなります」
記憶が無くなる?
それは……もしや魔法だろうか?
リーリャの話は衝撃的な内容から始まった。
「私が国を出発する時、父は怖ろしい悪魔に取り憑かれていました。2人ともあの、凄まじい欲に染まり、醜い野望に狂った父の姿を覚えているでしょう」
リーリャが遠い目をして問い掛けても2人は無言であった。
「…………」「…………」
「父はヴァレンタインを攻め滅ぼす為に私に留学の名を借りて潜入しろと命令しました。いつか起こるであろう私への無作法を理由に何かヴァレンタイン側に難癖をつけて弱みを作れと! それを理由にロドニアは大軍をもって攻め入る口実にするつもりだったのです。マリアナ……貴女達も事が起こった際の先兵として使われる予定でしたし、そう命じられている筈です」
「…………」
リーリャの言葉に対してマリアナは相変わらず黙って目を瞑っている。
沈黙しているのは……どうやら肯定という事らしい。
「万が一、我々の企みが露見した場合、父は私に死ねと命じました」
今迄黙っていたマリアナがカッと目を開き、リーリャをじっと見詰めた。
ブランカはその前に身体をわなわなと震わせている。
「やがて悪魔は私にも接触して来たのです。そして私に『闇の魔女に堕ちよ』と囁き、私は闇に囚われそうになりました」
「リーリャ様!」
思わず大声が出たブランカだったが、リーリャは微笑んで首をゆっくりと横に振った。
「大丈夫ですよ、ブランカ。この通り、私は無事です。すんでの所で私はある方に救われたのです」
「あ、ある方!?」
「はい! その方は私を襲った悪魔を軽々と打ち破り、逆に従えてしまいました。それどころか別の悪魔によって殺されるところであった父上達をも救ってくれたのです。すなわちその方は私の恩人でもあり、ロドニア王国全ての恩人でもあるのです」
「そ、そ、それは……一体!?」
そのような大事があったとは……
ブランカは初めて聞く衝撃の事実を聞いて思うように声も出ない。
「その方は名乗らず私の下を去ってしまいました。そしてやっとの事で見つけ出しても恩賞や栄達など望まず私に幸せに暮らせと優しく申してくれました」
「そ、そのような方がいらっしゃったのですか?」
王女とロドニアを救って何も望まない……
ブランカにはそのような人間が居るとは信じられなかった。
「ええ、私は……無欲なその方がとても好きになりました。そしてとうとうある日その思いを告白しました……お慕い申し上げていると!」
「リーリャ様!」
「私が好きですとお伝えしても……あの方には最初、私の想いを受け入れて頂けませんでした。私は諦めずに何度かお話しするうちに、あの方はとうとう私をしっかりと抱き締めてくれたのです。その時、私は決めました、いずれこの方の花嫁になる事を……ラウラもそれを認めてくれました」
ラウラがリーリャの思いを認めたと聞いてブランカは慌てて問い質す。
「え、ええっ! もしやラウラ殿! あ、貴女は会っているのですね、リーリャ様がお慕いしていらっしゃる方に!」
「はい、お会いしていますわ。それどころか、その方にはブランカ殿も既に会っていらしゃいますわ」
「わ、私が!? 既に? あ、会っている? ま、まさか!?」
うろたえるブランカを見てリーリャは彼女に記憶を呼び覚ますように促した。
「そうよ、ブランカ。魔法女子学園の担任であるルウ・ブランデル先生がその人よ」
ブランカの脳裏に黒髪、黒い瞳を持つ異相の青年の顔が浮かび上がる。
しかし彼は平民であって、王族であるリーリャとは全く身分が違う筈だ。
「あ、あああ……あの方が……でもお父上様には何と仰るのですか? あの方は確か平民でございます。王族であるリーリャ様とは身分が、世界が違い過ぎますよ」
王族と平民という身分の格差を心配するブランカを見てリーリャは軽く微笑んだ。
「うふふ、あの方には実はもう奥様が何人かいらっしゃるのですよ。その殆どが貴族の令嬢なのです。それにロドニアの恩人たるルウ様に平民とか蔑視をしてはいけないのではないですか?」
「わ、私は!? べ、蔑視などとは! そ、それに既婚者なのでございますか!? となるとリーリャ様は正室では無いという事になるのでは!」
必死で取り繕うブランカに対してリーリャは悪戯っぽく微笑んだ。
「うふふ、ブランカに悪気が無い事は分っています。それに私は正室でなくても構いません。そもそもルウ様を平民などという枠に当てはめてはいけないのです。あの方は……世界で1番凄い魔法使いなのですから」
「リーリャ様、せ、世界で1番の魔法使い!? でございますか? ラウラ殿、ほ、本当ですか!?」
震える声で聞くブランカにラウラは自信たっぷりに答えたのである。
「はい! 私から見ましてもあの方以上の魔法使いは存在しますまい……実は私も弟子入りさせて頂きました」
今度はそれを聞いたマリアナが怪訝な表情を浮かべた。
「そ、それは本当か? ロドニアの王宮魔法使いたるラウラが弟子に? いくら魔法王国といえるヴァレンタイン王国でも、彼は王宮魔法使いでも無い、単なる1人の教師ではないか!」
ブランカほど取り乱してはいないが、マリアナも半信半疑といった感じだ。
しかしラウラはゆっくりと首を横に振った。
「……リーリャ様の仰って居る事は大袈裟な話ではありません。ルウ・ブランデルという男は確かに桁違いの魔法使い、だが決してそれだけではないのです。私は彼の大きな人柄にも触れてリーリャ様をお任せしても良いと考えましたから」
そう答えるラウラの表情はリーリャを心の底から信じる気持ちに溢れたものだったのだ。
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