第329話 「アドリーヌの生い立ち」
魔法女子学園ルウ・ブランデル研究室、水曜日午前10時……
ルウは未だに殺風景な研究室の中を見回した。
書架には相変わらず教科書が数冊しか置かれていない。
そろそろ魔導書等いろいろな資料や魔道具を置かないと……
そのように思ったのだろうか、表情は苦笑いといった感じだ。
コンコンコン!
ドアが軽くノックされる。
「アドリーヌです。ルウ先生、いらっしゃいますか?」
受講希望者を決定する試験を唯一行うクラス、それがルウの担当する魔道具研究のB組である。
第1時限の授業の後、ルウはフランに了解を貰って副担当のアドリーヌ・コレットと試験の用意をすべく研究室にて打合せをする事になったのだ。
アドリーヌも2年A組のクロティルド・ボードリエに許可を貰ったのは言うまでもない。
「おお、アドリーヌ。鍵は掛かっていないぞ、入ってくれ」
ルウが入室OKの返事をするとアドリーヌはゆっくりとドアのノブを回し、静かにドアを開けて中を覗き込んだ。
「し、失礼します! うわぁ……意外に何も無いですね」
「ははっ、ここに来た人は皆がそう言うよ。そろそろ荷物を置きたいと考えているんだけどな」
ルウは部屋に入って来たアドリーヌに肘掛付き長椅子に座るよう勧めると、自分で持ち込んでいたお茶を淹れるセットから、茶葉とお湯を入れたポット、カップを2つ運んで来た。
カップはお茶が冷めない様に温めてあるのは当然だ。
「いつも紅茶だと飽きるだろうから、今日はアールヴが作った特製のハーブティーだ」
ルウはそう言うとポットからお茶をカップにゆっくりと注ぎ込んだ。
爽やかなハーブの香りが立ち昇る。
「ええっ、本当ですか!? 凄く嬉しいです」
アドリーヌは鼻をカップに近づけるとにっこり笑って頷く。
「うふふ、これはローズヒップですね。それにいくつか違う香りも微かに混ざっています」
「ははっ、ご名答だ。ローズヒップはアールヴの間でも美容に良いとされているからな。ケリー、いやケルトゥリ教頭もアールヴの里に居る時は毎日飲んでいたぞ」
ケルトゥリが毎日飲んでいたと聞いて、アドリーヌは一瞬吃驚したが直ぐに笑顔を浮かべた。
「教頭がですか? うふふ、じゃあ教頭のような美人になれるように……頂きます」
ルウとアドリーヌはハーブティーを啜ると顔を見合わせて微笑む。
アドリーヌは目を閉じて味と香りを楽しんでいるようだ。
「どうだ? アドリーヌの口に合うかな?」
「凄く美味しいです! お代わりしても良いですか?」
「ああ、茶葉はたっぷりあるからな。いくらでも飲んで良いぞ」
暫しハーブティーを楽しんだ2人であったが、アドリーヌはルウに問う。
「校長って……心配じゃあないのですか? ルウ先生と私が2人きりで打合せしても」
同僚と言っても愛する夫が他の女性と2人きりでこうやって話すのが、妻であるフランシスカ校長からするとどうなのだろう? とアドリーヌはふと考えたのだ。
もし自分だったら……嫉妬してそんな事は決して許さないだろうと。
「ああ、フランなら大丈夫だ。お互いに分かっているからな」
そう……なんだ!
う、羨ましい!
やっぱり2人は愛し信頼し合う関係なんだ。
だったら私も……
アドリーヌはルウの漆黒の瞳を見詰めながらそう思う。
彼の瞳に身体が吸い込まれそうな危さを感じるが、彼女にはそれが逆に心地良いのだ。
「ははっ、じゃあ早速明日の試験の打合せを始めるぞ」
ルウが打合せをしようと持ちかけるとアドリーヌはそれに待ったをかけた。
「えっと……その前にお願いしたいんですが」
「何?」
「こ、この前のお食事会でも余り話せませんでしたし、もう少しルウさんの事を教えて頂きたいのですが? これから授業を補佐して行く為に……ひ、必要です」
アドリーヌのルウへの呼び方が『さん』付けになったのを聞いても分るようにこれは彼女がありったけの勇気を出して切り出した話である事がうかがえる。
ルウは知ってか知らずか表情は穏やかなまま変わらない。
「ははっ、でもアドリーヌが知っている事が殆どだと思うぞ」
「構いません、お、お願いします。ルウさんの口から聞きたいのです」
「分かった。だったら……」
ルウはアドリーヌの言う事は了解したが、何か頼みたいことがあるようだ。
「だったら?」
「そういう事ならアドリーヌの事も教えてくれないか?」
ルウが自分の事を知りたいという要望にアドリーヌは意外だという表情だ。
それを見たルウがにっこりと笑った。
「駄目かな? 無理にとは言わないけど」
「私の事ですか!? よ、喜んで!」
教えます! という言葉を飲み込んで大きく頷いたアドリーヌであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ルウの話を聞き終わったアドリーヌはふうと溜息を吐いた。
あまりに波乱万丈な彼の人生に圧倒されてである。
10歳の時、記憶を失くして森を彷徨っていた事。
アールヴのソウェルに保護されて魔法使いとして厳しい修行を課せられた事。
ソウェルの死を機に20歳になって世界を見たいと思いアールヴの里から旅に出た事。
途中でフランを魔物から助けた事。
それが縁で魔法女子学園の臨時教師になった事。
フランと結婚し、その後に何人か妻を娶った事。
さすがに妻が誰とは具体的に言わなかったが……
アドリーヌには話せない事や瑣末な事もあるのでルウは彼女に全ての事を話したわけではない。
しかしアドリーヌからしてみれば、初めてルウ本人から聞いた身の上である。
ルウの事を知る事が出来て彼女はとても満足だったのだ。
「じゃあ、今度はアドリーヌの番だ」
「はいっ! 上手く話せないかもしれませんが……」
ルウに促されたアドリーヌは嬉しそうに頷いた。
「私はコレットという辺境伯の娘で兄と姉が居ます。末っ子ですね」
アドリーヌは順を追って話をして行ったのである。
コレット辺境伯の管轄地はヴァレンタイン王国王都セントヘレナの遥か東南に位置する場所だ。
よく言えば自然に満ち溢れた、悪く言えば文字通り辺境地で何も無い土地である。
アドリーヌはその地の城館で生まれ、魔法女子学園入学前の14歳までそこで育った。
10歳の時に前触れも無くいきなり魔力が大幅に上がり、両親は慌てて女性の魔法使いを呼んで家庭教師とする。
まず生活魔法を完璧に覚えたアドリーヌであったが、家庭教師の得手が魔道具と占術だった事もあり、アドリーヌはその2つを主に学んで行った。
元々アドリーヌの性格が大人しく内向的な事もあって彼女は魔法を使った戦闘行為や召喚には全く興味が湧かなかったせいもある。
そしてアドリーヌが14歳になった年。
当時のコレット家には20歳の長男が居り後継者は、ほぼ万全であった。
18歳の長女は隣の領地を管轄するダロンド辺境伯の2人の息子のうち、長男に嫁がせて周囲との兼ね合いも問題無し。
ちなみにダロンド辺境伯とはアドリーヌの幼馴染で、ヴァレンタイン王国騎士隊所属の騎士フェルナン・ダロンドの父である。
家庭教師はアドリーヌの才能を見込んで父コレット辺境伯に対して上申する。
彼女をヴァレンタイン魔法女子学園経由で同魔法大学に行かせるべきだと。
家庭教師の話を聞いた父はアドリーヌが戦闘系の魔法使いではない事に少々落胆したが、魔法鑑定士になれば嫁ぎ先には困らないし、嫁ぐまでは家を助けて貰える……そう判断してアドリーヌの入学を許可したのである。
「ははっ、良かったなぁ……うん? でもそれって?」
「気付きました? ルウさん」
「ああ、魔法鑑定士にはならなかったんだな」
「はい……私は魔法鑑定士にはならず母校である魔法女子学園の教師になりました。父との確執はそこから始まったのです」
アドリーヌはそう言うと先程とは比べ物にならないくらい大きな溜息を吐いたのであった。
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