第315話 「失われた思い出」
「貴方様が……ルウ……ブランデル様でございますか?」
ベッドに寝たままのマルグリット・アルトナーは唇を震わせながら漸くルウに話し掛ける事が出来た。
青年は相変わらずの優しい笑顔で即座に言葉を返す。
「ああ、俺がルウさ。もう身体は大丈夫そうだな」
彼の屈託の無い笑顔にホッとしたマルグリットは今、自分が置かれている状況を知りたいと思ったようだ。
「もしや貴方様が治療を? どうして私はここに? 貴方様は何故私を助けてくれたのですか?」
そんなマルグリットの矢継ぎ早の質問にも全く嫌な顔などせず、ルウはゆっくりと話し始めた。
「ははっ、最初から説明しようか。街で貴女が持っている店を見つけた俺が借りたいと思ったのがきっかけなんだ。でもどのように借りたら分らなくて色々と聞いて貴女の家に辿り着いたってわけさ」
「…………」
「見つけた時、貴女は瀕死の状態だった。余計なお世話だったかもしれないが、俺の治癒魔法を使わせて貰ったんだ。病の方はもう大丈夫だろう。少し休めば体力も回復する筈だ」
そのように語るルウをマルグリットは複雑な表情で見詰めている。
暫くの間を置いて、彼女は絞り出すような声で礼を言うが、同時に辛かった気持ちも告白する。
「……あ、ありがとうございます! ……しかし私は今や天涯孤独の身の上。夫を失ってからは自分1人きりの老い先短く辛い人生を、ただ惰性で生きて行くしかなかった。本音を申し上げますと……いっそ死にたいと思っていたので良くなってしまって残念でございます」
切々と訴えるマルグリットの言葉をルウは黙って聞いていた。
やがて彼は慈愛の篭もった目で彼女を見詰めた。
「貴女は愛する夫に先立たれて生きる気力を失っていたようだな。ただこれも何かの縁さ。悪いが店の件で少し俺に付き合って貰うよ」
ルウがマルグリットを助けるきっかけとなった中央広場にある店。
夫との色々な思い出が詰まったあの店はもう自分の手に戻る事は無い。
そう思うと老いたマルグリットの目からは止め処も無く涙が溢れて来る。
「あ、貴方様が『縁』だと仰った……夫との楽しい思い出に彩られた、素晴らしいあの店は……残念ながら……も、もう私の物では無いのです」
思い出の場所を失い悲しみに暮れるマルグリットはそっと目を伏せた。
そんなマルグリットを労わるような口調でルウは言葉を掛けた。
「知っている。鉄刃団とかいう、ならず者共が不当に取り上げたそうだな……気の毒に」
ルウの労わりを感じたのであろうか。
マルグリットは顔を上げて唇を噛み締める。
「そこまでご存知でしたか? 鉄刃団は法外な利子の借金と恫喝で私から店を奪いました。そして、もし私が違法な取立てを衛兵隊に訴え出たら、彼等は私が住んでいる街ごと潰すと脅したのです」
街ごと潰すとは大きく出たと、ルウは眉間に皺を寄せる。
「成る程、ところで借金は一応は無くなったのだな」
「はい……それはさすがに……彼等から証書は返して貰いました」
悪辣な鉄刃団もさすがに店と引き換えに証書は渡してくれたらしい。
証書さえ無ければ、後は鉄刃団とルウのやり方できっぱり片をつけるだけだ。
「まあ……任せろ!」
ルウのいきなりの宣言に対してマルグリットは、ぽかんと口を開けてしまう。
「は!?」
「任せろと言ったのさ。貴女の店を俺が取り返してやるよ。街の人にも迷惑を掛けないやり方でな」
ルウの言葉を聞いたマルグリットは信じられないといった面持ちだ。
「え、ええっ!?」
「そして店は改めて俺が借りる。ちゃんと貴女に家賃を払ってな」
そう言って片目を瞑るルウ。
ルウの笑顔にマルグリットはやはり亡き夫の面影を見たのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
王都中央広場土曜日午後8時……
「馬鹿野郎! 気をつけろ!」
ふらふらと歩いて来た酔っ払いが自分にぶつかった瞬間、容赦なく拳を叩き込み地に伏せた若い男が居る。
「ぺっ! ふざけんじゃあねぇぞ!」
忌々しげに唾を吐き、罵る男の年齢は20代後半ぐらいだろう。
金髪で長身の男はくたびれた茶色の革鎧を身に纏い、ショートソードを腰から吊っていた。
昼間ルウに懲らしめられた鉄刃団のニーノである。
彼は中央広場をとりとめもなく巡回し、金のありそうな者を探していたのだ。
それには理由があった。
「ん? そこの法衣を着た兄ちゃん! ちょっと来いよ」
彼の傍らを通りかかったのは1人の豪奢な法衣を纏った青年であった。
長身で痩躯のその青年は顔をフードで隠しているが、忘却の魔法が無ければその見覚えのある風貌にニーノは反応した筈である。
青年は立ち止まってニーノにゆっくりと返事をした。
「何だね」
「あんた、金……持っていそうだなぁ。ちょいと見せてくれねぇか? そしたら良い事を教えてやるよ」
法衣を着た男は黙って頷くと懐から重そうな財布を見せる。
覗き込んだニーノは下卑た笑いを浮かべた。
中には金貨が20枚以上は入っていたようだ。
乾いた唇を舌でぺろりと舐めたニーノは彼の今の仕事である『仲介』を行う。
「おほう! 持っているねぇ。なぁ兄ちゃん。もっと……それを増やしたくねぇか?」
ニーノにそう言われた法衣姿の男は目深に被ったフードの奥で、目をいかにも物欲しそうに光らせる。
「悪くないな……」
「だろ! じゃあこっちに来いよ」
男が了解したと見て、ニーノは黄色い歯を剝き出して笑うと法衣の男の袖を掴み、そのまま路地裏に引っ張ったのである。
そして―――15分後
1台の馬車がスラム街に停まった。
ここはさらに目立たない裏通りの、とある古ぼけた建物の前だ。
マルグリットの店と同じガーブルタイプであったが、こちらは元宿屋であった建物らしく規模はずっと大きい。
「さあ、降りた、降りた」
若い男に促されて降りたのはあの法衣姿の男である。
という事はここに法衣姿の男を連れて来て案内しようとしているのはニーノだ。
法衣姿の男が馬車から降りるとニーノは愛想笑いをして建物の入り口に連れて行く。
入り口には見張り役としてだろうか、やはり昼間のあの男……ラニエロが腕を組んで立っていたのである。
ニーノはやったとばかりに得意顔でラニエロへ注進した。
「ラニエロ兄貴……カモ……じゃあなかった。良いお客さんを連れて来ましたぜ」
ラニエロは法衣の男を値踏みするように見詰めてからにやりと笑った。
「ふふふ、お客さん。鉄刃団の本部へようこそ! 奥に入ってくれよ。ニーノ、良いか? ここからは俺が案内するぞ」
それを聞いたニーノが不満そうな表情を浮かべる。
「兄貴! そりゃないぜ。この客は俺が連れて来たのに」
「馬鹿野郎! お前はさっさと中央広場に戻って次の客を見付けて来い!」
居丈高に言い放ち、弟分を追い払うラニエロ。
2人は法衣姿の男の口角がフードの奥で僅かに上がったのを知る由もなかったのであった。
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