第31話 「慕情」
「どうぞ」
ルウのノックに応え、ケルトゥリの声が部屋の中から聞こえた。
アデライド、フランと共に教頭室に来た時、ケルトゥリは不在であった。
なので、ルウが教頭室へ入るのは初めてである。
扉を開けると、室内の光景がルウの目に飛び込んで来た。
広さは、理事長室の約半分。
約10畳程度の部屋くらいだろう。
正面に机と椅子が置いてある。
そして扉から向かって右側に、シックな造りの応接セット、左側には魔導書が置かれた本棚が並んでいた。
ケルトゥリは正面の椅子に座っていたが、立ち上がると……
応接セットの椅子に座るよう、ルウへ勧めてくれた。
先程とは表情は一変しており、柔和な笑みを浮かべている。
まるで知己に久々に会ったような懐かしさに満ち溢れていた。
「久し振り……ルウ」
「それはこっちのセリフだ、ケリー」
「そう?」
「ああ、そうだ。5年前に突然居なくなって心配したんだぞ。まあ、無事で良かったけどな」
そう言い、ルウは穏やかに笑った。
釣られて、ケルトゥリも微笑む。
「まあ、いろいろと思うところがあったのよ。それより……風の便りで聞いたわ。シュルヴェステル様は……亡くなられたそうね」
「うん、残念ながら。……それで俺は里を出て来たんだ」
「…………」
「爺ちゃんは、お前がソウェルを継げって言ったけど……人間の俺には到底無理だからな、ソウェルなんて」
ルウの言葉を聞いたケルトゥリは、肩をすくめた。
アールヴの中で、魔力に秀でた者は皆、一族の長ソウェルを目指す。
最終的には……
現ソウェルからの指名で、ソウェルは決まる。
だが断った者など、当然、居ない。
かくいうケルトゥリも、ソウェルを目指していたひとりであった。
ケルトゥリは思い出す……
10年前、シュルヴェステルが、……
森の中を彷徨っていたという、『記憶を失った人間の少年』をいきなり拾ってきた時……
「何を考えてるの?」と思ったものだ。
しかし歴代のソウェルの中でも、卓越した実力の持ち主とされるシュルヴェステルの眼力は伊達ではなかった。
ルウ・ブランデルという10歳足らずの少年は、めきめきと頭角を現したのである。
アールヴ族はそもそも排他的だ。
人間の国へ出る者を除いては、一族だけで暮らしている。
他者から、干渉される事を好まない。
ルウは最初疎まれ、完全に無視された。
しかし彼はさして気にした様子もなく、里の誰にでも明るく接した。
加えて……
シュルヴェステルが与える課題を、次々とこなしていったのである。
そしてルウが、里に来て3年目の夏……
とうとう、その日はやって来たのだ。
アールヴの行使する魔法の真骨頂は、地・風・水・火……
4大精霊の力を行使する精霊魔法である。
彼等は精霊の加護を受ける為、一生に一度、精霊降臨の儀式を受ける。
人間で言えば、属性適性の確認。
と、考えれば分かり易いであろう。
その日、儀式を受けたのは……
ルウを入れて、次期ソウェル候補と言われる10人である。
シュルヴェステルは未来を見通す魔法により、精霊の加護を受ける偉大なる者の出現を事前に予言していた。
だが、そのようなとてつもない才能を持つ者は現れてはいなかった。
ちなみにケルトゥリも以前に儀式を受け、土の精霊と水の精霊の祝福と加護は受けていた。
やがて……
儀式は始まった……
様々な属性の精霊が現れ、各人に祝福と加護の証を与えて行く。
……最後にルウの番となった。
その時、目にした光景を……
ケルトゥリは一生忘れないであろう。
何と!
火蜥蜴、風の精霊、水の精霊、そして土の精霊が一度に現れたのだ。
目を閉じたルウに対し、精霊達は親し気に戯れながら、まるで旧友との再会を喜ぶように踊りまくった。
アールヴ達が見守る中……
ルウは4大精霊、『全て』の祝福と加護を受けたのである。
偉大なる全属性魔法使用者の……誕生であった。
その瞬間、誰もが知った。
シュルヴェステルが予言した、『偉大なる者』とはルウの事だったと。
その日以来……
ルウの持つ、魔法の才能は一気に開花した。
里に来て4年目を過ぎると……
シュルヴェステルはもうルウに掛かりきりとなった。
ケルトゥリ達の修行の指導は他の長老達が受け持ったが……
扱いの差は歴然としており、修行を放棄して行く者も少なくなかったのである。
しかし……
ケルトゥリはそれでも、2年間そのまま修行した。
通常レベルからすれば……
ケルトゥリも充分過ぎるくらい、上級魔法使いとしての評価ではあった。
だが、あまりにもルウが規格外過ぎた。
悩んだケルトゥリは、考え抜いた末に決意する。
自らの糧になればと……
異なる魔法体系の習得を求め、人間界へ旅立ったのだ。
突然、誰にも言わずに。
誰にも告げずに里を出た事で、心配を掛けた事は当然、承知していた。
そのような経緯はあったが……
ケルトゥリは、ルウの事がけして嫌いではない。
自分に懐いたルウを弟のように可愛いと思っていたし、純粋に彼の実力を認めていた。
勝つ事を諦めてはいなかった。
大いなる目標として、人間の世界で腕を磨こうと、ライバル心を燃やしていたのだ。
「ルウ、さっきのは貸しだからね」
ケルトゥリが『貸し』と言うのは、ルウの牝牛発言フォローの件であろう。
実のところ……アールヴには、牝牛=女神信仰など無い。
ケリーの授業を、いろいろ手伝えって事か……
ルウは僅かに苦笑する。
フランの事が少し気になったが……
やってみて、改めて考えれば良い事だと思う。
「分かった」
ルウが笑顔で頷くと、ケルトゥリは満足そうに頷いた。
しかし、すぐ眉間に皺を寄せてルウに問い質す。
「あんたが……シュルヴェステル様に後継者の指名を受けたのなら、いろいろあったでしょ? ……リューは何て言っていたの?」
「ああ、絶対にお前をソウェルにするって言っていたな」
「やっぱり!」
ケルトゥリは苦笑し、再び肩をすくめた。
彼女がリューと名を呼んだのは、リューディア・エイルトヴァーラ。
ケルトゥリの実姉で、やはりソウェルを目指して修行していた人物である。
一族の長である、シュルヴェステルに心酔し、彼の命令や考えには絶対服従するという考えの持ち主であった。
「ああ、俺のせいで喧嘩になったんだ」
あくまでもソウェル、シュルヴェステルの遺志を尊重しようとするリューディア達に対し……
「人間などでは、ソウェルになれない!」と他の長老達は強硬に反対した。
両者は激しい口論を交わし、挙句の果てに実力行使も辞さない雰囲気になったのである。
両者の争いを見かねたルウは……
里を出て行く決意を固めた。
元々、自分は人間であり、10年前にこの里に現れた異邦人に過ぎない。
自分がアールヴの里にいるせいで、不毛な戦いが起きてしまうと。
当然、リューディアには気持ちを伝え、後を託した。
そうでもしないと、彼女は自分の後を追って来てしまう。
……結局、リューディアはしぶしぶルウの命令を受け入れる。
彼女の中ではルウが既にソウェルであり、命令は絶対なものだからだ。
こうして……
ルウはシュルヴェステルが亡くなって丁度1ヶ月目の晩、そっと里から姿を消したのであった。
ルウらしい……
経緯を聞いた、ケルトゥリはそう思う。
「誇り高く崇高」と言われる森の住人であるアールヴにも……
人間同様、上昇志向や権力志向などの『欲』はある。
だが……
ケルトゥリが見る所、ルウは穏やかな性格は勿論、そういった欲望が無いのだ。
ソウェルになる!
全てのアールヴにとっては甘美な響きだ。
ケルトゥリも、自分が指名を受けたら、ぜひなりたいと思っている。
そう、アールヴだって……自身の才能を誇れるよう高めたい。
願うと共に、才能に見合う栄誉も欲しい。
アデライドから魔法女子学園への誘いを受けた時……
悩みに悩んだ末、受け入れたのは、「王家の宮廷魔術師に匹敵すると言われる、この学園の理事長になれれば」という気持ちからでもあった。
しかし、ルウはソウェルの指名を放棄していた。
その事実を知った今は、もっと実力をつけて里へ戻り、またソウェルを目指しても良いと考えている。
そして気になるのは、ルウとあのフランシスカの間柄だ。
「で、あんたは何で、あの、とんでもない姫様の従者になる羽目になったのよ?」
「とんでもない姫様って? ああ、フランの事か?」
苦笑したルウは、差し障りのない程度に経緯と理由を話す。
話の最後に……
「フランを守ってやりたい」というルウの言葉に……
ケルトゥリは自分の胸に、小さな棘が刺さるかのような錯覚を感じる。
このもやもやした不快感は……一体、何だろう?
ケルトゥリは複雑な表情で、ルウの話を聞いていたのである。
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