第304話 「願望の狭間で」
続いてルウ達の前に現れた悪魔はヴァッサゴである。
彼が人化したのは緋色の衣を纏った壮年の男性の姿だ。
冥界の大公と呼ばれる彼は以前から面会を求めていたが、ルウは漸く彼に会ったのである。
しかしヴァッサゴはルウに待たされて怒った様子も無く穏やかな表情を見せていた。
ヴァッサゴは開口一番ルウに問う。
「そなたがルシフェル様の使徒か?」
それに対してルウは彼と同じく穏やかな表情を浮かべて答えを返した。
「ああ、皆からそう言われる。ただ俺の行動は彼の意思全てに基づいたものではない。彼と契約したのは自分の考えと賛同出来る部分があるからに過ぎない」
ルウの答えにヴァッサゴは少し驚いたような表情を見せる。
ルシフェルという大いなる存在に対して彼の従士ではないと言い放つルウに興味を持ったようだ。
「ふうむ……」
考え込むヴァッサゴにルウが逆に問い質す。
「ヴァッサゴ、今度は俺からお前に聞こう? お前の真の意図を……『魂の秘法』に興味があるのか?」
「……興味が無いと言ったら嘘になる。地に堕とされし我の貴重な知識はこのままでは埋もれてしまう。加えてもっともっと多くの知識を知り、己を高めたい。それには人の子となりて自分の可能性に賭けるという行為は子供のようにどきどきするものがある。高めた知識を彼等人の子達に受け継がせるのも本当に楽しみだ。だが我等の悲願を差し置いて、独り人の子となり平穏無事に過ごすのはどうかとも考えたのだ」
ヴァッサゴが語った事は彼の新たな生きがいといっても良く、ルウは他にも多くの悪魔がこのように悩んでいるのだと改めて想像したのである。
ルウは先程、パイモンから悪魔達が何人もこのように悩んでいると打ち明けられている。
「お前のような悪魔が多く居るとパイモンからも言われておる」
「さすが西界王殿だ。我々悪魔の気持ちを良く知っておる」
ルウの言葉を聞いたヴァッサゴは満足そうな笑みを浮かべた。
「人の子の革新をルシフェル様と共に手助けして行くという悲願は簡単に達成出来るものではない。また人の子の資質である無限の可能性というものを羨む気持ちが我にあるのも確かだ」
本音を隠さず穏やかな口調で話すヴァッサゴは悪魔らしくない正直な印象を受け、かつ温厚な性格も窺える。
ルウは気持ちを思わず口に出す。
「正直な奴だな、ヴァッサゴは」
「ははは、ルシフェル様の使徒であるそなたには隠し事など出来ぬ故……」
そんなヴァッサゴに対してルウは提案をする。
「良ければ禁呪を使う前に人化して王都で暫く商売でもしてみるか? 人の子とは一体どのようなものなのか、例えば暮らしはどうなのか、考えるだけと実際に経験するのでは大きな違いがあるぞ」
「そなたの言う通り確かに考えるだけでは頭でっかちになるというもの。正直、そなたの言葉のせいでこの街の片隅に小さな家でも借りて私塾と占い師の商いでもやってみようかという気にもなっておる」
ルウの提案にヴァッサゴは破願する。
「ははっ、それは良い。ところでアッピンの方は大丈夫か?」
「アッピンの方は幸いながら……紙片は我が所持しておりますから」
「それは本当に良かったな。もし店を出すと言うなら微力ながら俺も協力しよう」
「ありがたい……成る程、今そなたの後ろに控えているように、ルシフェル様の使徒であるという以上にそなたを慕って多くの悪魔が臣従しているのは事実のようだ。今のそなたの言葉でそれも良く分る気がする。直ぐに我もその中の1人になるであろうよ」
ヴァッサゴは満足そうな笑みを浮かべると言葉通り深く一礼した。
ルウの臣下として仕える態度を早くも示したのである。
―――ヴァッサゴが去ってから最後に登場したのはブエルである。
獅子の顔から山羊の脚が5本も生えているという異形な容貌をしたこの悪魔は僅かに顔を歪めていた。
ヴァッサゴとは違い、どうやらルウに会うのを待たされた事で不機嫌になっているようだ。
「ルシフェル様の使徒と祭り上げられ思い上がった人の子、ルウ・ブランデルというのは貴様か?」
その物言いに対して従士となったばかりのアモンが厳しい表情を浮かべてずいっと前に出る。
ルウは片手を挙げ、軽くそれを抑えた。
「ああ、そうだ。お前はいつも不機嫌なのか?」
ルウは回りくどく聞かず、ブエルに対してずばりと直球を投げ込んだ。
「むう! まず我を待たせた謝罪の言葉は無いのか?」
面会を申し込んで待たされた事への怒りの感情であろう。
ブエルはルウに謝罪を求めているようだ。
しかしルウは全く動じず、穏やかな表情を変えてはいない。
「謝罪か……逆に聞こう? ブエル、お前にどう謝罪すれば良い?」
「どう謝罪だと!? 仮にも貴様はルシフェル様の使徒であろう。冥界の頭領である我を敬い、尊重するとしたらおのずと言葉は見付かろう」
ルウの切り返しにブエルはますます怒りを増幅させた。
しかし次にルウの口から出た言葉に彼は呆然とする。
「お前は俺を使徒として適格かどうか試す為に赴いたのだろう。であればこれでまずは不適格と思っただろうな」
「な、何!?」
「不適格結構! 先程も話したが俺はルシフェルの意思全てに基づいて行動していない。それが使徒と言えないのであれば、俺にそのような称号は不要だ」
「そ、そこまで言うか!? ……それで良くあの御方の怒りを買わないものだ。我には不思議でならぬ」
ルシフェルの性格をよく知っているブエルにとってはたかが人の子であるルウがどうしてそのような態度を取れるか不思議でならないようだ。
しかしルウはあっさりとブエルの疑問を払拭した。
「契約を交わす時にはっきりと伝えたからな。彼は笑ってそれで構わないと答えたよ」
「ますますもって不可解だ。……まあ良い。あの御方の魂の奥底など我には見通す事など出来ぬ。それでは改めて聞こう、ルウ・ブランデルよ」
ブエルが鋭い眼差しで改めてルウを見詰めた。
「我の名はブエル……あらゆる哲学、論理学に通じる者。また薬草の効能を極め、全ての疾病を治癒させる力を有する。貴様はそんな我に何を求める?」
高らかに宣言されるブエルの能力。
それは数ある悪魔達の中でも珍しい強力な回復の知識と魔法だったのである。
しかしルウはまたもやブエルに切り返したのだ。
「ははっ、俺が命じるというよりもお前の中でこうしたいという魂の気持ちが強いのであろう」
「…………」
いきなりのルウの指摘にブエルは黙り込んでしまう。
「お前もルシフェルの悲願に賛同しているのなら、人の子の可能性を見届ける為に手助けをしたいという気持ちはあるだろう。またヴァッサゴ同様、人の子等に自分の知識を伝えたいという気持ちも強いに違いない」
「悔しいが、図星だ……」
ルウの的確な指摘に対してブエルは声を絞り出すようにして言い放つと、仕方なく肯定するしかなかった。
だがルウはブエルの事を確りと称えたのだ。
「俺はお前のそのような志がとても素晴らしいと思う。特に医療や回復魔法の手立てが無い国や地域は才ある者も少しの怪我や病魔により、あっという間に死んで行く……人々はそれを感じて自分達は何故こんなに無力なのだと嘆くのだ」
「お褒め頂き光栄だ。そして貴様の言う通りだな……無限の可能性を持つ人の子達。その中でも才ある者は貴重な存在であり、彼等が死ねば人の子の革新の実現はまたもや先延ばしになってしまう」
ブエルの言葉を聞いたルウは更に彼の本音を問う。
「ブエル、お前自身もその才を伸ばしたいのではないか?」
「……それも貴様の言う通りだ。魔法使いが魔法に対して一生貪欲であるように、我も医療に関してはもっと高みを目指したい。薬草の知識を完璧に習得する事や回復魔法の効果を絶大的にする事、いずれもな」
やはり悪魔達は2つの願望の狭間で揺れ動いているのだ。
ルウはブエルを改めて見ると「相談に乗ろう」と言葉を掛けたのであった。
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