第300話 「緊急事態?」
ジゼルは余りにも見事なベイヤールの馬体に見惚れている。
暫く見詰めてから自分はベイヤールに嫌われていないとはっきりと認識したらしい。
そうなると彼女の願望は誰の眼にも分り易い。
「だ、旦那様……」
縋るような視線を投げ掛けるジゼル。
自分の従士として付けられたとなると彼女は早速ベイヤールに乗ってみたくなったのだ。
ちなみにジゼルは父レオナールや兄ジェロームより幼少の頃から稽古をつけて貰っており乗馬に関しては達人といっても良い腕前である。
「分っているさ。そうなると馬具一式だな。ベイヤール、聞いた通りだ。悪いが馬具をつけるぞ」
まるで人間を相手にするように話し掛けるルウ。
そしてベイヤールもルウの言葉が聞こえていたのか、大きく嘶いたのだ。
「我が手に得よ!」
ルウがぱちっと指を鳴らすとベイヤールに鞍、手綱など馬具一式がいきなり装着される。
何故か鞭は用意されなかった。
誇り高いベイヤールに鞭は不要だとルウは判断したのである。
「ははっ、ジゼル。これでベイヤールに騎乗出来るだろう。それに合図や鞭は不要だぞ。お前が魂にて意思を示せばベイヤールは応じてくれる筈だ。暫しの間、天空の散歩を楽しんで来い」
「はいっ!」
ジゼルは大きな声で返事をすると助けを全く借りないで傍らのベイヤールにひらりと跨った。
彼女が跨ると同時にすかさずベイヤールも嘶き、軽く地を掻く。
「はいよう!」
ジゼルが声を掛けるとベイヤールも心得たとばかりに嘶き、暫く地を駆けるとその鹿毛の巨体がふわりと宙に浮いた。
その勇姿はまるで天馬のように美しく駆け上がって行くのである。
「ベイヤール! 行け~! 天空の彼方に!」
ジゼルが地より放たれた喜びに打ち震えて絶叫すると、ベイヤールはひと際大きく嘶き、速度を更に上げて走り出すとあっという間に虚空へ消えて行った。
「ははっ、ジゼル。あいつ、何て大声を出すんだ。声に出さなくても意思に応じてくれると伝えたのに……やっぱり雰囲気を大事にしたいのだな」
「ふふふ、旦那様。こういう方がジゼルらしくて良いですわ」
ルウとフランは顔を見合わせて面白そうに笑ったのである。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
今夜の異界での訓練は終了である。
妻達とラウラは有意義な時間を過ごし、各自が大きな成果を得た。
時間は何と未だ午後8時だ。
午後7時から訓練を開始して、あれだけ長く時間を掛けたというのにやはりこの異界では全く時の流れが違う。
今夜も時間はたっぷりあるという事で、恒例のお疲れ様的な風呂に入った後に、フランの呼び掛けで今夜の訓練の成果と次回の課題を全員で再確認する事になった。
「わぁお! やった~! お風呂! お風呂!」
以前の恥ずかしがりようはどこへやら、今回の入浴に1番積極的なのはリーリャである。
また妖精のアリスは昔は妻として人間と暮らした事もあり、男性との入浴には抵抗が無いらしい。
ルウとの混浴についても嬉しそうにしていたから、こうなると訓練の参加者中、入浴に躊躇しているのはラウラ・ハンゼルカのみであった。
確かに結婚前の女性が恋愛関係でも無い男性と風呂に入る筈も無い。
常識的に考えるとこちらも慎むべきだと考えたラウラは混浴に積極的過ぎるリーリャを嗜めたのである。
「リーリャ様!? 結婚前の貴女がいかに将来の夫君とはいえ殿方に簡単に肌を見せるのはいかがなものでしょうか?」
正論を述べるラウラに対してリーリャは苦笑しながら首を横に振った。
「もう! ラウラったら、ブランカみたいな事を言って! 私は既に旦那様に恥ずかしい部分も含めて全てを見せていますから平気です。この身体を綺麗とも褒めて頂きました」
「は、恥ずかしい!? す、全てを見せた!? リーリャ様の身体が綺麗と褒める!?」
「そうです! 更に嬉しい事が……旦那様に身体を洗って頂きましたから」
「はあっ!? か、身体を洗って頂いたぁ!?」
ラウラにとっては青天の霹靂である。
いかに愛し合っている間柄とはいえ、この世界では貴族の夫婦同士でもほぼやらない事なのだ。
元々、身分の高い女性は自分で身体を洗わず、侍女に洗わせるのが常識である。
「け、結婚前のしかもロドニアの王女が若い男性にですか!?」
「ええ、可愛い妻が訓練を良く頑張ったって……それは優しく丁寧に洗って頂きました。今夜も……そうして洗って頂くよう頼んでみます」
リーリャはうっとりと何かを思い出している。
どうやら前に身体を洗って貰った時は至福のひと時だったようだ。
その様子を見たラウラはリーリャの考えを打ち消すように否定する。
「えええっ! いけません! 一度ならず二度までも! 若い殿方にロドニア王国王女が身体を洗われるなど、何とはしたない!」
「ふふふ、若い殿方と言っても私の将来の夫でラウラも魔法の師として尊敬する旦那様ですよ」
そんなラウラを不思議そうな目で見るリーリャである。
「いかにルウ様とはいえ、未だ正式な夫君ではありませんし、若い殿方ですよ。いけません!」
「ふふ~ん、良いも~ん。ラウラが止めても勝手に行っちゃうもん!」
どう話してもラウラの考えが変わらないと思ったのであろう。
リーリャは素早くラウラの手をすり抜けて大浴場に走って行ってしまう。
「あ、待って! 待ってください、リーリャ様!」
追いかけたラウラだがルウの屋敷の中の勝手はリーリャの方がやや詳しい。
屋敷の最上階にある大浴場を見つけるのに手間取り、やっと探し当てた時にはリーリャはもう衣服を脱ぎ捨てて、大浴場の中であった。
当然ルウ達も先に入っており中からは楽しそうな声が聞こえて来る。
困ってしまったのはラウラだ。
これではリーリャを連れ戻す為に大浴場の中までは入れない。
だが、このままでにするわけにもいかないので暫し躊躇した後に勇気を振り絞って、脱衣場に入ったのである
脱衣場に入って来た人影を見て最初に気付いたのはフランである。
「そこに居るのは誰?」
「わ、私です! その声はフランね」
「ああ、ラウラね。よかったら、貴女も入ってらっしゃいな」
裸の付き合いをしていると通常の常識が麻痺してしまったらしく、フランも中に入るようにとラウラに気軽な感じで声を掛けたのだ。
「えええっ、そんな! 冗談じゃあ、ありませんわ。女性だけならともかくお師匠様も入ってらっしゃるのでは恥ずかしくて入れません。それより私はリーリャ様をお連れに来たのです」
リーリャを迎えに来たと言うラウラにフランは不思議そうに言う。
「リーリャ? 彼女なら今、旦那様に背中を流して貰っているわよ」
「はああああっ!? せ、背中をぉ!?」
不味い!
ラウラは脱衣場の扉を開け急いで中に入ろうとした。
しかしフランから待ったがかかる。
「ちょっと待って! 服を着たまま浴場に入るつもり?」
「仕方ありません! 緊急事態ですから!」
「何が緊急事態よ、旦那様とリーリャは幸せそうよ」
「ええっ!?」
フランに言われて思わず大浴場の一角を見たラウラ。
その先には気持ち良さそうにルウに背中を流して貰っているリーリャの姿があったのだ。
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