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第293話 「捨て身」

 ナディアはグラディスと対峙している。

 どうやら彼女と正面から向き合うと覚悟を決めたようだ。


「ナディアよ、そこまで言うのなら私の仮初かりそめの名は知っておろうな」


「ああ、いにしえ戦の魔女バイヴ・カハよ。貴女のその呼び名に該当するのはただの1人しか居ない……改めてボクからその栄誉ある名を呼ばせて貰おう。グラディスなどという名ではない! モリーアン、それが貴女の仮初の名だ」


 モリーアンと呼ばれた女戦士は少し考え込むような表情を見せる。

 そして厳しい表情をするとこう告げたのだ。


「その名を呼ぶか? ナディア……ふふふ、呪われた死をもたらすこの仮初の名を呼んだからには並々ならぬ覚悟を持っている筈だ。その覚悟の意味は分っておろうな」


「分っているさ。その覚悟とは貴女の思い込みに過ぎない事も、運命の呪縛として逃れられないと受け入れている事もね」


 モリーアンの脅しとも言える言葉にも全く怯える事もなくナディアは不敵にも言い返す。

 しかしモリーアンはその姿を虚勢だとせせら笑う。


「ははは、強がりを言いおって! どうせ我について、後世の人の子等が書き残したものを読み解いたのだろうが……そんなくだらない書物で得た知識など我を理解するのに到底及ばん。お前には失望したぞ、ナディア」


 厳しく糾弾されるナディアだが、モリーアンの言葉には耳を貸していないようだ。


「モリーアン、貴女方は元々三身一体で戦と殺戮を呼び勝利をもたらす荒ぶる女神。そして愛を生み育む慈悲の女神でもある。しかしそんな貴女が変わってしまったのは余りにも愛する者の死を見届けて来たからに尽きるのだろう」


 モリーアンの呪われたとも言える人生。

 ナディアはただ悲しげな目を向けていた。


「むう! どうせ必死で覚えたのだろうが我の事を軽々しく口にするのではない、そのような行いを生兵法と言うのだ」


「生兵法で結構だ。机上であれこれ考えた挙句、ボクは結局は何もしないで悦に入るような女ではないから」


「ほう! 言うではないか」


「貴女は怖がっているのだ。これ以上愛する者を増やしたくないと……愛した者が皆、不幸な死を迎えるからと思い込んでいるのだ……だからグラディスなどと偽りの名を名乗ったのさ」


 ナディアに『思い込み』と言われたモリーアンはとうとう自らの口から悲しい事実を語り始めた。


「思い込み? はっ、知ったかぶりで語るなよ、全て事実ではないか。モリーアンの名の下に私が愛した者は妹、夫、そして一方的に思いを寄せた英雄さえ全て逝ってしまった。それも全員がむごい死を迎えてな。敵にだけでは無く味方にも無残な死をもたらすとはとんだ勝利の女神である事よ」


「ボクのこころを改めて見て欲しい、モリーアン! かつて悪魔に喰われ損ねた醜い魂を! ふふふ、満身創痍の身体のように傷跡で一杯の筈だ。そしてその中にある本当のボクの覚悟を見るがいいさ」


 必死に声を振り絞るナディア。

 それを見たモリーアンは一点を凝視し、怪訝な表情を見せる。


「ま、まさか……汝は」


 その時、同様に驚いた顔をしたのがルウである。


「ナディア、お前そこまで!?」


 傍らに居たフランとジョゼフィーヌは何よりもルウの表情の変化に驚く。

 いつもの穏やかな表情が一変して眉間に皺を寄せ、唇を噛み締めているからだ。


「旦那様!? ナディアは一体?」


「ナディア姉は何を考えていらっしゃるのでしょうか?」


 そんな2人に対してルウはふうと息を吐いてぽつりと呟いた。


「あいつ、モリーアンに移し身の魔法を使って貰い、彼女の魂を受け入れる気だ」


 移し身の魔法……それは禁断の魔法、いわゆる禁呪である。

 基本的には悪魔族が他人を乗っ取る時に使うもので術者は相手の魂に入り込み、支配するものなのだ。

 そうなると相手の自我は殆ど失われ、元の人格は殆ど喪失されてしまうという。

 ルウから説明を受けたフランとジョゼフィーヌにはとってはまさに驚きでしかない。


「旦那様! そ、それって!? ナディアがナディアでなくなるって事?」


「ナディア姉、どうして!? ……私達家族に別れを告げるつもりなのでしょうか?」


 それを聞いたルウは首を横に振った。


「違う! あいつはモリーアンの悲しみを汲み取り、捨て身の覚悟でその負の連鎖を断ち切ろうとしているのだ」


 不安そうなフランとジョゼフィーヌにそう告げるとルウは大きく跳躍してナディアとモリーアンの間に割って入ったのだ。


「だ、旦那様!」「おおっ!」


 ルウは着地すると鋭い目でナディアを見詰めた。


「ナディアよ、俺は召喚した彼女とよしみを通じるようにと確かに言ったが、そこまでするのはやり過ぎだ。どうしてもというのなら俺はお前を止めるしかない」


「旦那様……」


 ナディアは掠れた声で愛する夫の名を呼ぶと縋るような眼差しを向けて呟いた。


「今のボクは何となく分るんだ。旦那様にあの奈落で助けて貰った時に一緒にいた大いなる存在と旦那様の繋がりが……」


 どうやらナディアにはあの時の記憶が甦って来たようだ。

 かつての偉大なる天使長とその使徒たる彼の姿を……


「あと、これだけは言える。旦那様は人としてその生を全うする。決して無残な死などは迎えたりはしないと言う事も」


 モリーアンは敢えてナディアには告げてはいないが彼女の加護の力には未来を見通す力も含まれており、ナディアはその未来の記憶の断片を垣間見たらしい。


「ボクは他の全ての記憶と感情を捨てても構わない。しかし旦那様への愛だけは残して貰って欲しいと頼むつもりさ。そうしてボクと一体になれば彼女は旦那様を愛するようになる。そうすれば彼女は愛する人を無残な死で見送る負の連鎖から抜けられる」


 でもね……とナディアは自嘲するような口調で話を続けた。


「実の所ボクはもっと自分の事も考えていたんだ。ははは、嫌になるよ」


「ナディア……皆まで言わなくて良い……」


「いいえ、旦那様。そしてモリーアンよ、聞いて欲しいんだ。ボクは愛する人には真っ直ぐなモリーアンの一途さが羨ましいんだ。なりふり構わず献身的に愛するその姿がね。計算高いボクには全く無い物だから……そして何故真逆なボクの下に貴女が来たか? これには意味があるのではと散々考えたんだ」


 ルウとモリーアンを見詰めるナディアの目には涙が浮かんでいる。


「出した結論がこれだった。そうすればボクは嫌な自分から逃れられて旦那様に愛して貰えて、家族の役にも立つ……お願いします、旦那様。彼女の移し身の魔法を受ける事をどうか許して下さい」


 ルウは黙ってナディアに近付くと彼女をぎゅっと抱き締めた。


「旦那様……」


「お前は決して嫌な女なんかじゃない。自分の身を捨ててまでモリーアンを救い、俺に愛されようとして家族の役に立つように考える。実に素晴らしい事じゃあないか」


「旦那様、ボク……」


 泣き出したナディアを抱いたままルウは背後に居たモリーアンに振り返った。


「悪いな、モリーアン。俺を愛して負の連鎖を断ち切るなど、とんだ茶番かもしれん。それにこれはお前の気持ちも無視したようなこのの一方的なお願いだ……だが分って欲しい、ナディアは自分なりに一生懸命お前の為に考えて身を投げ出そうとした。そして大事な大事な俺の妻だ。悪いがお前に差し出す事は出来ないんだ」


 モリーアンは先程からひと言も発せずにルウとナディアのやりとりを見守っていた。

 その表情は厳しいままだったが、ルウがそう言うとふっと緩み、笑顔を見せたのである。


「汝の言う通り本当に茶番だな。その娘の馬鹿さ加減にもほとほと呆れたわ」


 モリーアンの言葉は辛らつだ。

 しかし彼女は何故か嬉しそうである。


「本当に計算高い女であると言うのならそのような馬鹿な策は絶対に講じぬもの。ナディア、汝は我と同じく愚直の極みと言われても仕方が無い女だ」


 我と同じ……

 その言葉にナディアに対するモリーアンの親愛の情が生まれたと言っても過言ではなかろう。


「これからも宜しくな。愚かな女、ナディアよ……お前さえよければ我の運命を変える手助けをして貰おうか」


 そして慈愛の篭もった眼差しと共に差し出された手。

 

 モリーアンの言葉を聞いて呆然としていたナディアはルウに促されて彼女の手を強くしっかりと握ったのであった。

ここまでお読みいただきありがとうございます!

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