第29話 「紹介」
翌朝……
いつものように朝食を食べ終え、ルウ達3人は学園へ行く準備をしていた。
明日からの春期講習に備え、残りの職員に対し、ルウの事を紹介しておかなければならない。
「行ってらっしゃいませ、奥様、フランシスカ様」
ジーモンがいつもの通りに全員の見送りをした。
しかし最後にルウが通った時、声を潜めて囁く。
「おい、……俺との組み手は、いつやってくれる?」
「ジーモン!」
ジーモンが囁いた瞬間、アデライドの声が響き渡った。
思わずジーモンが視線を走らせると、アデライドが笑顔を浮かべ、ジーモンを見つめていた。
「は、はいっ! 奥様、ああっ!?」
噛みながら、大きな声で返事をしたジーモンであったが……
アデライドの顔をよく見れば、口元にのみ笑みが浮かび、目が全く笑っていない事に気が付いた。
まずい!
そう思ったジーモンは、反射的に直立不動のポーズをとる。
本気で怒ったアデライドは、結構怖いのだ。
「ジーモン! 貴方の気持ちも分かるけど、ルウは今、とても忙しいの。弁えなさい」
「は、ははっ! かしこまりましたぁ! し、失礼致しましたぁ!」
額に、一筋の汗が流れるジーモン。
謝罪の声が響き渡る中、ルウ達3人は、馬車へ乗り込んだのである。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
午前8時30分……
途中、特に何事も無く、馬車が学園に到着すると……
いつも通り、警護の騎士達も持ち場へと就いた。
まず3人は、5階の理事長室へ入った。
アデライドは微笑みながら言う。
ルウとの仲を踏まえ、ケルトゥリの呼び方は砕けていた。
「良い、ルウ? ケリー教頭と新人ちゃんには紹介したから、今日はふたり以外の職員に紹介するわ、宜しくね」
ルウの紹介と言うのは、当然、職員としてだけではない。
フランの従者としての立場も、しっかりと伝えるのだ。
「了解」
ルウは穏やかに答えた。
暫く注意事項など話し合い……
3人は魔導昇降機に乗り込み、1階下の4階へ降りる。
まずはケルトゥリが在室している筈の教頭室に向かう。
ルウを紹介する際、教頭として、同席して貰う可否を聞く為である。
今まではルウがふたりの後から歩いていたが、警護役も兼ねた今となっては、自然に先頭を歩いていた。
教頭室に出向くと、既にケルトゥリは出勤していた。
「これからルウを職員に紹介しますが、教頭はどうしますか?」
フランが用件を伝えると、ケルトゥリは僅かに微笑んだ。
「私も同席致します」
アデライドが居るせいか、ケルトゥリの態度はやたらに慇懃であった。
ルウが居てやりにくくとも、さすがに仕事と割り切るのであろう。
4人は職員室へ移動する。
ケルトゥリによると……
昨日出勤した職員には、彼女からルウの事を伝えておいたらしい。
現在職員室に在室している正確な人数を、ルウはいつもの癖で、魔法を使い把握していた。
職員室に着くと、ドアの前に立ったケルトゥリが、アデライドとフランにお辞儀をして先陣を切ろうとする。
しかしフランが手で制して、首を横に振った。
「待って。入室する時は、私が先頭で入るわ」
微笑んだフランは、職員室の扉を軽くノックし、ひと呼吸置いてから開ける。
アデライドも、つい微笑む。
フランは、やはり変わって来ていると。
こんな些細な事でさえも、このように積極的な姿勢は、以前には全く無かった事なのだ。
「お早うございます、皆さん」
響き渡るフランの大きな声。
対して、中に居た職員達が驚いた表情で、一斉に彼女を見た。
中にはルウが見知ったアドリーヌ・コレットの顔もあったが、他の職員と同様な反応である。
「お、お早うございます!」
「お早うございます」
「お早うございます」
フランの挨拶からひと呼吸置いて、次々に職員が立ち上がって挨拶した。
様子を見ていたケルトゥリが、「ぱんぱん」と手を叩いてから、職員に声を掛ける。
「皆さん、ドゥメール校長代理と……私、エイルトヴァーラの推薦で、この春から新しい職員が入ります」
ケルトゥリがそう言うと、職員達の視線が今度はルウへと注がれる。
「とりあえず1年間……臨時職員という形です。昨日、私から話を聞いた方も、今日は本人が居りますので改めて紹介します。ルウ・ブランデルです」
ケルトゥリが、ルウの名を告げると……
ルウは、大きな声を張り上げて挨拶した。
「ルウ・ブランデルです! 教師は未経験で不慣れですが、一生懸命頑張りますので宜しくお願いします!」
フランは、ルウの挨拶を聞いて少し吃驚した。
あれっ?
ルウって、ちゃんと挨拶出来るんだ?
ちょっと意外!
「ではドゥメール校長代理、後の説明は、お願い致します」
フランが驚いているのに気が付いたケルトゥリは、僅かに皮肉を籠めた物言いをして、後を託した。
しかし、フランも負けてはいない。
軽く息を吐くと、はっきりと言い放つ。
「ありがとうございます、教頭。皆さん、ルウは先日、私が襲われた時に素晴らしい魔法の才能を発揮して助けてくれた人です。たまたまこのエイルトヴァーラ教頭とも知己だと分かりました」
職員達は、ルウがフランを助けたニュースを既に耳にしていた。
5名の騎士達が殉職したこの大事件は……
もう、王都中に知れ渡っていたのだ。
フランは、また息を吐くと、話を続ける。
「ルウの魔法を目の当たりにした私は、これも創世神様の定められた運命の導きと考え、彼を当学園の職員に採用致しました」
「…………」
黙って、話を聞く職員達へ、フランは口調を少しだけ強める。
「当然、採用するにあたっては、理事長と教頭とはしっかりと相談を致しました」
フランは「しっかりと相談した」と言う部分に力を込めて言うと、ケルトゥリの顔を見た。
一方、フランにそう言われたケルトゥリは……
何とも、複雑な表情だ。
「もうひとつ。私事で申し訳ありませんが、ルウには私の従者も兼ねて貰う事にしました。というわけで皆さん、ルウ・ブランデルを宜しくお願い致します」
フランの『紹介』が終わり、ルウがお辞儀をすると、職員達からはまばらな拍手が起きた。
職員室に居た教師は全部で7名。
全員女性であった。
不在なのは、体調がすぐれず休みをとっている中堅の女性教師と、来年3月で退職する男性職員のふたりだけである。
今度は教師達が、ひとりずつ自己紹介をして行く。
最初に挨拶をしたのは、キャルヴィン・ライアン伯爵の妻シンディである。
「主任のシンディ・ライアンです。ウチの主人にはもう会ったわね、あの人、何も言わないけれど、貴方の事が大層気に入ったようよ。宜しくね!」
シンディの年齢は40代前半くらいであろうか……
金髪のショートカットで、美男子と言っても良い男顔だ。
女性にしてはがっちりとした体格で日に焼けており、笑うと白い歯が目立つ。
フランは、シンディとは親しいらしい。
笑顔で、フォローを入れた。
「シンディ先生は、元王国魔法騎士で、専門は魔法攻撃術と魔法防御術、そして意外に占術も専門なのよ」
「ちょっとぉ! 意外って何よ? フランちゃん!」
フランの紹介で、最後のひと言がシンディの気に障ったようだ。
無論、本気で怒っているわけではなく、苦笑いである。
次に、
「クロティルド・ボードリエです。宜しくお願いしますわ、ルウ殿」
クロティルドは小柄である。身長は150cmを少し超えるくらいだろう。
栗毛のショートカット、鳶色の目が栗鼠のようで愛くるしい顔立ちだ。
年齢は20代後半くらいだろうか……
自己紹介によると、元神官で魔法防御術、中でも治癒や回復系の魔法が得意だそうだ。
魔道具研究の授業も担当していた。
次は、
「オルタンス・アシャールです。宜しくお願いします」
オルタンスは栗毛でそれなりの容姿だが、大人しそうで地味な女性であった。
年齢は30歳前後……しかし、真面目そうな雰囲気でもある。
専門は魔法防御術と占術だそうだ。
更に……
ひと際異彩を放っていたのは、双子のボワデフル姉妹である。
年齢は20代半ばの、美しい顔立ちをした姉妹であった。
目立つのは、瞳が碧眼と鳶色のオッドアイである事。
このオッドアイの並びの違いが、容姿が酷似した彼女達を姉と妹に見分ける唯一の方法と言っても良い。
だがこの姉妹、声も背格好もそっくりなのだが……
性格も専門学科もまるで違っていた。
「カサンドラは、がさつな姉ですが、宜しくお願いしますわ、ルウさん」
「ルネ! だ、誰ががさつだ! 誰がっ!」
妹のルネが苦笑してお辞儀をすると、姉のカサンドラが食ってかかった。
姉の専門は魔法攻撃術、そして召喚術。
妹は魔法自体よりも錬金術、魔導薬学、そして魔道具研究が専門だそうである。
そして……
「リリアーヌ・ブリュレです。宜しくお願いしますわ、専門は召喚術と錬金術ですの」
年齢は20代半ばであろう。
栗毛のロングヘアに整った顔立ち、男好きしそうな厚めの唇。
鳶色の瞳が熱くルウを見つめている。
均整のとれた細身のプロポーションに、信じられないほどの巨大な双丘が軽くお辞儀をしただけで挑発的に揺れた。
ルウは思わずポカンとしてしまう。
リリアーヌは、自分の魅力が良く分かっているのだろう。
ルウを魅了しようとするのか、悪戯っぽく笑っていた。
ルウの仕草を見たフランは、軽いコンプレックスを感じる。
やはり男性は胸の大きい女性に魅力を感じるのかと。
しかしルウの感じた事は、全く違っていた。
思わず? とんでもない事を言ってしまったのだ。
「おお! まるで牝牛だ……」
その瞬間、フランの平手がルウの頬に伸び、乾いた音が職員室に響いた。
「な、何という事を言うのです! ルウ! ブリュレ先生に失礼です……と言うか全女性に対して失礼です。謝罪しなさいっ!」
ルウは反論しなかった。
フランに叩かれ赤くなった頬に構わず、リリアーヌにきちんと謝罪し、他の女性にも許しを請うた。
その騒ぎが収まらない中、アドリーヌ・コレットが改めて挨拶をした。
挨拶をしながら……
アドリーヌは呆れつつ、
ルウが「けして不埒な気持ちから、失言したのではない」と感じていた。
何か、不器用そうな人ね……
アドリーヌは自分の事をすっかりと棚に上げ、ルウの事を、何となく気にかけていたのであった。
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