第270話 「別離と再会」
ルウの魔法が発動してほんの僅か時間が経っただろうか……
少しずつグウレイグの鼻腔に爽やかな空気が流れ込んで来た。
そこには芳しい花の香りが混ざり、彼女の心をそっとくすぐる。
今迄自分が当り前のように嗅いでいた悪臭や悪寒を感じていた邪悪な瘴気とはまるで違う、大気とはこのように美味しいものだったのか……
彼女は改めてそう思ったが、いきなり目を開けるのに実は躊躇いがあったのだ。
正直言って少し怖いのである。
「ふふふ……目を開けてみたら?」
傍らに居たオレリーの優しい声にゆっくりと目を開けるグウレイグ。
すると何という事であろう。
あの泥の池の荒涼とした悲惨な風景が一変していたのである。
池は汚される前のようにこんこんと清水が湧き出て小魚が楽しそうに泳ぎ、岸には色とりどりの花が咲き乱れ蜜蜂が忙しそうに飛び回っていた。
傍の木々には小鳥が止まってのんびりと囀っている。
これは!?
グウレイグが見た池の風景は彼女がかつて愛した古の人々が生きていた頃と全く同じに戻っていた。
彼女の蒼い大きな瞳に池が映ったまま潤み、大粒の涙がとめどなく流れて来る。
「どうして……なんだろう? 何故この風景が……あの頃は当り前でありふれていた風景だったのに……こんなに懐かしく涙が溢れて止まらないのは何故なのだろう?」
その時そっとグウレイグの肩に手が置かれる。
少しごつごつしているが、大きくて温かい何故か安心出来る手であった。
グウレイグが見上げるとオレリーと並んだルウの穏やかな笑顔が飛び込んでくる。
「ルウ……様」
「ははっ、よかったな。これでお前も安心して暮らせるだろう。この国の人間にはもうこの池を決して汚さないように徹底させよう。それから……お前の姿を良く見てご覧」
ルウに言われてハッとしたグウレイグ……
オレリーが黙って自分の鏡を渡す。
グウレイグが思わず自分の姿を見ると汚れていた顔と身体は綺麗に、乱れていた髪はさらさらになり、着ていた服も輝くような白さに戻っていたのだ。
池の力が浄化されたのでグウレイグも元の美しい姿に戻ったのである。
「ほら、お前はこんなに綺麗で優しい妖精なんだ。古の騎士もさぞかしお前の事を可愛がった事だろうな」
ルウにそう言われて感極まったのかグウレイグはまた泣き出した。
そしてルウに抱きつき、彼の胸に顔を埋めてしまったのである。
「私は彼の事……本当に愛していました。彼もアリス、アリスと可愛がってくれました。でも妖精と人間では寿命が違い過ぎます。私は彼を看取ってから1人で静かに暮らしていたのです」
嗚咽するグウレイグ=アリスの背中を優しく撫でながらルウはそっと詫びる。
「そうか……悪い事を言ってしまったな。済まない、アリス」
「良いのです……本当にありがとうございました。 私、モーラルやオレリーにもお礼を言って来ます」
アリスはルウから離れ、涙を拭くと無理矢理笑顔を作る。
そして改めてルウに一礼するとその様子を見て微笑んでいたオレリーと一緒に妻達の輪に入る。
妻達はアリスを中心に楽しそうに会話を始めた。
中でもオレリーが身振り手振りをしながら嬉しそうにアリスに話している。
彼女は今回の夢の経緯から改めて話しているのであろう。
妻達を見守っているルウに妖精王から声が掛かる。
彼もルウにはとても感謝しているようだ。
「今回は本当に助かった。貴方は私の命の恩人の上、同胞の彼女も救ってくれたのだ。一度妖精の国アヴァロンにも来て欲しい。国を挙げて歓迎しよう!」
幻の妖精の国と言われるアヴァロンへ国王自らの招待とあってルウの胸は高鳴った。
「ああ、俺は世界の様々な場所を見てみたい。招いて頂くならぜひ伺おう」
「ははは、妻も喜ぶ。必ず来て欲しい、約束だ」
ルウは承諾して大きく頷くと妖精王に右手を差し出した。
手の大きさが全く違うので完璧な握手とはならなかったが、2人の間に友情が生まれた事は確かであった。
こうして全てが終わった……
ルウはフラン等妻達を労い、更にバルバトス等悪魔達を労る。
妻達は例によってルウに甘えており、屋敷に戻って祝杯をあげようと張り切っていた。
また久々に召喚されて仕事をし、役割を果した悪魔達も満足して異界に戻って行く。
最後にルウはこの池を確り守るとアリスに約束した。
「ゴミなど捨ててはいけないと人間に徹底出来るまで多少時間がかかるからな。不埒者が近付かないように一応俺が結界を張っておく。その方がアリスも安心だろう」
「は、はい……ありがとうございます」
「良かったな、アリス。では私もアヴァロンに戻る 皆様ありがとうございました!」
妖精王もルウが結界を張ると聞いて安心したようだ。
これで池を汚される事もないからである。
彼は笑顔でアリスを労わると妻達に挨拶した上で、自ら転移魔法を発動させてアヴァロンに帰って行った。
「さあ、皆帰るぞ。また転移魔法を使うから皆集まれ」
ルウが妻達に声を掛けるとラウラ以外に妻ではない顔が混ざっている。
何とアリスがちゃっかり紛れ込んでいたのだ。
多分モーラルやオレリーと別れ難いのであろう。
「アリス、お前の家はこの池だろう?」
「ううう、モーラルやオレリーと折角仲良くなったのと、何か皆さん凄く楽しそうに暮らしているから一緒について行きたくて……」
「そうは言ってもなぁ……この池の主である妖精のお前が居なくなるとまた荒れてしまいかねないぞ」
「こらっ、アリス! 旦那様に我儘言っては駄目だ」
仲良くなったとはいえ、さすがにモーラルが注意をする。
「ううう、御免なさい。やっぱり不味いですよね」
涙ぐむアリスを少し不憫に思ったのかモーラルやオレリー等妻達はたまに屋敷へ遊びに来るようにと誘っている。
それを聞いたアリスは少し元気が出たようだ。
「そうですよね……折角池を綺麗にして頂いたのに私の我儘で直ぐ放り出しちゃ、ばちが当りますよね」
「そうだな……俺達もまた遊びに行くからな」
ルウ達は寂しがるアリスに別れを告げ、転移魔法で屋敷に戻ったのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ルウ・ブランデル邸大広間、日曜日午後6時……
リンゴン、リンゴン!
誰かが正門の魔道呼び出し鈴を思い切り鳴らしている。
ばうっ! ばうっ!
ケルベロスも吼えているが、危険な相手が来たと言う報せではない。
今、大広間に居るのはルウとモーラルそしてナディアの3人である。
他の妻達は今日の疲れを取る為にお風呂に入っているのである。
「むう……この魔力波は……」
ルウはもう誰が来たか気付いたようだ。
それはモーラルも同様なようで少し顔を顰めている。
「旦那様……どうします?」
「とりあえず中に入れてやろう。話はそれからだ」
10分後……大広間に現れたのは……
やはり昼間助けた妖精グウレイグの少女アリスであった。
「えへへ……やっぱり寂しくて来ちゃいました!」
ぺろっと舌を出して微笑むアリス。
ルウは苦笑し、モーラルは池の管理をどうしたのと問い質した。
「それが……水の精霊達に相談したらぜひ住みたいって事になって貸し出ししちゃいました。私が大家さんって事で……」
それを聞いたモーラルは思わず呟いてしまう。
「……要領の良さはナディア姉みたいだな」
「ボクがどうかしたの? モーラル」
「いや、何でも無いです」
思わず呟いた独り言を聞かれたモーラルは慌てて手を振って否定した。
一方、ここで何とか屋敷に置いて欲しいと頼み込むアリスは必死な形相だ。
「お願いします! お手伝いさんでも馬の世話でも便所掃除でも何でもやりますから。ちなみに掃除、洗濯、料理は得意だし、馬車の御者として皆様の送迎とか、何でもいけますよ」
アリスも住みなれた池を離れるにあたって考え抜いて、屋敷に来る事を選んだのであろう。
頭を何度も下げて懇願するアリスを見たルウは快く頷いて申し込みをOKした。
先程は妻達とも打ち解けていたし、オレリーの家事の負担を減らす為にアリスの希望は渡りに船だったせいもある。
「ははっ、まあ良いよ。じゃあ今夜からアルフレッドと一緒に住み込みで働いて貰おう。彼は、ほらオレリーが言っていた地の妖精さ」
ルウのOKの返事にアリスは、ぱあっと花が咲いたような笑顔になった。
「わああっ! ルウ様、ありがとうございます。それでですね……私との事ですが、『バツイチ』ですけど私はいつ妻になってもOKですので宜しくで~す」
『バツイチ』の妖精?
……モーラルは少し呆れ顔でアリスに尋ねた。
「アリス……貴女、旦那様だった古の騎士様は?」
「はい! いつまでもめそめそと後ろ向きに生きていても仕方ありません。彼との事は素晴らしい思い出としてアリスの胸の中に永遠に生き続けていきま~す」
私は元人間のせいか妖精の価値観は分からないかも……
はしゃぐアリスを見てモーラルは疲れたようにほうと息を吐いたのであった。
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