第263話 「妖精グウレイグ」
ルウが妻に話をしていた頃『泥の池』では相変わらず戦いが続いていた。
ウォーター・リーパーに続いて屍食鬼も何体か倒したモーラル。
しかし屍食鬼は倒しても倒しても新手が現れたのである。
「限りがないわね、ケルベロス。こいつらを操っている奴が居る筈だわ」
低い声で唸る魔犬は屍食鬼達を怖ろしい眼差しで威嚇するが元々、恐怖と言う感情など捨て去っている不死者なのだ。
ウォーター・リーパーと違ってまったく怯む様子もない。
その時である。
怨嗟の篭った声が辺りに響いたのである。
憎い!
人間が憎い!
あんなに! あんなに尽くしてあげたのに……
その結果がこの仕打ち……人間など滅びればいいのよ。
「誰? どうやら地霊のようね。この池に棲む妖精?」
モーラルが小さく呟くといきなり池の中心から水柱が吹き上がる。
かつての綺麗な水の面影など全くない、どす黒く濁って瘴気を撒き散らす呪われた水柱だ。
その水柱の先端に1人の少女が立っている。
どうやら呪詛の言葉を吐いたのはその少女らしかった。
綺麗な金髪は乱れ、真っ白な肌は見る影もなく、汚れきっている。
纏ったキトンのような衣服もかつての美しさを失い、まるで廃棄寸前の雑巾だ。
少女はモーラルに対して憎悪に狂った視線を向ける。
「お前は人間ではないね。私の統べるこの領域に立ち入るとは無礼なり!」
「貴女は……妖精グウレイグね。確かに私は夢魔のモーラル、人の子ではない。ところで私と冷静に話し合える余地はあるかしら?」
グウレイグ……別名を湖の貴婦人ともいう長い金髪を持つ美しい妖精である。
性格は温和で戦いを好まない、人間が好意的に接すれば素晴らしい友好関係を作る事の出来る者である。
彼女達は気難しい者が多い妖精の中では稀有な存在なのだ。
しかしそんな雰囲気など彼女には一切無かった。
こうなるのもやむを得ないとモーラルは思う。
自分の愛する住処をこのように酷く穢された恨みは、単に深いなどという軽い表現どころではない。
猜疑心の塊のような彼女の返事は当然NOであった。
「夢魔などと話し合う余地など無い!」
グウレイグはきっぱりと言い放つ。
「お前など、この地を穢す憎き人間共と一緒だ。汚らわしい吸血鬼などさっさと出て行け。出て行かなければ私が容赦しないぞ」
モーラルは逡巡した。
グウレイグなど彼女にとって戦って負ける相手ではないからだ。
しかしモーラルはこの哀れな妖精を殺したくはなかったのである。
「分かったわ! ここは退きます」
ルウの力なくしてはこの問題の解決は難しいとモーラルは判断したのだ。
モーラルの返事を聞いてもグウレイグの表情は変わらない。
気になっている事があるモーラルはひとつ鎌をかけてみる事にした。
「ひとつ聞くわ。貴女に余計な入れ知恵をしている者が居る筈。一体誰?」
「煩いっ! そ、そんな者は居ない!」
必要以上に否定するグウレイグの態度にモーラルはピンと来た。
やはり……
彼女の人間への恨みを必要以上に煽っている者が居ると。
「退くと言ったのなら、さっさと退け。殺すぞ!」
絶叫するグウレイグ。
肩を竦めたモーラルの身体は更に高く宙に浮き上がった。
「ケルベロス! 引き揚げるよ」
その瞬間、モーラルとケルベロスはその場からかき消すように姿が見えなくなったのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ルウ・ブランデル邸大広間、土曜日午後12時40分過ぎ……
『泥の池』を調べたモーラルが皆に報告を入れていた。
彼女は現在の池の惨状や凶悪な魔物達が跋扈する危険を淡々と話して行く。
「というわけです……旦那様……一応池の周辺に結界は張っておきました。むやみに人が近づくと危ないので……私にはそれが精一杯です」
簡潔に纏めたモーラルの報告が終わるとルウが納得したように頷いた。
「いや、良くやった。ご苦労様、モーラル。そうだな、あの場所をこのままにはしておけない。ただオレリーの悪夢の原因は大体俺には分かった」
ルウの言葉に妻達は驚いた。
モーラルの報告の中ではオレリーの魔力枯渇との因果関係については語られていなかったのだから。
「モーラルの話によればそのグウレイグは闇に堕ちきっていない。何とか正気を保って完全な悪鬼にはなっていないんだよ」
「それがどうしてオレリーの魔力枯渇と関係があるのですか?」
ルウの言葉に対してフランが不思議そうに聞く。
「ははっ、水の精霊と水の妖精であるグウレイグはお互いに違う次元に存在しているとはいえ、『水を統べる者』としての立ち位置は同じだ」
妻達の視線を浴びながらルウの話は続く。
「普段は干渉し合わない両者だが、池があのような状態になって精霊も妖精の事をとても哀れだと思ったに違いない。更に妖精が負の感情を肥大させながら変貌して行くのを見て、助けたいとも考えたのだろう」
オレリーがそれを聞いて涙ぐんでいる。
水の魔法使いである彼女にとっては水の精霊だけでなく妖精も近しい存在として感じられるからだ。
ルウはオレリーを慈しむように見詰めて頷いた。
「しかし池の環境は簡単には変えられないから応急措置として妖精自身にオレリーを仲介して自分の穢れ無き魔力を注ぎ込んだんだ。その際にオレリー自身の魔力も結構な量がグウレイグに流れ込んでしまったという訳だ」
ルウの話をじっと聞いていたナディアが興味深そうに問う。
「じゃあ、旦那様。オレリーの魔力枯渇は自分が意図しないまま魔力を放出し過ぎた事が原因なんだね……水の精霊に悪気は無いし妖精に対してよかれと思ってやったのだろうけど」
「ああ、そうだ。前にも言ったが俺達と比較して精霊や妖精、そして魔族などの倫理観、価値観は異なる場合も多いんだ。オレリーは仲間だから協力して一緒に助けよう! そう水の精霊は考えたのだろうな。まさかオレリーが魔力枯渇するなんて思ってもいないだろう」
ルウが答えると今度はジョゼフィーヌがルウに質問する。
「旦那様、穢れ無き魔力を補填されれば悪鬼になるのを防ぐというのは?」
「簡単に言うと器に汚れた水を入れてそこに綺麗な水を足すと徐々に器の水は綺麗になるだろう。汚れた水は薄まるか、外に放出されるからだ。それと同じ理屈さ」
ルウはそう説明すると、『泥の池』には直ぐに手を打つと妻達に言い放ったのであった。
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