第259話 「謎の悪夢」
ルウ・ブランデル邸中庭、土曜日午前5時30分……
ルウは今朝も午前5時から日課の鍛錬をこなしていた。
軽くモーラルと魔導拳の組み手を行い、ひと息ついていた所である。
そのモーラルはまもなく市場へ食品の買出しに出かける予定だ。
昨夜ルウは悪魔アモンと『英雄亭』で痛飲したのであるが、彼に二日酔いなどは無縁である。
ちなみにアモンは改めてルウの力を認めたならば従士になると約束したので、近いうちに『力比べ』をするであろう。
「だ、旦那様~!」
身体を解していたルウのもとに、革鎧を装着したジゼルが慌てて駆け寄って来た。
最近、彼女は頑張って早起きし、ルウから直接、魔導拳の指導を受けているのである。
「寝坊してしまった! 御免なさい、また組み手の相手をお願いします」
「じゃあ、旦那様。そろそろ時間ですのでレッドと一緒に市場へ買出しに行って来ます。ジゼル姉、頑張ってね」
「ああ、モーラル。私は頑張るぞ!」
片目を瞑ってエールを送ったモーラルに手を振って応えるジゼル。
モーラルはルウに一礼すると馬車が停めてある正門の方に去って行った。
「旦那様、まずは身体強化の魔法……だな!」
ジゼルは息を軽く吸い込むと呼吸を整える。
そして少しずつ吐き出しながら言霊を詠唱したのだ。
「我は知る、力の御使いよ! 汝の力を盾に変え肉体に纏い、我は勝利と栄光の王国へ赴く! 我は知る、かつて人で在りし偉大なる御使いよ! この力の契約を執り行い給え! ビナー・ゲプラー・サーマエール、ビナー・ゲプラー・ネツアク・ザイン・ホド・マルクト・メータトロン!」
朗々と響くジゼルの声。
「強化!」
その瞬間、ジゼルから放出された魔力波が彼女を包んだのである。
「どうだ、旦那様。上達したかな?」
「ああ、ばっちりだ。じゃあ次は勝者の魔法だな」
「了解! 楽勝だ!」
ジゼルはVサインをルウに送ると言霊を詠唱する。
「神より与えられた人の秘する偉大なる目よ、我の命により目覚めよ。敵を知り己を知れば、我危うべからず―――勝者!」
ジゼルは先程同様、魔力波を放出して纏うとにっこりと笑って見せた。
ルウはすかさず褒めてやる。
「よしっ! ジゼルはもうばっちり習得したな。偉いぞ、ジゼル」
「だ、旦那様! 褒められるのも嬉しいんだが……で、出来れば……な、撫で撫でを頼みたい!」
ジゼルはルウに頭を差し出した。
以前、リーリャに指摘されたように主人に懐いた愛らしい猫のようである。
そこには魔法武道部の部長という猛者の姿はどこにもなかったのだ。
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「ふう! 有意義な稽古だった。今日の部活の前に良い準備運動が出来た、感謝するぞ、旦那様」
30分程、魔導拳の稽古をした後は、身体強化の魔法の反動が出ないように回復魔法でケアをするのが恒例である。
この一連の訓練が様々な魔法の上達に繋がる有意義な方法だとジゼルも最近自覚しており、ルウとの訓練は朝も異界でのものも充実感に満ち溢れていたのである。
「じゃあ、一緒に風呂も入ろうか?」
「おお、嬉しいぞ! 旦那様」
思わぬ幸運にジゼルの頬が緩む。
『早起きは金貨1枚の得』という諺がヴァレンタイン王国には伝わっている。
確かに得だ!
それも金貨1枚どころの話ではない。
ジゼルは満面の笑みを浮かべながら実感していたのであった。
30分後―――軽くひと風呂浴びたルウとジゼルは大広間の食堂に現れた。
市場に出掛けたモーラルはもうとっくに戻っていて厨房でレッドと共に朝食の支度にかかっている。
最近土曜日の朝は全員で朝食を摂る事が少ない。
このような早い時間には起きられず未だ寝ている者が多いのだ。
フランは仕事を屋敷に持ち帰って夜遅くまで処理していたし、ナディアは魔法大学の受験に備えて古代魔法の資料集めに忙しかった。
いずれルウと召喚魔法の訓練を行なう為に『アンノウン』の事も勉強している様子だ。
オレリーは平日、専門科目の勉強をしながら家事をこなしているので土曜日の朝はゆっくり寝かせてやっている。
そんなこんなで今日の土曜日の朝も最初はルウとジゼルの2人で朝食を摂り、途中からジョゼフィーヌが起きて来て参加する形となったのだ。
そのジョゼフィーヌにいつもの元気がない。
ルウは気になって尋ねてみた。
「オレリーが最近うなされているのですわ。悪夢……という感じですの」
「モーラルには聞いてみたのか?」
モーラルは夢魔である。
何者かが干渉してオレリーに悪夢を見せているようならば直ぐに気付いて対策を取る筈であった。
「それが……オレリーが仲良くしている水の精霊が原因らしいと言われました。ただ呪われるとか、そのような危険は無いとの事なので、直ぐに旦那様へ報告しなくて良いのではと私がモーラルに申しましたから」
モーラルを責めないで下さいとジョゼフィーヌは言うのである。
「心配だな、旦那様。急いで調べて貰えないだろうか?」
ジゼルも心配そうな表情だ。
ルウは2人に対して頷くとオレリーの部屋に向ったのであった。
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ルウはオレリーの部屋のドアをノックする。
中から返事は無い。
ルウは再度ノックをしたがやはり返事は無かったので、ノブを回してドアを開いた。
オレリーはベッドで軽い寝息をたてて眠っている。
ルウはそっとベッドに近付くとそっとオレリーを見守った。
周りには特に邪悪なものの波動は感じない。
ルウは水の精霊に聞いて見る事にする。
ルウは目を閉じ、清流をイメージし精霊を呼び出した。
「水の精霊よ、我が妻を悩ませているのは何か、教えてくれないか?」
ルウの前に現れたのは、肌が透けるくらい薄い布を纏った栗色の長い髪をなびかせた華奢な美しい女性である。
彼女こそ水の精霊であるウンディーネであった。
しかし何か様子が変である。
彼女は腕組みをして悲しそうな表情をルウに向けた。
ルウは違和感を覚えていた。
いつもは意思の波動で明るく話しかけてくる水の精霊が話しかけて来ないのだ。
何か……ある。
ルウは黙り込んでいる水の精霊に力を貸すという意思の波動を送りながら穏やかな表情を向けたのであった。
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