第253話 「アドリーヌとの食事会①」
ヴァレンタイン王国 王都セントヘレナ中央広場王宮正門前
金曜日午後6時45分……
この時間、セントヘレナの中央広場は昼間とまた違った混雑振りを見せていた。
昼から午後早目の時間は昼食を取りに来る貴族から庶民、そして夕飯の買い物をする使用人まで様々な人々がごった返すが、日が落ちて夜の帳が降りようとするこの時間には酒場で一杯飲もうという依頼を完了した冒険者や一仕事終えた職人が圧倒的に多くなり、雰囲気が、がらりと変わるのである。
先程から魔法女子学園教師アドリーヌ・コレットは周囲を何度も見渡していた。
今夜はヴァレンタイン魔法大学時代の親しかった同級生達との食事会である。
友人から親しい『男友達』を連れて来るように言われたアドリーヌ。
彼女は魔法女子学園に在籍していた頃から大学を通じて学生時代には全く男性には縁が無く、就職してからも毎日職場である魔法女子学園と自宅である借家との往復であったので全くそのようなあてがなかったのだ。
困り果てた彼女は職場の同僚であるルウに声を掛けたのである。
広場の大魔導時計は丁度待ち合わせの時間を差したのだが、その相手であるルウは未だ現れていなかった。
アドリーヌは人混みの中にルウを見出そうとしながら、彼との出会いを思い出す。
最初に会った時こそルウの物言いに吃驚したアドリーヌではあったが、その後に先輩教師や生徒との折り合いに深く悩んでいた時に彼に相談してアドバイスして貰った事で立ち直る事が出来たのである。
あの時のままであれば魔法女子学園の教師の職を自分は必ず辞めていただろうという確信が彼女にはあった。
あの日以来、仕事は順調だ。
先輩教師達や生徒達とも巧く行っていて毎日の仕事が楽しい。
アドリーヌはルウにとても感謝し、いつの間にかそれが仄かな好意に変わっていたのである。
「お嬢さん、暇そうだね。俺と遊びに行かないかい?」
「え、は、はい?」
ルウがいつ来るかきょろきょろして探していたのを見られたせいであろう、いきなり声を掛けられたアドリーヌはつい吃驚して返事をしてしまう。
振り向いて誰かと見ると彼女の知らない若い男である。
年齢は自分と同じくらいだろうか、贅沢な身なりをしていて一見して貴族の子息といった風貌だ。
「おお、OKかい。じゃあ行こうか!」
男はこのような行為に慣れている様子で押しが強い。
あたふたしているアドリーヌの手をいきなり掴もうとしたのだ。
身を竦ませていたアドリーヌだが、さすがに伸びてきた手を振り払って貴族の若者を睨みつけた。
若者はそんなアドリーヌの態度が意外だったらしい。
「何だい、冷たいな。今、はいOKって言ったじゃないか」
「い、いえ……わ、私は」
「ははっ、悪い。待たせたな、アドリーヌ」
男の背後から聞き覚えのある声が聞こえてルウの長身が現れる。
ルウを見た貴族の若者は怪訝な表情だ。
「何だい、こいつは? いや待てよ、お前はアドリーヌって呼ばれたな。も、もしかしてお前はアドリーヌ・コレットか!?」
「しょ、初対面の人なんかには名乗れません。ルウさん、行きましょう! 御免なさい、待ち合わせしていた『彼氏』が来ましたので失礼します」
ルウが来たので少しでも安心したのであろう。
アドリーヌは慌ててルウの手を取ると直ぐに走り出してしまう。
「か、彼氏って!? お、おい、アドリーヌ! ちょっと待てよぉ!」
貴族の若者は慌てて追い縋ろうとしたが、アドリーヌはさっさとルウの手を引いて中央広場の人混みに紛れてしまったのであった。
いつものアドリーヌらしくない俊敏な動き。
ルウは手を確り握られて人混みの中を引っ張られている。
歩みを止めないアドリーヌと早足で行く事約10分……
2人が着いたのは菫と看板の掛けられた白壁の洒落たレストランの店の前である。
「はぁ、はぁ……ここです、ルウさん……着きました」
「おいおい大丈夫か? アドリーヌ」
「だ、大丈夫……はぁはぁはぁ」
その瞬間、ルウの指がぱちっと鳴り、放出された魔力波がアドリーヌを包み込んだ。
すると息を切らしていたアドリーヌの呼吸は即座に通常の状態に戻ったのである。
「はぁはぁ……あ、あれ? ……落ち着いた……の?」
思わずルウの顔をまじまじと見たアドリーヌにルウは片目を瞑った。
「え、もしかして?」
驚いたアドリーヌが問うとルウは黙って軽く頷いた。
アドリーヌが考えた通りルウは彼女を落ち着かせる『鎮静』の魔法を無詠唱で発動させたのである。
漸く状況が飲み込めたアドリーヌはさりげないルウの心遣いに感激した様子だ。
「ありがとうございます! や、やっぱりルウさんは凄いです。さ、さあ中に入りましょう!」
アドリーヌは嬉しそうにそう言うとルウの手を確りと握り直して店の中に引っ張り込んだのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
アドリーヌが店のスタッフに聞いて席に向うと彼女の友人達はもう既に席についていた。
「アドリーヌ、久し振り……ってその男性、彼氏?」
2人を見てアドリーヌの友人らしい女性が怪訝な表情を見せる。
「ええっ!? イザベル。ち、違うわ。し、職場の同僚で唯のお、お友達よ」
必死に弁明するアドリーヌだが今度はイザベルの隣に座っている別の女性がにやっと笑うと、ある指摘をした。
「それにしては『恋人』みたいに確りと手を握っているじゃない? 普通じゃないわよ、そういうの」
「え!? ネリーったら! あううう……」
思わず手を離し、真っ赤になって俯くアドリーヌ。
「ふふふ、まあ良いじゃない。結果そうなってもそれは成り行きと言うか、運命なんだから」
1番奥に座っていた女性がアドリーヌを擁護すると先に発言した2人の女性も頷いたのである。
ルウが見ると今、アドリーヌに話し掛けた3人の女性の向こう側には男性が座っていた。
最初に発言したイザベルという女性の向かい側には30歳前後の思慮深そうな男性が座っている。
ネリーと呼ばれた女性の向かい側であるその隣には、微笑を浮かべる若い商人風の男。
そして1番奥の男性が座る席だけが空席となっていたのである。
ルウとアドリーヌは1番手前の席に座るように勧められ、席に着く。
―――ルウ達が席についてから15分程が経った。
開始は全員揃ってからという決め事になっているらしい。
最後の男が未だ現れないので『会』を始める事が出来ないでいたのだ。
「もう! 何をやっているのかしら?」
1番奥に座っている女性が軽く癇癪を起す。
どうやら来ないのは彼女の『連れ』らしかった。
「シュザンヌ……ど、どうしたの?」
「どうもこうも! 私が呼んだ友達だけ来ないじゃない。やっぱり評判通り時間にとてもルーズなんだわ! だから私が店に来る前にどこかで早めに待ち合わせにしようっていったのにぃ!」
シュザンヌと呼ばれた女性はかなり立腹しているようだ。
確かにその男を呼んだ自分の立場もあるから当然であろう。
「どうしても出席したいって彼が強引に言うから誘ったんでしょう? 貴女のせいじゃないけど、これじゃあねぇ」
事情を少し聞いていたらしいイザベルと呼ばれた女性が呆れたように言った。
それを聞いたシュザンヌは更に怒りが増したようだ。
固く握った拳がわなわなと震えている。
「どうだろう……彼を待つにしてもとりあえず乾杯だけするとか」
ここで年嵩の思慮深そうな男が乾杯の提案をすると全員が賛成する。
無理も無い、ルウ以外の者はだいぶ焦れていたのだ。
その時である。
「いやぁ、悪い悪い! 待たせたなぁ!」
大きな声で遅刻を詫びながら登場したのは……
「えええっ!? さっきのナンパ男!?」
アドリーヌが叫んだ通り、現れた男は先程中央広場で彼女を連れて行こうとした貴族の若者であったのだ。
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