第251話 「お風呂デビュー」
ナディアは満足そうな笑みを浮かべた後、ふらふらとルウの方に蹈鞴を踏むと力尽きたように彼の胸に倒れ込んだ。
ルウがナディアの様子を見るとだいぶ息が荒い。
彼女にしてみれば戦の魔女と呼ばれた圧倒的な存在感のあるグラディスに相対して、とても緊張していたのであろう。
ナディアは今居るのがルウの腕の中だと知るとホッとして大きな溜息を吐いたのである。
そんなナディアの髪をルウは優しく梳きながら励まし、回復の魔法も掛けた。
「鎮静、補填! ……良くやり遂げたな! ナディア、偉いぞ」
「ナディア、良く頑張ったわね」
フランもルウに抱かれているナディアに声を掛けて労わった。
2人に見守られたナディアは僅かに頷くと満足そうに目を閉じ、そのまま眠りに入ってしまったのである。
ルウは穏やかな表情でフランに言う。
「余程疲れたんだろう。それにフランより魔力容量が少ないナディアが思った以上に魔力を放出し過ぎたからこの異界からの魔力補填も間に合わなかった。それで軽い魔力枯渇を起したんだ。だから直ぐに鎮静と魔力補填の魔法を掛けておいたぞ。今日はゆっくり寝かせておいてやろう」
「大した事じゃなくてよかったです! 屋敷の部屋に運んで頂ければ私が彼女の着替えをしておきます」
フランも頷くと慈母のように微笑んだ。
「ああ、それにモーラルの方も訓練がひと段落したようだ」
「ええ、そのようですね」
ルウに言われてフランがモーラル達が居た方向を見やるとジゼルが息急き切って走ってくるのが分かる。
どうやらこちらの様子を見て何かあったと感じたに違いない。
身体強化の魔法が掛かっているせいもあって、あっという間に駆けつけたジゼル。
彼女は眠り込んだナディアを見ると大きな声で叫んだのである。
「ナ、ナディア! い、一体……ど、どうしたんだ!?」
普段お互いに憎まれ口を叩いていてもジゼルにとっては1番信頼する友である。
いつもながら心配の仕方が尋常ではない。
「大丈夫だ、ジゼル。緊張から来た疲れと、魔力を少し使い過ぎたので眠っているだけだ、鎮静と魔力補填の魔法も掛けてある」
「そうか、旦那様。よ、良かった! な、何だよぉ。こいつぅ、心配させてぇ!」
ジゼルは「もう」と口を尖らせて苦笑し、眠っているナディアの額を軽く指で弾いた。
しかし彼女が安堵の表情を見せているのは傍から見ても分かるものである。
元気を取り戻したジゼルに対してルウは訓練の成果を聞いてみた。
「ははっ、ジゼル。それでそちらはどうだ、魔導拳を含めた訓練の成果は?」
「旦那様、よくぞ聞いてくれた! 手加減しては貰っているがモーラルと普通に組み手が出来るようになって来た。それに伴い、魔力波読みの力も少しずつ進歩しているのが自分でも分かる。加えて、簡易に発動出来る回復魔法のやり方まで教えて貰った――彼女はとても優れた先生だな」
ジゼルは胸を張って今日の成果を報告し、モーラルの指導を称えた。
「よしっ、偉いぞ、ジゼル」
ルウが褒めるとジゼルは耳たぶまで染めて俯いてしまう。
「ははは、あの……その……旦那様、お願いだ。ご褒美に頭を撫でてくれないか?」
どうやらジゼルはルウに褒めて貰う事をモチベーションにしているらしい。
ルウが彼女の言う通りに頭を撫でてやると彼女は気持ち良さそうに目を閉じたのである。
その時にはモーラル以下他の妻達も到着し、ルウに頭を撫でて貰っているジゼルを目撃した。
なかでもリーリャはジゼルの普段とのギャップに驚いたらしい。
「ええっ! ジゼル姉ったら、まるで旦那様に懐いている猫みたい……私の歓迎会の時の獅子の様な凛とした佇まいはどこへやら……」
リーリャが悪戯っぽく笑いながら言うとジゼルはいつも通りむきになって反論する。
「にゃ、にゃにおう! リーリャ! お前こそ最初はロドニア王国の威厳ある姫君として振る舞っていたのに、旦那様の事を話したらまるで溶けたバターのようにとろけた感じになっているぞ」
「ええっ! と、溶けたバター!? とろけたぁ!?」
余りの表現に頬を膨らますリーリャを見てオレリーとジョゼフィーヌが大笑いした。
2人の様子を見たリーリャは涙目になっている。
「笑うなんて……ひ、酷いですわ。お姉様方」
「はっははは! 正義は勝つ!」
「こらジゼル! 何が正義よ、ナディアにいつもやり込められているからってリーリャを苛めないの」
勝ち誇るジゼルにフランが一喝するとさすがのジゼルもしゅんとしてしまう。
そんなジゼルの頭をルウは優しく撫でてから、他の妻達に呼び掛けた。
「ははっ、皆今夜の訓練はこれくらいにしておこう。ナディアを寝かさないといけないし、とりあえず屋敷に戻るぞ。訓練の成果は風呂に入りながらでも聞くよ」
「風呂か? ああ、了解だ!」「楽しみ!」「皆で入るお風呂は楽しいですわ」
風呂と聞いて殆どの妻達は歓声を上げるが唯1人リーリャは複雑な表情だ。
何故ならばロドニアにおいて風呂とは1人で入るものであり、こんなに大人数で入る習慣など無いからである。
「リーリャ、もしホテルに帰るなら旦那様が送ってくれるわ。ふふふ、どうする?」
「いいえ~! 私もお屋敷に行ってぜひお風呂に入らせて頂きます!」
フランが問うと1人除け者にされると思ったのか、リーリャはきっぱりと、皆と同行するという意思を示したのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ルウ・ブランデル邸4階大浴場午後10時……
ロドニアに大人数で風呂に入る習慣は無いが、実はヴァレンタインにも無い。
聞く所によると、ルウの屋敷の大浴場は先の所有者ホワイエ子爵が愛妾と入浴する為だけに作ったらしい。
ルウの生活魔法で適温に沸かしたお湯にゆったり浸かるとこの世の天国ともいえる心地良さに、最初の頃は入浴する度に恥ずかしがっていた妻達も完全に嵌ってしまった。
そして文字通り『裸の付き合い』により、お互いに包み隠さず話す事が多くなるメリットもあって、魔法と体術の訓練の後に皆で入るお風呂は最近欠かせない行事となっていたのである。
しかしリーリャは未だルウに抱かれておらず、裸にもなった事もないのでここまで来ても躊躇しているのだ。
「リーリャ、早く来なさい。ホテルに戻るのが遅くなってしまうわ」
フランが呼ぶがリーリャはなかなか脱衣所から出て来ない。
今度はルウがリーリャを呼んだ。
「リーリャ、皆がお前を待っている。全員同じ格好なんだ、気にせず入って来い」
促されたリーリャは脱衣所から消え入るような声で返して来る。
「だってだって、フラン姉達のボン! キュッ! ボンには到底敵わないのですもの……私、貧弱な自分の身体が恥ずかしくてどうしても出て行けません」
それを聞いて1人で身体を洗っていたモーラルが険しい表情をする。
「リーリャ……それは私に対するあてつけですか? もしそうなら考えがあります」
流れるようなシルバープラチナの長い髪を持ち鼻筋がきりりと通ったモーラルの顔立ちはとても美しく、身長も体重も年相応にあったが、他の妻達と比べてあるコンプレックスを持っていた。
すなわち『つるぺた』の幼児体型がそうなのであった。
今のリーリャの発言はそんなモーラルのコンプレックスを刺激してしまったのである。
怒りを抑えてドスの利いた声でぽつりと呟いたモーラルに対して脱衣所越しにリーリャは恐る恐る問う。
「もし、そうならば?」
「もう姉と妹とは金輪際思いません。勝手にロドニアへ帰ればいいわ。さあ愚図愚図していないで旦那様の所に行きなさい」
「わぁお! そ、それは困ります! 御免なさい、モーラル姉!」
きっぱりと言い切ったモーラルの言葉を聞いたリーリャが慌てて脱衣所のドアを開けて走って来た。
リーリャは決して卑下するような身体つきではない。
金髪をなびかせて走る彼女のたおやかな肢体は躍動し、その姿は妖精のように美しかったのだ。
「ああっ、きゃっ!」
急いでルウに駆け寄ろうとしたリーリャであったが、余りにも慌てたせいか床に足を取られて滑ってしまう。
その瞬間ルウの指がパチッと鳴らされた。
「浮べ!」
ルウが浮遊の魔法を発動し、神速で放出された魔力波がリーリャを包み込むと滑って宙に浮いた彼女の身体は床に叩きつけられる事無く、浮かび上がってルウの胸の中に収まったのである。
一糸纏わぬ、あられもない姿でルウに抱かれたリーリャは一瞬呆然とするが、気がつくと直ぐ恥ずかしがってルウの胸に顔を埋めてしまう。
「だ、旦那様、もしかして私の全部……見ちゃいましたよね……リーリャは凄~く恥ずかしいです」
「ははっ、大丈夫だ。お前は本当に綺麗だよ、皆と同じ様にな」
ルウが褒めるとリーリャは顔を上げて嬉しそうに笑う。
そして改めてルウに甘え始めたのであった。
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