第213話 「リーリャの驚き」
ヴァレンタイン王国王都セントヘレナ王宮前中央広場、土曜日午前10時少し前……
今、この王都セントヘレナの中央広場は日頃の猥雑な趣は全く無かった。
いつも路上にある露店の出店許可が一切下りていない為である。
これからロドニア王国リーリャ・アレフィエフの留学記念パレードが行われるのだ。
王宮の正門の両脇には北の国から来た美しき姫君をひと目でも見ようとする人々で一杯であった。
その人々が警護の境界線より出ないように、また不穏な人物が不埒な真似を働かないように王都騎士隊と衛兵隊の精鋭が周囲に鋭く目を光らせている。
庶民達の間では急に報された王女来訪に驚きの声が上がったが、直ぐ警備上の問題だと納得し、自分の仕事の都合を遣り繰りしてこれだけの人が集まったのだ。
「ヴァレンタインに来たばかりの時に正門で見た知り合いに聞いたけど、ロドニアの屈強な女性騎士達に守られた中で、それはそれは美しく、しとやかな姫君だったそうだ」
「ウチの嫁とは大違いだな」
「全くだ! せめて今日くらいは目の保養をさせて貰おうぜ」
口さがない男達の噂に上るリーリャの美しさの評判は更に大きくなり、彼女の乗った馬車が現れる頃に王都の者達の熱狂度は最高潮に達していた。
ゆっくりと静かに進むオープンタイプの馬車には国王リシャール・ヴァレンタインとリーリャが乗り込んでいる。
王リシャールが手を振ると大きなどよめきが起こり、王の名を呼ぶ声が掛かるが、続いてリーリャが手を振ると人々の歓声で地鳴りのように大地が揺れた。
このような事に対して王によっては不快感を示す者も居るが、リシャールは自身の性格のおかげで、そんな事を気にせず全く表情は変わらない。
後方の馬車に乗り込んだ宰相フィリップはそんな兄の姿を見てホッとする。
政治的手腕に関しては疑問符がつく兄であるが、王族らしい鷹揚さが良い方向に出ているのだ。
リシャールとリーリャの乗り込んだ馬車の右前方にはレオナール・カルパンティエ公爵が愛馬に跨り、辺りを睥睨しており、キャルヴィン・ライアン伯爵がその直ぐ後ろを固めている。
馬車を挟んで反対の左側にはロドニア騎士団副団長のマリアナ・ドレジェルが同じ様に左右を見回しており、同様に屈強な騎士団員のイグナーツ・バプカが曲者が居ないか鋭い眼光を飛ばして見張っていた。
馬上のマリアナは最初は正直、半信半疑であったのだが、ヴァレンタインがしっかり約束を守ってくれた事に感謝し、同時にこの国に対する見方を変えようと考えている。
彼女はこれまでは伝聞だけでヴァレンタインのイメージを勝手に作っていた。
戦士はひ弱で役に立たず、魔法使いに頼ってばかりの狡い国という、今から考えれば酷い偏見である。
今回のリーリャ王女護衛の仕事でそれが完全に間違いであった事に彼女は気付いたのであった。
中央広場を丁度一周してパレードは終わった。
そしてその夜は王家主催の盛大な晩餐会が開かれたのである。
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ホテルセントヘレナのスイートルーム、日曜日午前10時……
王家の晩餐会から一夜明けた朝である。
「では王女様、暫くはこのホテルでお暮らしになるということで宜しいですね」
侍女頭のブランカ・ジェデクが満面の笑みで念を押した。
このホテルでの生活を推していた彼女にとっては無理もない。
「ええ、学園の寮生活はとても興味がありますけど、警護の面でヴァレンタイン側に負担を掛けてしまいそうですから」
リーリャは少し寂しそうに答える。
「では私はこのホテルの支配人と今後の打合せをして来ます。部屋の入り口にはマリアナを始めとして警護の騎士達も詰めて居りますし安心ですよ。何かありましたらネラ達数人を残して行きますので御用をお申し付けください」
ブランカはそう言い残すと嬉々として出かけて行く。
彼女が部屋を出て行き、ドアが閉められるとリーリャは小さく溜息をついた。
リーリャは度重なる行事で疲れていたのは確かではあるが、あの『事件』から余りにも劇的な変化があった事に対して更に気疲れしているのである。
かといってリーリャにとって悪い事が起こったわけではない。
まさしくあの黒髪の悪魔が話していた通りになったのである。
まず、あのザハール・ヴァロフが現れた日の記憶が自分以外から消去されてしまっているのが彼女にとっては驚きであった。
リーリャがそれはとなく周囲に聞いた所、侍女達だけでは無く、マリアナ達騎士団員やホテルの従業員達にも一切記憶に残っていないらしい。
信じられないと感じたリーリャではあったが、これ以上詮索すると皆に不審がられる為にそれ以上調べる事を諦めたのである。
そんなリーリャに更に驚く報せが届く。
それは父ボリスから届いた鳩による便りであった。
文面は予想外の内容である。
自分の考えが間違っていた事や母、兄、姉達家族が皆、元気な事。
そしてヴァレンタイン王国での学生生活を、身体に気をつけて楽しむようにとの事が綿々と綴られており、最後には自身が近いうちにヴァレンタインへ来訪する事が記されていたのだ。
あ、あの生々しい野望に取り憑かれた父が……
黒髪の悪魔の言う通り、やはり父には怖ろしい何者かが害をなしていたに違いなかった。
そして父を含めロドニアを救ってくれたのは……やはりあの黒髪の悪魔なのであろう。
「お会いしたい……優しい……悪魔様」
どこからか爽やかな風が入って来た。
ホテルの開け放たれた窓からは良く晴れた空が見える。
リーリャの小さな呟きはその空にそっと吸い込まれていったのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
魔法女子学園屋内闘技場、月曜日午前10時……
入学式や卒業式などのイベントも行われるこの闘技場で今、リーリャ王女の歓迎及び入学式典が行われている。
理事長のアデライド・ドゥメール伯爵の挨拶に始まり、生徒会長であるジゼル・カルパンティエの歓迎の挨拶が終わった後、ホテルでしっかり練習したリーリャは感謝の挨拶も何とか無難に終わらせる事が出来た。
2年生のクラスに編入という形を取るリーリャは理事長のアデライドに学園内を簡単に案内して貰った後に理事長室に戻って来たのだ。
御付きに関しては他の学生と同じ扱いというヴァレンタイン側の希望で今後一切つけない事に決まったのでブランカも渋々承知する。
「ご昼食はどうされます?」
アデライドが問うとリーリャは先程案内して貰った学生食堂で食べたいと希望した。
「では私がお供を……」
そう言い掛けたブランカに対してアデライドが笑顔で首を横に振った。
「明日からは王女はこの学園の一生徒です。少しずつ慣れて頂きます。編入される2年C組の担任と副担任に同行して貰いましょう」
それを聞いたブランカが僅かに美しい眉を顰めた。
「あの……式典中は所用とかで席をずっと外されていましたけど、副担任って若い男性の先生ですよね……あの……大丈夫でしょうか?」
「大丈夫……とは?」
アデライドが面白そうにブランカに問う。
「あの王女様に対して……その……」
それを聞いたアデライドは口に手を当てて軽く笑った。
「そんな事なら心配ありません。彼は自分から女性を口説いたりする人ではありませんわ」
アデライドのきっぱりした物言いにブランカはホッと胸を撫で下ろした。
その様子を見たアデライドは心の中で呟く。
但し、女性が一方的に好きになったらその限りではないですけど……ね。
直ぐに理事長室から使いが行き、足音がしてドアの前で止まる。
来たのは呼ばれた2年C組の担任と副担任であろう。
リーリャは式典で見た自分の担任を思い出していた。
2年C組の担任は……このアデライド理事長の娘さんで、フランシスカ先生って言う美しい女性だったけど……
副担任のルウ・ブランデル先生って……どんな方かしら?
がちゃり……
ドアが開き、フランと一緒に入って来た黒髪で痩身の男を見た瞬間、リーリャは息が止まる程驚いたのである。
そして思わず小さく叫んでしまったのだ。
「あ、悪魔様!?」
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