第19話 「興味」
翌朝……
ドゥメール伯爵邸での朝食の席は、フランのひとり舞台。
楽しそうに喋る、喋る……
フランが明るい理由は、はっきりしていた。
従者として、同じ魔法女子学園の教師として、ルウの正式な勤務が今日から始まるのだ。
まず手始めに、服を始めとして必要な物を購入する彼の買い物に同行。
帰宅後は、春期講習の打合せを一緒に行う。
フランはルウとのイベント全てを、とても楽しみにしており、夢見心地である。
アデライドは苦笑して、愛娘をずっと宥めていた。
まるで遠足に行く前の、幼い子供のような雰囲気である。
「だって楽しみなんですもの」
満面の笑みを浮かべて話すフランに……
呆れながら、アデライドもつい笑顔になる。
何故なら、これまで暗く辛い表情をしていたフランと、同一人物とは到底思えないから。
「もう! 買い物をするのは貴女じゃなくルウなんですよ」
「ははっ、俺は良いよ。フランを守る―――どっちにしろやる事は変わらないんだろう?」
母娘のやりとりを聞きながら、ルウは相変わらず穏やかな表情のままであった。
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朝食が終わり、ルウとフランが外出する時間となった。
「お嬢様、馬車を用意致しますか?」
家令のジーモンがフランに伺いを立てるが……
彼女はルウと一緒に、王都の街を歩きたいと言う。
「いいえ、ジーモン。馬車の用意は不要よ。私はお店のある商館街区までルウと歩いていくわ。ええ、ゆっくりとね。今日は天気も良いから」
「かしこまりました。ではルウ、お嬢様を頼むぞ」
「ははっ、任せろ!」
「後でお前の使った、妙な拳法の事も教えろよ」
戦闘狂のジーモンが念を押すのを、ルウは曖昧に笑って流す。
ふたりは手を繋いで階下へ降り、扉を開けて外に出た。
外はフランが言うように晴れていて、清々しく気持ちの良い朝である。
春の、暖かな日差しが差す中を門に向かって歩いて行く。
「残念ながら……ここまでだな」
「ああっ」
途中まで歩くと、ルウがフランと握った手を離した。
いきなり手を離され、ルウの事を恨めしげに見詰めるフラン。
構わず、ルウは1歩、2歩前に出て、辺りを睥睨した。
「大丈夫だ、悪意を持ってこの屋敷を見ている者は、今の所、附近には居ない。行こうか、フラン」
「もう! まあ仕方がないか……」
フランは暫くルウと繋いでいた手を眺めていたが……
やがて諦めた様に苦笑した。
そして小走りして、ルウに近付くと寄り添うようにして歩き出したのである。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
貴族街区にあるドゥメール伯爵邸の門を出て暫く歩くと、10分程で中央広場に出る。
ヴァレンタイン王国王都セントヘレナは、街の中心に王宮がそびえ立ち、その周囲を広大な中央広場が囲んでいた。
この広大な中央広場から、放射状に伸びたいくつもの道によって隔てられ、様々な街区が造られているのである。
ルウとフランが向かう商館街区は、王宮を挟んで貴族街区の向かい側にあたる。
なので、ふたりは中央広場に出ると、そのまま王宮の傍を回り込むように歩いて行った。
金髪の美しい貴族令嬢と黒髪、黒い瞳の痩身痩躯な男の組み合わせは、充分に人目を引く。
何人もの人が、ルウとフランを指差したり、振り返ったりしていたのだ。
そして、小さな事件は起こった。
いきなり!
どこかの貴族の息子らしい、身なりのだらしない若い男がルウとフランの行く手を塞いだのである。
男の背後には、いかにも金で雇われたような子分らしい取り巻きが10人ほど控えていた。
「おほう、可愛いね、君。俺達と遊びに行かない? こんな男なんて放っておいてさ」
この手の輩は、もし断ったりしたら……
子分達の数にものをいわせて女性を拉致しかねない……
そんな怖ろしい雰囲気も持っていた。
フランが困ったような顔をすると、いつの間にかルウがフランと男の間に入って立ちはだかっている。
「貴様、どけ!」
若い男の顔が憎悪に燃え、目の前のルウに向かって思い切り拳を打ち込んだように見えた……
だがルウは、軽々と躱し、殴りかかった男は勢いあまって転倒した。
転倒した男はすぐ立ち上がると、動物のような奇声をあげてルウへ掴みかかって来る。
ルウはまたもあっさり躱すと、今度は男の拳を無造作に掴んでしまう。
掴まれた男の拳が、メキメキと嫌な音を立てた。
「ぐぎゃあああ!」
激しい痛みに、男の顔が歪み、口からは醜い叫び声があがる。
こうなると、男の背後に控えていた子分共も黙っていなかった。
ルウへ向かって突進しようとした。
だがルウは、男の耳元で何か囁く。
すると男の身体が、電撃に打たれた様に硬直した。
男は慌てて、空いていた左手を振り、子分共が迫って来るのを抑えたのである。
ルウは、再び男に囁いた。
「俺はお前とだけ、ゆっくりと話がしたい……子分共なんか下がらせろ」
「お、お、お前達、さ、下がれ! 下がってくれ」
子分共は悔しさを滲ませながら、主人が命じた通り、少し離れた所に下がる。
その様子を見たルウは不敵に笑う。
「俺も大概だけど、お前も女の口説き方が凄く下手だ……まぁ、良い。名前と年は?」
ルウが問い質すと、何故か男は抵抗出来ずに素直に名乗る。
「く、くう! ラ、ラザール・バルビエ、17歳。お、俺の親父は! バ、バルビエ男爵なんだぞぉ!」
やはり男は貴族の子弟であった。
だがルウは、全く動じてはいない。
「ははっ、親父はあまり関係ないんじゃないか? で、お前は普段何しているんだ?」
「…………」
「おいおい、黙っていたら拳が潰れるぞ」
男はまだ、ルウの質問に答えない。
ルウは容赦なく握った男の拳に力を入れる。
骨が軋む音がして男の顔が再び苦痛に歪んだ。
「うぎゃああああ、や、やめてくれ! い、言うよ。俺はヴァレンタイン王立魔法男子学園の2年生だっ!」
ルウの中へ……
バルビエの魔力波を通じ、彼の記憶が入って来た。
……バルビエとその取り巻きは、今回のように街中でいろいろな女性に声を掛け、まるでならず者がやるように何人も拉致して乱暴したらしい。
後始末は……
貴族である事を使って、事実を無理やり揉み消して来たようだった……
いつもは穏やかなルウの表情に、珍しく不快の影が差す。
「……多くの女に、散々酷い事をしたみたいだな。しかしもうお終いだぞ。もし良心が残っているのなら、自分で衛兵隊か、王都の騎士隊に出頭しろよ」
ルウの怖ろしい殺気を感じたのか、バルビエの身体が硬直する。
「ひ、ひえ!」
バルビエに冷たい眼差しを向け、ルウは全く抑揚の無い声で言う。
「俺は彼女の従者だが、今後、指1本でも触れてみろ」
ルウがそう言った瞬間、バルビエの喉がごくりと音を立てて鳴った。
静かな、しかし冷酷とも言えるルウの怒りの魔力波が一気に流れ込んだからである。
バルビエの耳へ、それまでとは全く違う口調が響く。
全く冗談とは思えない、ルウの冷酷な声である。
「あんな子分共は勿論、お前も含め、お前の家族も全て嬲り殺しにしてやる」
ルウの言葉を聞いたバルビエが、立っていられないほど震え出した。
一瞬のうちに、バルビエの両親が無残に殺されるイメージをルウが魔法で見せたのだ。
恐怖に囚われたバルビエは、もう力なく頷くしかなかった。
この時になって、ようやく衛兵が駆けつけて来た。
取調べとその場に居た見物人に事情聴取をした所……
双方とも剣を抜いて居ないし、ルウは殆ど抵抗もしてない。
……ように見えたから、小さな喧嘩という事で厳重注意の上、お互いに無罪放免となった。
駆けつけた衛兵から、フランの素性を知ったバルビエは更に青ざめていた。
攫おうとした相手が、自分の父親より爵位の高い伯爵令嬢だと分かったからだ。
すっかり怯え、元気を失くしたバルビエ。
彼は子分達の呼びかけにも応じず、重い足を引きずりながら屋敷に戻り、その夜自ら衛兵隊に出頭したのである。
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衛兵の取調べが終わり、再びルウとフランが商館街区に向かおうとした時……
ふたりを見ていた10代半ばと思われる少女がふたり居た。
両名とも女性にしては鍛えた、逞しい身体をしているのが、腕の筋肉を見れば分かる。
それぞれ色の違う革鎧を装着し、腰には魔法が付呪されたらしいショートソードを下げていた。
ふたりは特に、フランには悟られないように群集に身を隠している。
どうやら、フランの顔見知りのようだ。
「あれってさ、間違いなくウチの学園の【鉄仮面】だよね……」
「うん、間違いない。だけど彼女のあんな笑顔って、初めて見るよ」
フランの事を【鉄仮面】と呼んだのは……
金髪をショートカットにした碧眼の娘。
同意したのは、明るい茶髪をポニーテールにした鳶色の瞳の娘である。
どうやらふたり共、魔法女子学園の生徒のようだ。
「原因はあの……男……かな?」
「そうだね、服装は貴族っぽいんだけど……従者だね、あれは……それにしても、あの黒髪は……」
少女達は、ルウの容姿を観察し、何者か見極めようとしているらしい。
「ねえ、ちょっと興味あるよね?」
「ああ、結構……ある」
囁き合った少女達は……
先を歩くルウとフランの後を、付かず離れず尾行し始めたのであった。
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