第188話 「悪魔を支配する書」
――何も無い白い世界、ここはルウが造り出した異界だ。
地上の時間で言えばルウがライアン邸でシンディ・ライアンの悩みを完全に解決した日の真夜中の事……
ルウはこの異界で戦い捕らえたメフィストフェレスを拘束し、ヴィネとバルバトスに監視させていた。
『復讐』……ルウが使用した、通称悪魔殺しと呼ばれるこの究極の闇魔法の威力は絶大で、強靭な魂と肉体を持つメフィストフェレスにしても、この魔法の前には無力であった。
当然、この魔法の存在を知る者は限定されており、発動できる者は更に限られている。
メフィストフェレスはルウに掛けられた束縛の魔法による締めけられるような激しい痛みに耐えながらそんな事を考えていた。
確かこの魔法を使えるのは地に落とされた元天使長のルシフェルのみ。
そして人間では唯一魔法王と呼ばれた天才ルイ・サロモンが72柱の悪魔を使役する為に使用しただけだ。
創世神、そして大天使達はその存在を知ってはいる。
しかし創世神はともかく、大天使達は闇魔法など使うのも汚らわしいという考えなので例えこの魔法が使えたとしても実際には決して使いはしないのだ。
それに……あの人間がルシフェルと何か関係があるらしいとは分る。
しかし奴の魔力量は人間としては異常に多いが、あの闇魔法を使うには絶対的に足りないのだ。
「ぐぐぐ……な、何故だ? アンドラスも含めてお前等、何故あいつに仕えている?」
メフィストフェレスが苦しい息の下から問うてもヴィネもバルバトスも目を閉じたまま答えようとしない。
「はぁはぁ……くく糞っ! おお、もしや奴の命令で俺と話すなと、言われているな」
息を切らしながら、悔しがるメフィストフェレス。
すると唐突にバルバトスが喋った。
「間も無くルウ様がいらっしゃる。性根を据えて彼の質問に答えるが良い。嘘や詭弁を使えばあの方は容赦をしない……しかと心得ておけ」
「おお、お前等、元は天界の者として、たかがあんな人間ごときに使われて悔しくないのか?」
「…………」
バルバトスは一方的に告げただけでやはりメフィストフェレスの言葉に耳は貸さないようだ。
それからどれくらい時が経ったのだろうか。
いきなりその時はやって来た。
蒼い火球がいきなり出現したのである。
「ルウ様だ!」「ルウ様がいらっしゃったぞ」
バルバトスとヴィネが同時に叫ぶ。
メフィストフェレスが霞む目を凝らして見ると確かにあのルウと呼ばれる人間がその長身の姿を火球の中から浮かび上がらせている。
『メフィストフェレス……メフィストと呼ぶぞ、正直に答えろよ。答えねば今度こそ復讐の魔法でお前を消滅させる』
いきなりメフィストフェレスの魂にルウの声が響く。
『お前の魂にイクリップスという名がある。こいつが今回の黒幕か?』
間髪を置かず、自分の魂の引き出しを開けてしまったのであろう。
メフィストフェレスは抵抗するのを諦めた。
『そうだ! 俺は悪くない、悪いのはそいつだ!』
『そのイクリップスがバエルを使役する事が出来ているのはやはりアッピンの赤い本のおかげか?』
人間には真の名と書いて真名と呼ばれる魂の名前がある。
真名とはその者の全てを集約した、神から与えられた名称であり真名を知られてしまった者はその身の自由を奪われてしまうと言う。
今ルウが従えている悪魔ヴィネは魔法使いの真名を読み取る能力を使い、契約したナディアを思うがままに操った。
またアンドラスは人間に不和を起させる能力、バルバトスはそんな人間の不和を収める能力を備えている。
このように悪魔は忌み嫌われながらも各個が様々で絶大な力を所持しているのだ。
そもそも悪魔と言うのは人間と取引をして契約を取り交わすのが大好きである。
巷で最も良く知られた取引とは『魂の代価に何を望むか?』と問われるものだ。
契約が成立すると彼等は確実に魂を奪う為、あの手この手で人の願望につけ込んで欲望を肥大化させ、快楽から抜けられないようにしてしまう。
そんな狡猾で残忍な悪魔を危険を冒さずに思うがままに征服、支配出来るとしたら……
誰もがその方法を知りたいのは当たり前だ。
……実は真名というのは悪魔や人外にもちゃんと存在する。
『アッピンの赤い本』とは数多の悪魔の真名を記した幻の魔導書であり、彼等の真名を知ることが出来れば有無を言わさずに支配する事が出来るのだ。
メフィストフェレスによれば多くの召喚者の憧れであるその魔導書の一部が、今回の黒幕であるというイクリップスのに手にあるというのだ。
『その一部というのがバエルの頁なんだな』
ルウが問うとメフィストフェレスはルウの推測の通りだと答えた。
『そうだよ、だから奴はイクリップスの言う事を聞くしかないんだ』
もしや……ルウは何かを思いついたように頷き考える。
イクリップスは自分が3体の悪魔を従えているのを知っている……であればこちらの力を見極めていない限りもしかしたら残りの魔導書を持っている悪魔を支配していると考えてもおかしくない。
魔導書の力を充分に知っているのなら、当然それを奪おうとするだろう。
後は奴が一体何を狙っているのか?
人食いの合成生物や魔物を造り、人々に害をもたらそうとする輩だ。
確かめてみないと分らないが、邪な野望を持っているのは間違いが無いであろう。
ルウが思わず独りごちる。
『どちらにしても俺がバエルを解放しないといけないだろうな』
『お前如きにあの大魔王を支配出来るのか? たかが人間によぉ?』
ルウの言葉に対して思わずメフィストフェレスが返した時であった。
『愚かなり、メフィストよ。何故私が彼と契約しているとは考えんのだ』
今迄のルウとは全く違う厳かな口調による言葉がメフィストフェレスに投げ掛けられた。
ぞわり!
背筋を伝うこの悪寒……
本能的に感じる恐怖……
先程、ルウの魔法に恐怖したように悪魔にも喜び、悲しみ、そして恐怖などの感情も存在する。
この声は間違いなくメフィストフェレスに恐怖の感情を起させるものであった。
『もしや!? か、閣下?』
メフィストフェレスは漸くルシフェルの声と気付いたようである。
「気付くのが遅過ぎるな……ふん、魔界の知恵者を自称するわりには洞察力が甘すぎるぞ。お前が余りにも人間を馬鹿にして舐めているからこうなる。あの魔法を知る者は限られていて、それが発動した時に普通は気付くものさ、普通はな」
メフィストフェレスは何か違和感を感じた。
そしてルウの顔を見詰めると黒い瞳は変わらないが、その奥にある深みのある眼差しが全く変わっていたのである。
『このルウは私の唯一の契約者であり使徒だ。私の全てを理解し、魔法を含めた知識を得、それを実行できる素養もあるのだ』
自分がまさか!? という表情をしているのをメフィストフェレスは自覚していた。
『さあ、私もあまり時間を掛けたくないからな。改めて聞こう。お前はこのルウに仕えるのか、仕えないのか。私に仕えるのではないぞ、あくまでもルウに仕えるかだ』
ルシフェルはそれとも魂を滅するか……どちらかを選べと迫る。
『分りました。……この彼が閣下、貴方にとって何たるかを!』
メフィストフェレスは叫ぶ、そしてルウ様に仕えましょうと言い放っていたのであった。
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