第187話 「巡り会い」
キャルヴィン・ライアン伯爵邸客間、午後6時……
シンディとエミリーの変な蟠りも解け、皆は一気に打ち解けて話が盛り上がっている。
なかでもライアン夫妻の喜びようは尋常では無かった。
愛する息子のジョナサンが以前とは見違えるくらい逞しくなり、騎士として1人前になると宣言したのである。
しかもこんなに可愛い『彼女』を連れて戻って来たのだから尚更だ。
ヴァレンタイン王国の祖バートクリードが平民だった事もあってキャルヴィンもシンディも貴族の婚約者として、エミリーが平民である事を受け入れていた。
だが、ジョナサンには両親には伝えていないひとつの決意がある。
それは両親も含めてある人には告げねばならない事なのだ。
「そろそろお客さんが来ますよ、ライアン伯爵、シンディ先生」
ルウが穏やかな笑顔を浮かべながら言う。
「え? 誰だい、ルウ」「ルウ君、それって」
2人は怪訝な顔をする。
その時また家令がドアをノックした。
「アルバート様がお見えです」
「え、父が?」「お義父様が?」
ルウの言っていた『お客』とはキャルヴィンの父であるアルバート・ライアンである。
「どうして急に? それもこんな時間に?」
「伯爵、ジョナサンは改めて皆さんに話す事があるんです」
腑に落ちない表情の伯爵にルウは新たな事実を告げた。
「え、未だあるのか?」「ルウ君」
アルバートも含めた中で改めて話すという事にキャルヴィンとシンディは不安げだ。
―――やがて家令に案内されたアルバートが部屋に到着する。
アルバートはもう80歳に手が届こうかという年齢ではあったが、矍鑠とした老人だ。
「お祖父様、よくいらっしゃいました。今後ともこのジョナサンの、騎士としてのご指導ご鞭撻何卒宜しくお願い致します」
ジョナサンが直ぐはきはきと挨拶をしたのでアルバートは上機嫌であったが、息子夫婦と孫の他にルウ達が居るのを見ると居住まいを正して挨拶をする。
「これはこれは初めまして儂はアルバート・ライアン。元伯爵で騎士じゃ。皆さんは当家とはどんな関わりの御方達かな」
「初めましてアルバート様、私はルウ・ブランデルと申します。シンディ奥様の後輩で魔法女子学園の教師です」
「アルバート様、私はモーラル。ルウの妻で従士です」
ルウとモーラルの挨拶に対してアルバートは顔を綻ばせた。
「成る程、嫁御の後輩とその奥様か? それはそれは……してその娘は嫁御の生徒かな?」
アルバートの視線がエミリーに向けられる。
ここだ!
ジョナサンはずいっと前に踏み出してアルバートの正面に立った。
孫の意外な行動にアルバートの顔が引き締まる。
「お祖父様! 彼女はエミリー・バッカス。僕が妻として迎えたい女性です」
ジョナサンの大きな声が部屋に響き渡る。
部屋に沈黙が漂う。
やがて口を開いたのはアルバートである。
「ジョナサン、我が孫よ。お前は自分が貴族だという事を分っておろうな」
アルバートの声が重々しい厳かな口調に変わっている。
「はい、お祖父様」
アルバートは鋭い目付きで孫を睨みつけるが、ジョナサンの様子は変わらない。
「見た所、失礼ながらその娘は平民じゃ。そうなると巷の声も煩かろう。ライアン伯爵家の後継者として家格に相応しい家柄の娘を娶り、良い子を産ませて家を存続させる事がお前の役割だとは思わんのか?」
「そうなるに越した事はないでしょうが、僕はそれだけでは無いと考えています」
直ぐに引き下がると思った孫の意外な反撃にアルバートの口角が僅かに上がる。
「ふうむ、ではお前の考えを述べてみよ」
ここでシンディが一同に座るように勧め、家令に新しい紅茶を持って来る事を命じた。
「私は昨夜、彼女の故郷の楓村で数百匹のゴブリンと戦いました。そして村民達と力を合わせて撃退したのです」
孫の話した事にさすがのアルバートも驚いた。
数百匹のゴブリンとは強靭な騎士団の一隊でも難儀する相手である。
「な、何!? キャルヴィン、それは本当か?」
「事実です、父上。ジョナサンはたまたま野外実習の途中でその事件に遭遇し、楓村を救う力となりました。その時に力を貸してくれたのがこの2人です」
キャルヴィンの話に再び驚いたアルバートは孫の顔をまじまじと見た後でルウ達をも見詰めたのである。
「お祖父様、話を続けますね」
ジョナサンに促されてアルバートは再び孫に向き直った。
「僕はこの国を支えている働く者達がいかに苛酷な環境で生きているか良く分りました。そして村を見て、この国が無事にあるのは彼等の支え無くしてはあり得ない事も、戦うべき者がいかに彼等を見捨てて守るべき義務を放棄している事もです――僕は今迄王都の安全な城壁に囲まれてぬくぬくと生きて来た自分が恥ずかしくつくづく嫌になったのです」
アルバートは孫の話を黙って聞いている。
「僕は騎士になります、この国を守る騎士に。ただそれはこの王都を守る騎士では無い。あの楓村を守る騎士になり、戦う者として自分の役目を果したいのです」
「そんな事をして儂やお前の父が反対したらどうする? お前を勘当するかもしれんぞ」
アルバートは凄味のある表情でジョナサンに告げるがやはり孫の表情は変わらなかった。
「その時は仕方がありません。まず自力で学校に通う努力をします。それで駄目ならエミリーのお父さんが高名な戦士らしいので村で武技を習い、そのまま村民となります」
「むう、お前はそれで良いが、父や母はどうなる? それに跡継ぎは?」
「お祖父様がいらっしゃる前に父上と母上には結婚の了解はいただきました。将来の事も必要があればとことん話し合います。そして跡継ぎは……」
ジョナサンはエミリーをじっと見た。
思わずエミリーは顔を僅かに赧める。
「彼女に男の子を2人生んで貰いますから」
エミリーはジョナサンの言葉を聞いて真っ赤になって顔を伏せたが、はいと小さい声で返事をした。
その後、またもや沈黙が部屋を支配する。
今度はライアン夫妻もショックを受けているようだ。
まさか息子が地方勤務を申し出るとは思わなかったのであろう。
しかし、いち早くジョナサンの話に納得したのは意外にもアルバートであった。
「さすがじゃ! やはり我が家は傍系とはいえ英雄バートクリード様の血を引く戦士の家系。お前は必ず儂や父を遥かに超える騎士となるであろう。これも嫁御の血のお陰かな」
アルバートは孫のしっかりした考えにすっかり感服した様子である。
そしてエミリーの名を呼ぶとひとつ質問をしたのである。
「お前はエミリー・バッカスと言ったが、もしやダレン・バッカスは身内かな?」
あの『英雄亭』の主人、ダレン・バッカスの名がいきなりこの老人の口から出るとは……
ルウは少し驚いていた。
そしてバッカスという名の繋がりを改めて思い直したのである。
「は、はい! アルバート様、私の祖父の兄……大伯父でございます」
「何と! こ、これは! これは!」
いきなり大声で叫ぶアルバート。
そんなアルバートに皆が驚いている。
「何と言う運命の巡り合わせじゃ。昔、エドモン・ドゥメール大公と一緒にいくつもの戦場に赴いた事があった。その時に『金剛鬼』と呼ばれておったお前の大伯父ダレン・バッカスに何度も命を助けられたわ。その身内を孫の嫁として我がライアン家に迎えるようになろうとは何と言う目出度い事じゃ」
アルバートは目に涙を浮かべている。
「あ奴は未だに独身だからの。こんな可愛い身内など居ないと思っていたが……おいでエミリー、お前の大伯父が居なければ儂の息子と孫はこの世に居ないのだからな」
エミリーは頑固そうな老人が破顔して両手を広げているのを見て一瞬戸惑ったが、ジョナサンに促されると思い切りその胸に飛び込んで行ったのであった。
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