第186話 「誤解と理解」
「シンディ!」
夫のキャルヴィン・ライアン伯爵が大きな声を出した。
エミリーに挨拶もしない妻の無作法を咎めているのだ。
しかしそんな声も混乱したシンディには届かなかった。
「何故!? 貴女はいきなり私の息子をどうしようと言うの?」
息子が自分から旅立ってしまうという空しさを持っていた所へ自分と息子の間に立ちはだかったエミリーという新たな『存在』の出現――それによる焦燥感が母であるシンディに表れていたのである。
そんなシンディの後ろから見かねたルウが声を掛けた。
「シンディ先生、落ち着こう」
「ルウ君、煩いわ! 貴方には子供が居ないから分からないのよ。「鎮静!」だって……」
ルウの鎮静の魔法が発動し、シンディは気を失った。
崩れ落ちそうになるシンディを支えたルウはキャルヴィンに目配せして鎮静の魔法だから心配ないと告げたのである。
「済まない、ルウ。妻は俺が寝室に運ぼう。そしてエミリーさん、妻が無礼を働いた、許して欲しい」
エミリーは慌てて気にしていないとキャルヴィンに返事をした。
ジョナサンがそんな父を見て自分も手伝うと申し出る。
「父上、僕も母上を一緒に運びます」
ジョナサンが申し出るがキャルヴィンは手を横に振った。
「いや、シンディは俺の妻だ、だから俺が運ぶ。それよりお前はエミリーさんの事を労わってくれ。これからこの家で彼女の味方をするのはお前なのだから」
キャルヴィンはそう言うとルウからシンディを受け取り、妻を寝室に運んで行く。
その間、ジョナサンとエミリーはルウとモーラルを目の当たりにしてとても驚いていた。
何故、楓村で別れた筈の2人が自分の家であるライアン伯爵邸に居るのだろうと。
「お坊ちゃま、とりあえず客間へ行かれては……」
家令にそう言われて我に返ったジョナサンは早速2人を先程までルウ達が居た客間に案内するのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
キャルヴィン・ライアン伯爵邸客間、午後5時30分……
「ど、どうして?」
ジョナサンが思わずルウとモーラルの座っている方に身を乗り出した。
エミリーの顔にも同じ気持ちが表れている。
「ジョナサン、今の質問は何故楓村から何も言わずに消えたのか、そして何故ここに居るのか両方の意味だな」
ルウは悪戯っぽい笑みを浮かべている。
「あら、私はまた会いましょうと伝言を残したわ」
同じくモーラルも、さも面白そうにくすっと笑う。
「ははっ、モーラル。俺から話すぞ――まず村から消えた理由だが、俺とモーラルは今回大した事はしていない。それに俺には別に仕事があるからな。ひと足先に王都へ戻らせて貰っただけだ」
「仕事!? ルウさんが?」
「ははっ、モーラルが俺の妻で従士なのは間違いがない。彼女は一緒に暮らしていて俺の身の回りの事をして貰っているのも事実だ。そして俺の仕事だがお前の母上と同じ魔法女子学園の教師なのさ」
「え、えええっ!? 母上と同じ学園の――き、教師!?」
ジョナサンは驚いていた。
まさかルウが母と同じ学園に勤める教師とは思いもよらなかったのだ。
「今回はお前の母上から頼まれてな、お前の事で相談に乗っていたんだ。モーラルにお前達を守らせたのもそこからさ。お前の母上、シンディ先生は息子であるお前の事が心配でならなかったんだよ」
「……そうだったんですか……母上はそんなに僕を心配して」
ルウの話を聞いて俯くジョナサン。
しかしルウはそんなジョナサンにこれからが肝心だと言う。
「こ、これからが……ですか?」
「そうだ、お前がこれからどのような人生をエミリーと歩んで行くか。しっかりと考え、伝えた上で実行して行くんだ。そしてモーラル、例の準備を!」
「準備?」
訝しげな表情をするジョナサンに対してモーラルが立ち上がり、エミリーの手を取ると別の部屋を貸して欲しいと聞いたのだ。
ジョナサンは承諾すると家令を呼び、モーラルとエミリーを別室へ案内させる。
「ルウさん……何を?」
「ははっ、もう少ししたらお前にとって大事な人が来る事になる。今のは少しでも役にて立てばと俺とモーラルからのお節介だ」
―――それから約30分、ルウとジョナサンは今回の件でいろいろ話をする。
気持ちが落ち着いたジョナサンは確りと自分の意思を示せるようになっていた。
その時である。
ドアがノックされ、家令から部屋の前にモーラルとエミリーが戻った事が報せられた。
家令がドアを開け、戻って来たエミリーを見てジョナサンは驚く。
そこには鮮やかな緑色のブリオーを着たエミリーが薄化粧をして立っていたのである。
彼女の野生的な顔立ちが更に映えるような衣装とメイクであった。
「ふふふ、元が素晴らしいからこれからもっと凄い美人になるわね。服は私のお下がりだけど良く似合っているわ」
モーラルが微笑するとエミリーに前に出るように促す。
遠慮がちに進み出たエミリーにジョナサンは感極まって言う。
「エミリー、とても綺麗だよ。こんな素晴らしい女の子が僕を好きになってくれたなんて……何て幸せなんだ」
「は、恥ずかしい……私、大丈夫かしら。ジョナサンに相応しい女の子になれるかしら?」
恥らうエミリーに対して自分こそ頑張ると力強く返すジョナサン。
「君は僕には勿体無い女性さ。でも僕こそ相応しい男になれるようにこれからも努力するよ」
そこにまた家令が声を掛ける。
「お坊ちゃま、お父上様とお母上様がいらっしゃいました」
「ああ、お母様……気がついたのね、よかった」
エミリーが我が事のように心配している。
そんな彼女を見てジョナサンはやはり素晴らしい女性だと思いを新たにしたのだ。
やがて部屋に入って来たキャルヴィンとシンディはエミリーの様子が全く変わっている事に驚く。
「ほう! これは……美しいな」
「本当に綺麗ね。ジョナサン、しっかり彼女を守るのよ」
そんなシンディの言葉にジョナサンとエミリーは驚いた。
「え、母上! で、では!」「お、お母様」
「御免なさい、私はどうかしていたわ。ジョナサンが大人になろうとしている時に縛ろうとするなんて……エミリーさん、貴女にも改めて謝ります。御免なさいね」
「お母様!」
エミリーも目に涙を浮かべている。
「貴女みたいな女性が息子を愛して支えてくれるなんて何て素晴らしいのかしら。私には今迄息子しかいなかったから娘が出来れば嬉しいわ、さあおいで、エミリー!」
エミリーには母が居ない。
幼い頃、病で死んだと父ラウル・バッカスから聞かされており記憶は殆ど無いのだ。
今、目の前に母が居ると錯覚するくらいシンディの言葉は優しかった。
「お、お母様!」
エミリーはシンディの胸に飛び込むと嗚咽していたのであった。
シンディはそんなエミリーの背を優しく撫でながらとても後悔している。
何故、あんなに辛く当たってしまったのか、この娘には何の罪も無いのに。
エミリーに母が居ない事も夫から聞いたシンディはジョナサンを愛するこの娘も、息子と同じくらい愛する事を心に決めていたのであった。
ここまでお読みいただきありがとうございます!




