第183話 「幕間 ジョナサンとエミリー 前編」
「何だ、こんなにいい湯なんだからルウさん達も入れば良いのにな」
ジョナサン・ライアンは湯に浸かりながら独りごちた。
今、彼はアンセルムの家の裏にある小屋の温泉に入っていたのである。
楓村には温泉が湧いており、贅沢にも村人の殆どはこうした自前の風呂を持っていた。
ジョナサンは村長のアンセルム・バッカスに入浴を勧められ、温泉で疲れを癒している。
本当はエミリーが自分の家にジョナサンを呼ぼうとしたのだが、アンセルムが慌てて自分の家に招き入れたのだ。
「し、し、失礼します……」
「ええっ!」
小屋の扉を開けて誰か入って来る。
湯煙で隠れて良く見えないが、この声そして身体の輪郭……エミリーだ。
「おお、お背中をお流しします」
ジョナサンが浸かっている湯船の近く迄来たエミリーの顔は真っ赤である。
決して湯のせいだけではない。
そして彼女は一糸も纏っていなかった。
「エ、エミリー! ど、どうして?」
うろたえるジョナサンにエミリーは深呼吸をすると一気に捲くし立てた。
「お背中が流せません。一旦湯船から出て下さいますか?」
「はひゃい!」
エミリーに急かされたジョナサンはバネ仕掛けの人形のように湯船から飛び出ると……こけた。
「きゃっ!」
焦ってジョナサンを支えようとするエミリー。
思わず手を伸ばしたジョナサンの手を確り掴むが、余りにも体格が違い過ぎ、2人は床に倒れ込んだ。
ジョナサンは咄嗟に自分が下になり、エミリーを庇う。
したたかに身体をうちつけながらも彼はつい痛さを忘れて違う事を考えていた。
エミリーって柔らかくていい香りがするなぁ。
ん!?
えええっ、もしかして僕が触っているこの胸の膨らみは……
「い、いやあっ!」
浴室にエミリーの悲鳴が響く。
ジョナサンはエミリーを庇った時に何と彼女の小さな乳房を掴んでいたのである。
「ご、御免!」
ジョナサンは慌ててエミリーから離れると座り込んで彼女を見ないように背を向けた。
「…………」
エミリーは無言のまま立ち上がるとタオルをお湯で濡らしてジョナサンの背中を擦り始めた。
ジョナサンもされるがままになっている。
きゅっ、きゅっと背中を擦る音だけが浴室に響く。
「……な、流します」
お湯が優しくジョナサンにかけられると彼は気持ち良さそうにほうと息を吐いた。
そしてそっと呟いたのである。
「ありがとう、エミリー。僕、この事は一生忘れないよ」
「…………」
ジョナサンの言葉にもエミリーは無言だ。
「じゃ、じゃあ僕は先に出るよ。君も疲れているだろう? お風呂で温まってね」
ジョナサンが立ち上がり、扉に向おうとしたその時である。
何とエミリーが後ろからジョナサンにひしっと抱きついたのだ。
「エ、エミリー!」
「ジョナサン! 私、私――貴方が好き。何でだろう、好きで堪らないんだ。昨日会ったばかりなのに」
先程触ったエミリーの乳房が今度は背中に当たっていてジョナサンは心臓が高鳴った。
「エミリー……」
「ジョナサンが伯爵の……貴族の息子だって事は聞いたよ。それに比べて私はこんな田舎の村娘。王都に帰れば貴方が綺麗な貴族の女の子達と楽しく暮らすんだろうなと思うと、つい……」
どうやらエミリーには短い旅の間とこの村で生死を共にしたジョナサンに対してほのかな想いが生まれたらしい。
そしてその想いが身分という壁に跳ね返されそうだと知って大胆な行動に出たようなのだ。
「エミリー……実は僕、昨夜戦えたのは君のおかげなんだ。騎士として、君を守ろうと必死だったんだ」
「ジョナサン……」
「ある人から言われたんだ。怖くて震えている僕に、愛する人が魔物に殺されると考えてみろって。そんな時浮かんだのが君の顔だったんだよ」
ジョナサンはエミリーの身体を一旦離してから、向き合う。
北の村の娘らしくエミリーの肌は抜けるように白い。
今はそれが桜色に染まっていた。
綺麗だ……ジョナサンはそう思いながら話を続ける。
「僕は王都では甘ったれの駄目な人間だった。自分の力を知りもしないで王都を飛び出して下手をすれば今頃死んでいたかもしれない。そんな僕を救ってくれたのは君さ」
ジョナサンは何の躊躇いも無く自分の本心を伝えていた。
こんな事は今迄に無い。
両親にさえ言えなかった事なのだ。
「おいで、エミリー」
「ジョナサン!」
2人はひしと抱き合い、いつともなく唇を合わせていたのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ジョナサンとエミリーが母屋に戻るとアンセルムが苦虫を噛み潰したような顔で待っていた。
その脇のテーブルにはモーラルとカミーユが笑顔で何か話している。
アンセルムは食いつきそうな勢いでエミリーに問う。
「エミリー、お前今迄どこに……」
「湯殿だよ、爺ちゃん」
事も無げに答える自分の孫娘にアンセルムは仰天する。
「湯殿ぉ!? だが湯殿にはジョナサンさんが!」
「うん、一緒に入って来た」
「一緒にって、嫁入り前の娘がかぁ?」
そこに突っ込みを入れたのはカミーユである。
「鈍いなぁ、爺ちゃん――察しなよ。俺もジョナサンさんだったら全然OKさ」
カミーユの言葉に今度は口をあんぐりさせたアンセルムである。
アンセルムが呆然とするのを見たカミーユは苦笑して今度はジョナサンに向き直る。
「ジョナサンさん……いや兄ちゃん、姉ちゃんを可愛がって一生大事にしてくれよ」
7歳の子供とは思えないカミーユのしっかりした言葉にジョナサンは力強く頷いていたのであった。
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