第179話 「決戦前」
時は少し遡る。
モーラルが半鐘を鳴らし、楓村の村人へ敵襲を報せ、ルウがメフィストフェレスを自ら造り出した異界へ連れて行った直ぐ後の事
モーラルは本格的に行動を開始する。
村人100人のうち、戦える者は40人。
既に防備に半分の20人が当たっており、事前の打ち合せ通りに残りの20人がモーラルの呼びかけで広場に集まったのだ。
モーラルは声を張り上げる。
「ゴブリンが約100匹、村の南正門に襲撃して来ました。しかし怖れる事はありません! 私が防御壁を出現させます。そして前衛に立ちます。皆さんは私が討ち洩らしたゴブリンを殺して下さい!」
可憐な少女が声を枯らして叫ぶ姿に村人は奮い立つ。
よそ者のそれもあんな小さな女の子が盾となって戦おうというのだ。
怖ろしいながらも震えて隠れるなど恥だと皆、思ったのである。
「おいおい馬鹿な事言うなよ! 俺も前衛に入るぞ」
「あんただけに戦わせないぞ!」
「村は我々村民が守るんだ!」
モーラルと村人達は走った、正門へ走った。
そして正門に着いたモーラル達はひと足先に報せを受けたジョナサン達と合流したのである。
モーラルの姿を認めたジョナサンとエミリーが駆け寄って来た。
「おお! モーラルさん」「ああっ! モーラルさん待っていたよ」
2人の顔には千人の味方を得たような喜びの表情が浮かんでいたのである。
「よしっ! 配置に着いて。敵の援軍は直ぐには来ないからとりあえず目の前の敵を殲滅するよ」
モーラルはそう言い放つとふわりと宙に浮いた。
飛翔するモーラルに村人達から驚きの声が上がる。
モーラルは15m程上昇し、防護柵を越えて外の様子を見ると森の木の陰に何匹ものゴブリンが潜んで村の様子を窺っている。
索敵で把握したようにゆうに100匹は居るようだ。
「ふふふ、一丁前に警戒しているみたいね。好都合だわ」
モーラルは言霊を詠唱する。
正門の周辺を例の氷柱でガードするのだ。
「我が主の名において助力を要請する。水の王アリトンよ、嘆きの川の凍れる水にて敵を寄せつけぬ力を与えよ」
前以て村全体を氷柱で覆う程、モーラルには魔力が無い。
それ故ゴブリンが現れた場所に効率的に使いたいが為に襲撃を待っていたのである。
「氷柱壁!」
モーラルの魔法により防護柵の外側にいくつもの巨大な氷柱が出現した。
それを間近に見たゴブリンの群れは仰天して一斉に警戒の声を上げた。
モーラルは次々と魔法を発動して正門の正面を除いた左右各300m程を氷柱で囲んでしまう。
更に正門の少し前には敵が一度に殺到しないように一定の間隔を空けて小さな氷柱を何本も出現させたのである。
「ふふふ、やっぱり旦那様は凄いわ 私は村全部を氷柱で囲うなんて無理だもの」
とりあえず村を全て取り囲んだルウの魔法結界がある限り、あのメフィストフェレスの契約者である上級魔法使いからの援軍は送られない。
転移魔法は基本的に結界を越えては使えないのだ。
当然結界を出現させた術者が相手より上の場合に限るが、相手がルウより上の術者などモーラルには到底考えられなかったのである。
そうであれば私達はとりあえず目の前の敵を倒せば良い。
モーラルは先程、ジョナサン達と一緒に戦った時と同じ方法を取ろうとしていた。
すなわち相手の攻め口を1つにする作戦である。
モーラルの魔法による氷柱が出現し終わると偵察役のゴブリン達が数匹近寄ってきて、恐る恐る触り、余りの冷たさに慌てて手を引っ込めたりしている。
未だ警戒しているようで、直ぐに襲撃してくる気配は無い。
これなら充分、時間は稼げそうだ。
モーラルはもう1回周囲を確認してから正門の向こうの村人達の元に戻って来たのである。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「どうだった?」
ジョナサンが心配そうにモーラルに問う。
周りで村民も緊張した面持ちでモーラルを見詰めている。
「そうね、予想通り100匹以上のゴブリンがこちらの様子を窺っていたわ」
「そうか……で、モーラルさん、君の作戦は?」
モーラルは笑みを浮かべて頷いた。
「やり方はさっきと同じ。ゴブリンの攻め口を氷柱で限定させるの。奴等は一度に限られた数でしか攻められない。私達はそれをほぼ全員で確実に叩き、殲滅する」
村人の男の喉がごくりと鳴った。
「攻撃は役割分担するの。本来は攻撃役、盾役、強化役、回復役が居ればベストだけど揃わないでしょう。現状の戦力で戦うしかないわ」
「いや何とか揃うと思うぞ」
モーラルの声に対していきなり反応があった。
漆黒の革鎧を纏った黒髪、黒い瞳の長身の青年が、これも革鎧を纏った鋭い猛禽類のような眼差しの逞しい壮年の男を連れて現れたのである。
「だ、旦那様!」
「ははっ、俺は魔法使いのルウ。強化役と回復役をやる。彼は戦士のアンドラ――盾役だ」
青年が名乗り、傍らの男を紹介する。
壮年の男、戦士アンドラは黙って頷いた。
ジョナサンも含めて村人達はいきなり現れた正体不明の異形の青年と壮年の戦士を見て息を呑み、静まり返っている。
その空気を変えようとモーラルが凜とした声で宣言したのだ。
「大丈夫! 彼は、ルウは私の夫です。私達の助っ人……援軍です。では改めて作戦を伝えます」
―――15分後
モーラルから作戦が改めて言い渡される。
彼女によれば正門の周囲を氷柱で覆ったので大きく回り込まない限り、ゴブリン達は正門への攻撃を力押しで行うと言うのである。
そこへ正門を開けて誘い込み、盾役がゴブリンの進撃を止めている所を攻撃魔法で数を倒し、残りは3重に隊列を組んだ攻撃役が村に入れないようにしっかり殲滅するというシナリオだ。
傷ついた者は回復役がこまめに治療して致命傷を追わないようにする。
モーラルは戦い方を何回か繰り返して村人に説明した後に役割別に村人を振り分けたのだ。
「僕はジョナサン・ライアンです。よ、よろしくお願いします……」
ジョナサンは一緒に盾役となって戦うアンドラに声を挨拶をした。
「アンドラだ」
アンドラはジョナサンの方を碌に見ず、ぶっきらぼうに返事をしただけである。
そしてさっさとモーラルに指示をされた持ち場についてしまったのだ。
「ははっ、気にするなよ」
ジョナサンはいきなりぽんと肩を叩かれる。
振り向くとあのモーラルの夫だという、ルウと名乗った青年が穏やかな笑顔を浮かべて彼を見詰めていた。
「ここまでよく頑張ったな。でもこれからが本番だぞ。そしてモーラルの作戦と指揮を良く見ておけ。いずれお前の糧となる筈だ」
ルウの言葉に頷いたジョナサンはもう1度陣容を見直した。
盾役が自分とアンドラ、攻撃役がモーラルとエミリー。そして強化役と回復役をルウが受け持つ。
村人の振り分けは盾役に村長のアンセルム・バッカス率いる屈強な村人3人、そして攻撃役に門を守っていたロドリグ率いる7人、そして残りの10人は最後の壁として村に入れないように守る役回りである。
ジョナサンはこれから戦いだと思うとだんだんと緊張して来た。
「小僧、足が震えておるぞ。もしや初陣か?」
「い、いや違う。大丈夫です」
アンドラに声を掛けられ、否定をするがジョナサンは身体の震えが止まらない。
彼は自分がもどかしかった。
もう既に何匹もゴブリンを倒しているというのに。
その様子を見たアンドラは抑揚の無い声で静かにそう言った。
「そんな時は深呼吸をした上で、一旦頭を空っぽにしろ。そして自分の愛する者が殺される事を想像するのだ。そうしたら怒りで奮い立ち恐怖など無くなる」
ジョナサンは言われた通り深呼吸をし、愛する者はと考えてみた。
すると何故か両親では無くエミリーの顔が浮かんで来る。
そうだ、僕は今、彼女の騎士――そうなんだ。
考えていくうちにジョナサンは不思議と恐怖が無くなり、落ち着く事が出来たのであった。
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