第171話 「楓村の姉弟」
ジョナサン・ライアンの後をつけるモーラルがルウに魂の会話、念話を送ったのは彼が王都セントヘレナの北正門を出た直後であった。
ルウはその報告を受けると早速、ジョナサンの母シンディ・ライアンの耳に入れたのである。
職員室で伝えて彼女が動揺して不審がられても不味いのでルウは廊下に呼び出して周りを見てから、シンディにそっと告げたのだ。
事前に落ち着くように念を押してもシンディはひと目で分る程、落ち着きを失う。
「ジョナサンが……家出!? それも供も連れずに王都の外に1人で!? ど、どうしましょう!? 直ぐに捜索隊を出して連れ戻さないと!」
「シンディ先生、落ち着いて下さい。少し様子を見ましょう――報せてくれたのは俺の愛する妻の1人で信頼する従士ですから」
ルウはそう言うがシンディは納得しないようだ。
「つ、妻って……女性でしょう? 心配だわ」
その台詞を聞いたルウは思わず微笑した。
「シンディ先生、『鉄姫』と呼ばれた女傑がそんな事を言うとはね」
ルウの言葉にシンディは食ってかかった。
「ルウ君! 私とその人と一緒には……」
「同じですよ、シンディ先生。彼女は強い、もしかしたら貴女以上の強さかもしれないんだ」
いきなり真顔になったルウにきっぱりと言葉を返されたシンディは気が抜けたようになり、ほうと溜息を吐いた。
「分ったわ、ルウ君。息子の事は貴方に任せると決めたものね。私はどうしたら良いの?」
それを聞いたルウは大きく頷く。
そしてジョナサンが暫く欠席しても不審がられないように学校へ連絡を入れるのと、事情を話す為に父親のキャルヴィン・ライアン伯爵に会わせてくれるよう頼んだのである。
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ルウとシンディが学園で話していた、その頃……
ジョナサンは口笛を吹きながら街道を北へ向う。
当てがあるわけではなかったが、以前美貌の伯爵令嬢が襲われたという事件の現場に行こうと彼は考えていたのである。
腕利きの騎士5人が凶悪な魔物の群れに殺されたというのに未解決のままである曰く付きの事件だ。
彼は亡くなった先輩の騎士達がきっと油断していたのだろうと決めつけていた。
はっ、きっと油断していたんだろうさ。
僕は絶対そんなへまはしないさ。
どうせ美貌の令嬢に気を取られて油断でもしたんだろう。
そんな彼を見て姿を隠しながら後をつけていたモーラルは思わず苦笑いしそうになった。
自信満々に語る彼の魔力波がはっきりと伝わって来たのである。
よく居がちな根拠の無い自信を振りかざす困ったタイプという奴だ
モーラルがなおも見ていると今度はにやつきながら歩いて行く。
どうやら女性の事を考えているようだ。
その対象が以前、彼が王都で見かけたフランの事だとは、モーラルは思ってもみなかったのだ。
―――そんなジョナサンに背後から声が掛かったのは王都の北の正門を出て歩き出してから1時間もした頃であった。
「お兄さん、冒険者?」
ジョナサンが振り向くと13、14歳くらいの粗末な服を着た少女とその娘に良く似た7歳くらいの男の子の2人連れであった。
「何だ、お前達は!? 何か用か?」
この国でも身分制度は確立されており、貴族であり『戦う者』の身分に属しているジョナサンは『耕す者』である農民らしい少女達に対して居丈高に振る舞ったのである。
少女はそれを見てぷっと吹き出した。
「私達は楓村の者で姉弟なんだ。冒険者のお父へ会いに王都に来たんだけれども急用が出来て直ぐ村へ帰らなければならなくなったのさ。そんな訳で旅は道連れと言うじゃないの。 途中まで一緒に行かない?」
楓村は王都セントヘレナの北東15km程の所に位置し、ロドニアへの街道の途中にある村である。
主な産業は村の名にもあるように砂糖楓を使ったメイプルシロップ作りと小麦などを中心とした農業、そして牧畜だ。
話をよく聞くと2人はやはりメイプルシロップを作る家の子である事が分ったのである。
「私はエミリー、弟はカミーユ。最近はこの街道辺りで頻繁にゴブリンの群れが出るらしいんだよ」
エミリーは栗毛の髪を赤いリボンで後ろに束ねた小柄な少女であった。
「奴等は群れで人を襲って食い殺しちゃう。護衛を雇う金も無いし、たった2人きりでおっかなびっくりで帰る所だったんだよ」
エミリーの言葉にジョナサンは吃驚した。
お、おかしいな?
ゴ、ゴブリンなんて最弱の魔物じゃないか?
そんな奴等を怖れるなんてあるんだろうか?
『狩場の森』に居るゴブリンなんて寝てても倒せる筈なのにさ。
ジョナサンは『狩場の森』に居る同種の魔物が力を弱めた個体とは知らなかったのである。
大丈夫!
ゴブリンは所詮ゴブリンの筈さ。
ジョナサンは再度そう考えると、ごくりと唾を飲み込み一気に言い放った。
「僕は王都でその名も高い騎士隊隊長キャルヴィン・ライアンが一子ジョナサンだ。未だ見習いの身ではあるが、騎士道の精神である慈悲の心に則りお前達を村まで送ってやろう」
それを聞いたエミリーは一瞬目を見開いたかと思うと、腹を抱えて笑い出したのである。
これにはジョナサンも驚いたと同時に腹を立てた。
「おいっ! お前、エミリーと言ったな? 僕の騎士としての誓いを笑うなんて失礼だろう」
「御免! じゃあお願いします、私の強い騎士様」
エミリーは変わり身が早い。
もう手を合わせてうるうるした目でジョナサンを見詰めている。
そんなエミリーと彼女の服を確り掴む弟のカミーユを見るとジョナサンは彼女の非礼をこれ以上責める気にはならなかった。
「もうしょうがないな。あ!?」
ジョナサンは今、気付いた事がある。
あまりにもエミリーが自分に声を掛けるタイミングが良過ぎたのだ。
「エミリー……お前、実は一緒に行けそうな奴を門でチェックしていたな?」
「えへへ――ばれた?」
どうやら図星のようである。
しかしジョナサンは苦笑いするしかなかった。
「……お前は逞しいよ。いろいろな意味で」
こうしてジョナサンは1人で旅をするつもりが可愛い道連れ2人と一緒になったのである。
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王都からロドニアへの街道は人の行き来も比較的多い。
一見すると危険など全く無いようである。
そして楓村までは子供の足でも6時間くらい歩けば村に戻れるのだ。
どんなにゆっくり歩いても朝出れば夕方前には着く――だからこそエミリーの父も子供2人を先に村へ帰すことを許したのであろう。
3人はいろいろな話をしながら更に数時間歩いた。
途中で少しずつ休憩を入れながらである。
カミーユが居るので無理をしない。
エミリーは相当旅慣れているようだ。
でもなぁ…
ジョナサンはエミリーを改めてじっくり見詰めた。
彼女は薄汚れたジャーキンと呼ばれる袖付きで丈は腰下くらいまでの毛織物製の衣服を着込んでいた。そして下半身は臀部から脚部までを覆うホーズというズボンを穿いている。
それはこの国の典型的な男性の農夫の格好であった。
しかし普通の農夫と違うと言えば革の鞘に入った長さ40cm程度のサクスを下げている事だろうか。
良く見れば身のこなしも鋭く確かに動きは敏捷そうだが、余りにも非力な感じだ。
ゴブリンとはいえ、もし出て来たら弟共々、一巻の終わりであろうとジョナサンは考える。
そんなジョナサンの視線の意味を感じたのであろう。
エミリーの弟のカミーユがジョナサンの革鎧を強く突いたのだ。
「馬鹿にするな、姉ちゃんは……強い!」
その時である。
少し先から悲鳴が聞こえ、何か不気味な雄叫びが聞こえたのだ。
「近いわ……多分、魔物よ」
エミリーの表情が一変している。
ジョナサンが思わず驚いてあからさまに見詰めるほど、その表情は歴戦の戦士そのものだったのだ。
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