第140話 「幕間 アンナとルイーズと誰かさん」
アンナ・ブシェ自宅、土曜日午前7時……
今日は土曜日、一般生徒にとっては魔法女子学園の休日にあたる日である。
いつもなら決して起床しない時間にアンナ・ブシェは目が覚めると一目散に屋敷の階段を降りた。
彼女以外、商家である実家は朝が早く、全員がとっくに起きており大広間で朝食を摂っている。
「あら、アンナ――珍しいわね。土曜日でこんな時間に起きてくるなんて、どういう風の吹き回しかしら」
彼女に声を掛けたのは母のドミニク・ブシェである。
「ええ、ルイーズに朝一番で会わないといけないの」
ルイーズ……ああ、ベルチェ商会の1人娘ねとドミニクは笑顔で頷いた。
アンナの家であるブシェ商会は武具や魔道具を中心に扱う今日で言う専門商社のような存在であり、ルイーズの家であるベルチェ商会は鉱石や木材などを扱うこれまた業種違いの専門商社であった。
商売上、バッティングしない理由もあって2人は周りから何も妨害される事がなく、これまで仲良くやってこれたのである。
それが自分の酷い物言いで喧嘩になってしまった。
今から考えれば何故あのような八つ当たりにしか思えない言い方や接し方をしたのか分らない。
アンナの心の中に押し寄せて来るのは後悔の念ばかりである。
まあ……ジョルジュと知り合えたのはよかったけど。
その時である。
アンナに冷水を浴びせるような言い方をしたのは父アルマンであった。
「アンナ、昨日中央広場でお前がどこぞの男と仲良くお茶を飲んでいるのを見た者が居る」
「そ、それは……」
アンナが説明しようとするのを遮ってアルマンは許さんぞと言い放った。
「言い訳は一切聞かん。お前は私の目にかなった婿を取って、この3代続いたブシェ家を継ぐのだからな。お前を魔法女子学園に行かせて学ばせているのも、ブシェ家の為に魔道具の専門知識を勉強させる必要があるからだ」
こんな時、アンナは嵐が通り過ぎるのを待つようにしている。
人間の価値は年齢による経験が唯一と考えている、この頑固な父は若いアンナが反論しても一切聞く耳を持たず、全く議論にならないのだ。
暫く経ってからアルマンが喋り疲れたと見るや、アンナはすかさず声を掛けた。
「……分ったわ、お父様。もうルイーズの家に行って来ます」
父の元を辞去するアンナの背に止めを刺すような声が投げ掛けられた。
「うむ、分れば宜しい。お前はまずブシェ家の事を第1に考えなくてはならない事を忘れるな」
それを聞いたアンナは再び嘆息したのである。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ブシェ家正門、午前8時30分…
「あ~あ、昨日は夢も希望もあった日だったのに何か現実に引き戻されちゃったなぁ」
アンナは思わず溜息を吐くと、元王都衛兵である守衛が会釈をするのを同じく会釈で返してから自宅の正門を出た。
でもジョルジュなんて私よりずっと辛い環境で頑張って希望を見出しているんだもの。
私も頑張ろう!
ジョルジュと話していると元気が出た自分を思い返して彼女はハッとなる。
酷い言葉を言い放ち親友を傷つけてしまったのが彼にもし知られたら不味い。
こんな嫌な女の子だと彼が知ったら……私は確実に嫌われてしまうわ。
反省しよう、そしてまずルイーズにちゃんと謝ろう。
同じ商業街区の中をそんな事を考えながら歩いて約15分……
アンナはルイーズの自宅前に到着していた。
こちらの正門にも元王都衛兵の壮年の男が守衛として警備にあたっている。
たまにルイーズの家には遊びに行っていたのでこの守衛の男はアンナに見覚えがあった。
「これはこれはブシェ商会のお嬢様、よくいらっしゃいました」
「守衛さん、ルイーズは居るかしら?」
「はい! お嬢様は在宅しております。直ぐに取り次ぎましょう。暫くお待ち下さい」
守衛はお辞儀をすると屋敷の奥に引っ込み、ドアを開けると中に居た雑役女中らしい女性に何事か囁いたのである。
屋敷の中では伝言ゲームのようにアンナの来訪が伝わったのであろう。
10分程待つと、ルイーズ・ベルチェが血相を変えてアンナの方にやってくるのが見えた。
アンナは一瞬、身構える。
何せ昨日はあのような酷い言葉を言ったのだ。
もし話も出来ないくらい怒っていたら、どうしようかと思ったのである。
しかし息を切らしてアンナの前に現れたルイーズの口から出た言葉は彼女には信じられぬものであった。
「アンナ! 昨日は本当に御免ね。私、自分の魔法の事で精一杯で何も考えていなかったから」
ルイーズはぜぇぜぇ言いながら頭を下げた。
「昨夜、寝ないで考えたの。私、アンナをとても傷つけてしまったなあって」
思ってもみなかったルイーズの言葉にアンナの気持ちの堰が切れた。
「何で!? 何で貴女はそんなに優しいの? 授業中、貴女の邪魔をしたり、酷い事を言って謝らなくちゃいけないのは私の方なのに!」
アンナの顔はあっという間にくしゃくしゃに歪み、目は涙で一杯になる。
それを聞いたルイーズは黙って首を横に振った。
「私は自分から謝りに行く勇気も無い駄目な子だわ。だから貴女が来たと聞いて絶対に先に謝らないといけないと思ったの――お願い、私を許して」
アンナにはもう我慢が出来なかった。
ルイーズの名を大きな声で呼ぶと彼女を思い切り抱き締めていたのである。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
王都中央広場、午前10時……
カフェ・ヴァルゴ……
アンナとルイーズは現在、この店にて2人で1時間程、紅茶を飲んでいる。
内装も女性が好みそうな雰囲気であり、普段から女子率の高い店だ。
当然、周囲に見知った顔は無い。
今日もお互いの愚痴で長丁場になりそうであり、紅茶も既に2杯目である。
あの後、ルイーズは直ぐ外出する支度をし、アンナは彼女の家で待っていたのだ。
家でのんびり話せば良いのに……というルイーズの両親の勧めを振り切って出て来たのは相変わらずお互いの境遇が同じだったからである。
ルイーズの家で2人がそんな愚痴を言うのを聞かれでもしたらとんでもない事になるからだ。
「相変わらずの事ながら昨夜も見合いを勧める話があったのよ」
溜息を吐くルイーズ。
「学園を卒業したらお婿になる人と直ぐ婚約しなさいって、散々言われたわ」
それを聞いたアンナも負けないくらい大きな溜息を吐く。
「私も一緒……家の事を第1に考えろって父に厳命されたわ」
それを聞いたルイーズは一瞬苦笑いをした上で、気を取り直して口を開いた。
「御免、アンナ。気を悪くしないでね。私、今回覚えた召喚魔法を生かしてエステルが言っていた工務省への就職を目指してみたいの。学園からの推薦がとりつけられれば何とか入省出来るかも……国の役所ならさすがの両親も干渉出来ないわ」
それを聞いたアンナは1回息を吐くと笑顔で大きく頷いたのだ。
「頑張って、ルイーズ! 私、応援しているわ。貴女には貴女の道があって、私には私の道があるのよ。でもずっと仲良しでいてね、これはお願いよ」
「アンナ……」
「私、昨日いろいろ考えたの。状況は厳しいけどもう1回自分の『道』を考え直してみたいわ」
アンナはそう言うとじっとルイーズを見詰めた。
「貴女こそ素晴らしいわ。負けないで、アンナ。私も貴女が自分の『道』を歩く事を応援するわ」
―――それから2人は2時間以上もお互いの将来の事や学園の事などを話したのである。
無論恋愛の話も出たが、さすがに昨日会っていた彼とはどうだったの、などとルイーズは聞かなかった。
「そろそろ行きましょうか?」
「ええ」
今日も長居をしてしまった。
しかし店の方も心得ており、2人をにこやかに送り出した。
店を出て歩き出そうとした時、ルイーズは誰かがアンナの名を呼んでいるのに気がついた。
誰だろう?
声のする方角を見ると昨日アンナと会っていた少年が駆け寄ってくるのが見えた。
ジョルジュである。
ルイーズが、アンナはどうかと見ると彼女は少しバツが悪そうでもじもじしている。
「アンナ、また会えたね! あれ、友達と一緒? じゃあ俺は遠慮しよう」
ジョルジュはアンナと今日また会えた事が本当に嬉しいらしい。
しかしルイーズと一緒だと知ると遠慮すると言い出した。
それを遮ったのはルイーズである。
「こんにちは、初めまして。アンナの友人のルイーズ・ベルチェです。彼女と同じ魔法女子学園に通っています」
「ああ、俺はジョルジュ、ジョルジュ・ドゥメール。魔法男子学園の2年生さ。宜しくな」
本当は2人共、昨日既に会っているのだが、そんな記憶はとっくに消去されていた。
しかし名前を聞いたルイーズが思わずジョルジュに聞き返す。
「ドゥメールって……あの?」
「ああ、何か言い難いけど、あのドゥメールさ。いろいろ宜しく」
ジョルジュは苦笑して軽く会釈した。
ルイーズは何気に彼の事を観察している。
これは女性の自然な本能というものであろうか……
貴族なのに、それもあのドゥメールの一族なのに全然威張ってもいないし、良い人みたいじゃない。
よかったね、アンナ。
後は巧くやるのよ。
「あ、私急用を思い出したので帰ります。ジョルジュさん、アンナを宜しくね」
「え!?」
いきなりのルイーズの言葉に吃驚したアンナが声をかける間も無く、ルイーズは2人に頭を下げると雑踏の中に消えてしまったのであった。
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