第134話 「精霊の怒り」
ルウはいつもの通り魔法女子学園から暫く歩くと地の精霊の力でルイーズ・ベルチェが中に入ってやりとりしたというドラス&バトス商店の近くに転移した。
余り派手に魔法を使うと放出する魔力波で相手に気付かれてしまうので極力、魔力を抑えながらの行使であった。
「あそこか……」
ドラス&バトス商店は短期間貸出用の店舗に粗末な看板を出して営業していた。
先日、ルウが精神体となって王都の調査を行った際には確か無かった店である。
となるとやはり調査が終わるのを見計らって蠢動して来たに違いない。
「やはり俺は彼等から見ればルシフェルに比べて組し易しと思われているんだろうな」
ルウは店の外観を見ながら呟いた。
その言葉を聞いてルウの魂にヴィネの念話が響く。
『ルウ様……それを仰ってはいけません。しかし、貴方様にはあのお方に無いものが、お有りです』
ルウはその言葉を聞いてゆっくりと目を見開いた。
『ルシフェルに無くて俺に有るもの……』
ルウの呟きに対してヴィネはすかさず言葉を繋いだ。
『残念ながら私の口から、それは申せません。自らお気づきになるか、あの方から直接お聞きになるかです』
『……分った。とりあえず今は目の前の敵を片付けよう、ルシフェル!』
その瞬間、ルウの大魔法が発動する。
『大いなるかつての天使長よ、我は命ずる。あの悪しき世界を切り取り、我が聖域へと導け!』
ドラス&バトス商店の中に王都の一般人が居ないのを確かめてから悪魔達の魔法結界で守られている店ごと転移させ、更にルウの広域の魔法結界で覆ったのだ。
たちまち店の周りが何も無い異界と化した。
その瞬間、今迄姿が見えなかったヴィネが実体化した。
逞しい身体を持つ獅子頭の悪魔であり、右手には毒蛇が絡みついている。
『これで中の2人は逃げられませんな。まあ最初から戦う積りなら関係がありませんが』
ルウはヴィネの言葉に大きく頷くと店に向って指を鳴らした。
開放の魔法で古ぼけたドアをいきなり開けたのだ……が、誰も出て来ない。
ルウの眉間に僅かに皺が寄る。
『さっさと出て来い……そこに居るのは分っているんだ。ドアの部分のみ俺の結界は外している。戦うのか、それとも服従するのかお前達の意思をはっきり表明しろ』
すると2人の法衣姿の老人が中から漸く歩み出た。
人間で無い事は、最早隠そうとしない圧倒的な魔力波で分る。
1人は鋭い目付きの老人でルウとヴィネを睨みつけ、もう1人の老人はその相棒を見て苦笑いを浮かべていた。
『偉そうな事を抜かしおって! たかが人間の分際でおこがましいわ!』
目付きの鋭い老人が大声を張り上げた。
ルウが戦いか服従かの選択を告げた事に対して憤っているのであろう。
『いくらルシフェル様のご加護があっても貴様など所詮は人間に過ぎぬ。儂はお前に降伏などせぬ。嬲り殺しにして、この地獄の侯爵である悪魔アンドラスの力をとくと見せてくれるわ』
元魔法使い=ドラス、それが改めてアンドラスと名乗った老人は裂帛の気合を入れると魔力を全身に漲らせた。
ルウの隣に居るヴィネに少し緊張が走るのが分る。
『かああああっ!』
アンドラスが叫ぶと老人の輪郭がぼやけ、掴みどころのない不定形な霧状のものになった。
やがてその不定形な物体は漆黒で、信じられないくらい巨大な狼に跨った1人の悪魔の姿に変わって行く。
その悪魔の風貌で体型自体は逞しい人間のものと余り変わらない。
しかしまるで違うのはその頭部である。
全く人間とかけ離れた梟のような猛禽類の頭部がついていたのだ。
その嘴から殺意に満ち、しわがれた声が洩れて来る。
『貴様の肉体を切り刻み魂を喰らって、冥界に落とされた閣下の目が節穴になった事をはっきりさせてやる!』
『まあそれが出来ればな』
『こ、小僧め!』
いきり立つアンドラスに対してルウは冷静だ。
構えるアンドラスに対してヴィネがルウを庇うように一歩前に出る。
それを手で制したのは当のルウであった。
『こいつはジョゼの件で俺の怒りを買っている。懲らしめてやらないと気が済まない』
『我が手に得よ!』
アンドラスは引き寄せの魔法を発動させるとその手の中にはひと振りの剣が現れる。
『我が愛用の魔剣インウィディアで約束通り貴様を切り刻む』
それを見たルウの口角がさも面白そうに上がる。
『ふん、その身を刻まれた者が嫉妬を覚え、身悶えして死ぬ魔剣か。お前に相応しい醜い剣だ』
そのルウのひと言でアンドラスは完全に切れた……ようだ。
魔剣インウィディアを持つ手がぶるぶると震えている。
アンドラスが気合を入れ、跨った漆黒の狼が宙に舞い上がると一直線にルウ目掛けて突っ込んで来た。
『風の精霊よ、我に力を与えよ! 飛翔!』
ルウが言霊を唱えると同時に彼の身体は凄まじい速度で上昇し、あっけなくアンドラスの魔剣での一撃を躱す。
『ちいっ! 貴様、この異界に精霊を呼び入れていたのか?』
そう言いながら宙に浮かんだ狼が変則的な動きをし、跨ったアンドラスから繰り出される剣での攻撃は止む事が無い。
呪われた魔剣の鋭利な刃がとてつもない速さで立て続けに様々な位置からルウを襲っているのだ。
『はははっ! 儂の攻撃をここまで避けるとは人間にしてはやりおる! しかし一気に速度をあげればどうかな?』
アンドラスの攻撃速度が数倍になる。
『ははは、死ね! 死ね! 死ねぃ!』
しかしルウの表情には余裕があった。
楽々とアンドラスの攻撃を躱しているのだ。
『ば、馬鹿な! 儂のこの攻撃は大天使を何人も屠って来たのに……き、貴様!』
その言葉を聞いたルウの表情が変わる。
『お前達、志を失った悪魔を精霊達は嫌っている。その怒りを知るがいい』
ルウの口元が僅かに開き、4大精霊の名が詠唱される。
『風を治めし、シルフ。水を治めし、ウンディーネ。火を治めし、サラマンダー。そして地を治めし、ノーミード』
ルウの周囲を荒れ狂う精霊の精神体が取り巻いた。
大気が震え、その魔力波は膨大な量となる。
ルウを守護する4大精霊が彼の怒りに同調しているのだ。
『この罪深き悪魔を討ち果たせ! 大嵐!』
ルウの言霊により巻き起こる大暴風雨。
風と水の精霊の両精霊により生み出される大掛かりな複合魔法である。
あっという間にアンドラスは暴風によって狼から落とされた上に身体の自由を失ってしまう。
『爆炎刃! 溶岩弾!』
風と火の爆炎、そして火と土の溶岩弾という容赦なく撃ち込まれる精霊の複合魔法。
その凄まじい威力にアンドラスの身体は焼け爛れ、最早原型を止めてはいなかった。
やがてひとつの精神体がかつてアンドラスであった肉体より立ち上り、ルウの前から逃げようとする。
これがアンドラスの『本体』であった。
『束縛!』
ルウは表情ひとつ変えずに束縛の魔法を発動して精神体を確保する。
やがてアンドラスである精神体はルウの掌の上に引き寄せられた。
ルウは容赦なくゆらゆら怯えるように揺らめくその精神体を握り潰そうとする。
『お、お待ちくだされ!』
慌てて声を掛けたのはもう1人の法衣姿の老人である。
ルウの手の動きが止まった。
しかし表情は厳しいままである。
『バルバトス!』
ルウの口調が変わっている。
いつか傍らに居るヴィネを裁こうとした冷徹なルシフェルのものだ。
『お前達は先のヴィネの件を知っている筈だ。なのに何故だ?』
元老魔法使いバトス……その姿が歪み、あっという間に悪魔バルバトスに変わって行く。
鉄兜を被り、弓矢を持つ思慮深そうな壮年の男性が現れる。
『も、申し訳ありません』
『ははっ! 俺を舐めて試そうとし、その力を見誤った……そうだな、バルバトス』
またもや口調はルウのものに戻っている。
『も、申し訳ありません』
ルウに事実を指摘されたバルバトスは思わず跪き、許しを請うのであった。
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