第116話 「謀略」
アルドワン侯爵邸午前11時……
ジェラール・ギャロワ伯爵は『寄り親』であるダニエル・アルドワン侯爵に呼ばれて屋敷に赴いていた。
『寄り親・寄り子』とは親子を模してして結ばれた主従関係である。保護する側を寄親と呼び、保護される側を寄子と呼ぶ。
分り易く言えば派閥である。
かつて日本の中世で使われていた制度が、この大陸の貴族の間でも採用されていたのである。
ジェラールは気が重い。
娘の話を聞いて非は完全に先方にあると分ったが、それを責めるわけにはいかないのだ。
それが宮仕えの辛さでもあった。
どうしたものか……
財務大臣であるダニエルに引き立てられて次官の任に就いているジェラールであったが、その地位はダニエルの気分次第で簡単に失われてしまう。
理由など何とでもつけられるからである。
かと言って貴族間の派閥の問題で今更他の上級貴族に鞍替えできないのが辛い所であった。
しかし!
可愛い愛娘ジョゼの幸せの為である。
あの子の為に自分は……このヴァレンタイン王国での出世を諦めても、最悪このギャロワ家が廃れても構わない。
ジェラールはそこまで覚悟を決めて今日のダニエルからの呼び出しに応じたのである。
そんな気持ちのジェラールを出迎えたのは彼が普段この屋敷で全く見覚えがない若い男性の家令であった。
その家令、態度は丁寧ではあるが、やたら慇懃で理由も無く口元に嫌らしい笑みを浮かべている。
使用人である家令の分際で、伯爵である自分を見下しているのが丸分かりであった。
「どうぞ! ダニエル閣下が中でお待ちですよ、ひひひ」
しかしダニエルの書斎のドアの前に案内されたジェラールはそんな無礼な家令の態度に耐え、何とか礼を言う。
「案内、痛み入る」
しかし家令の返事はジェラールは不可解にさせるものであった。
「ひひひ、貴方は侯爵閣下を怒らせてしまった。覚悟を決めた方が宜しいでしょう」
「か、覚悟? それは一体?」
家令の意味深な言葉に思わず聞き返したジェラールではあったが、家令は彼の問いには答えず主人である侯爵にジェラールの到着を告げたのである。
「ひひひ、ご主人様。ギャロワ伯爵が来ましたぜ」
碌に敬語も使わないこの家令に違和感を感じたジェラールではあるが、中で侯爵が待っているのであれば入らないわけにはいかない。
ジェラールはひとつ深呼吸をして、思い切ってドアを開けた。
「ははは、来たか? お前にもう1回チャンスをやろうと思って呼んだのだ」
ダニエルは入り口の反対側を向いたまま、ジェラールに言い放つ。
しかしジェラールとしてはまずダニエルに詫びるしかない。
「侯爵、娘の無礼は私が代わってお詫び致します。何卒お許しを」
そこでダニエルは初めてジェラールに向き直る。
「まあ、座りたまえ。お茶でも淹れよう」
間も無く先程の家令が、にやつきながら紅茶を運んで来た。
「ははは、よく聞けよ。君の所の我儘娘は次男のイジドールでは気に入らんとみえる。だがな、嫡男のゴーチェなら文句はなかろう」
「は? ゴ、ゴーチェ様ならとは?」
ジェラールはダニエルの言っている意味が分らない。
「鈍い奴だ。ゴーチェが君の娘を娶ってやろうというのだ。ありがたいだろう?」
「ええええっ!? そ、それはっ!?」
「不満だと言うのか? ここまで譲歩しているのに。また私の顔を潰すつもりかね?」
ダニエルはその猛禽類のような鋭い眼でじっとジェラールを見詰めたのだ。
「い、いえ! ただ……私の娘は先日婚約が決まりまして」
「ははは、そんなものはさっさと破棄させればよかろう。この国でこれ以上の良縁は無いからな」
ダニエルの高笑いの影に愛娘ジョゼフィーヌの悲しい顔が浮かんで来る。
ジェラールにそんな話を受けられる筈はなかった。
「しかし!」
「まだ言うか? ではこの話を受けない場合は君の王宮財務次官の職を解くとしよう」
やはりそう来たか……
だがジェラールはもう覚悟を決めていた。
「お断りします。職を解かれる事は残念ですが、私には娘の幸せが1番ですから」
「………むう、私がこうも頼んでもやはり駄目か。分った……今後、君と私はもう全く関係ない間柄だと思ってくれ。退任して貰う件は追って連絡する」
こうなったからには……ジェラールはかえってさばさばしていた。
引退してあのルウの言っていた『新たな家族達』と暮らして行くのも良いかもしれない。
「では私はこれで失礼致します」
そこに飛び込んできたのは先程の若い家令であった。
いきなり後ろからジェラールを羽交い絞めにする。
見かけは華奢な家令だが、どこにそんな力があるのかジェラールが、もがいて振りほどこうとしても全く動かない。
「な、何をする!」
ジェラールのその叫びに答えたのはダニエルである。
「ははは、折角淹れたお茶も飲まずに帰るなど最後まで礼儀知らずだな、君は」
ダニエルは紅茶の入ったカップを右手で持つと左手でジェラールの頬を掴んだ。
「ふふふ、このお茶にはな、遅効性の毒が入っておる。飲んだら眠ってそのまま死ねる便利な薬だよ。君は眠ったまま屋敷に運ばれ、そして死体で発見される。財務次官を解任された事を苦にして死を選んだという筋書きだ。寄り親として最後まで面倒をみてやる私に感謝しろよ」
「あぐぐぐぐ……」
「ああ、遺書も既に用意してあるし、あの頑固な家令を除いた使用人共も護衛の騎士達も買収してあるから露見する事は無い。娘もゴーチェが散々嬲りものにした後、適当な婿を取らせてギャロワの名だけは存続させる。何せ寄り子が潰れたら私の勢力基盤が弱くなるからな」
ダニエルはそう言いつつ、カップをジェラールに寄せてくる。
わ、私はここで!
こんな形で殺されてしまうのか!?
ジョ、ジョゼ!!
思わず目を瞑ったジェラール。
その時であった。
「ぎゃぶっ!」
ジェラールの頬を掴んでいた手が離れ、毒茶を飲ませようとしていたダニエルが悲鳴をあげ、壁に向かって吹っ飛んだのだ。
そしてダニエルを殴った何者かが羽交い絞めをしていた家令の両肩も掴み、腕を放させるとこれもまた投げ飛ばしたのである。
な、何が起こったのだ!?
恐る恐る目を開けたジェラールの瞳には娘の婿である、あの黒髪の青年の人懐こそうな笑顔がはっきりと映っていたのであった。
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