第1話 「救出」
学園ものは初めてです。
暫く導入部分が続きますが、ご容赦下さいませ。
ここは鬱蒼とした深い森。
木々がびっしりと生えており、昼間でも見通しは悪い。
どこまで行けば抜けられるのか、
歩いていると、吸い込まれるような感覚に囚われそうになる、そんな深さだ。
陽は既に落ち、薄い雲を通して月明かりが辺りをぼんやりと照らしている。
森の中を、ひとりの女らしい華奢な影がひとつ……
怪我をしたらしい足を引きずりながら、逃げている。
女を追う小さな人型の影が数十……
雲が切れ、月明かりは女を追う小さな影を照らし出していた。
その姿は人とも動物とも言えなかった。
個々の身長は、1mを少し越えるくらいしかないだろう。
顔は生まれたての赤ん坊のように皺くちゃだが、妙に大人びている。
この世には存在し得ない人外……異形の魔物であった。
醜く吊り上がった口からは異様な声が洩れ、それが小波のように伝わり、やがて全員からその怖ろしい声が立ちのぼる。
「あぴちゃうひゅううううううううううううう」
「ぐわぁびちゃうううううううううううううん」
果たしてこれは、まともな人間の声と呼べる代物だろうか?
いや、動物の鳴き声ですらない。
ぴちゃくちゃと舌なめずりするような音を立てながら発する腸の底から搾り出すような声。
狙った獲物を喰い殺す感情だけを前面に押し立てた、嫌悪感を催す唸り声だ。
「ああ!」
女がいきなり小さな声をあげる。
それは絶望に近い溜息とも取れる声。
目の前が切り立った崖であり、その先にあるべき道が一部分、削り取られたように存在していなかったのだ。
「あうふおおおおおおおおおおおおおおお」
獲物を、やっとの事で追いつめた歓喜の感情だろうか?
異形の魔物共が一斉に吼えた。
月明かりは異形の魔物同様、追い詰められた女も照らし出している。
若く美しい女であった。
年齢は、20歳を少しこえたくらいであろうか。
身長はそこそこ高く、金髪で綺麗な碧眼を持っている。
鼻筋の通った美しい顔立ちには、さすがに疲れが色濃く生じていた。
だが、このような状況でも落ち着いた上品な物腰と、鋭く放たれる眼差しに女が只者では無い事をうかがわせている。
最後の抵抗を試みようとするのか、女は何かを呟き両手を合わせる。
すると、手と手の間に「ぽうっ」と白光が生じた。
眩い白光はやがて小さな火球になり、徐々に大きくなって行く。
それを見た異形の魔物共も、意味不明な言葉を唱えると女の発動させた物より更に大きな火球を出現させた。
しかし発動させた火球が、ほんの少しだけ早かったのは、まだ女にツキが残っていた証だろう。
女は渾身の力で異形の者達へ火球を放つと、相手の火球が着弾する前に崖からその身を投げ出したのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「気がついたかい?」
若い男の声がする。
意識を取り戻しつつある女の目は、まだ上手く開かない。
暫し経って、やっと視界が開ける。
すると……
薄ぼんやりとした中に、ひとりの男が座る姿が認められた。
夜の森は、冷え冷えとしていた。
男はどうやら、焚き火をして暖を取っているらしい。
女はハッとして起き上がり、身構えようとした。
しかし全身を激痛が走り、唸り声を上げながら力無く伏してしまう。
気がつくと、自分の身体には誰の者か分からない薄汚れた外套がかけられている。
若い男は背を向けたまま言う。
「無理をしないで横になっていた方が良い、あんたは高い崖からいきなり落ちて来たんだ。いくら身体強化の魔法を掛けていても無茶過ぎるぞ。命があっただけでも、めっけもんだ」
「…………」
女は黙ったまま、訝しげな表情を見せた。
……身体強化って? 何故? 何故、私がその魔法を使ったか分かるのだろうか、と。
「俺が怪しいと思っているんだろ? まあ無理も無い、魔法に関しては故郷の村で親代わりに育てられた人に習ったのさ」
まるで女の考えを読み取ったように、男はこともなげに言い切る。
女は男に少しだけ興味がわいた。
どのような相手なのか見たいと思ったが、男は相変わらず背を向けている為に風貌は分からない。
「どうして?」
助けてくれたの? と、聞きかけた女は、まだ助けて貰ったお礼、いや自分の名前さえも言っていなかった事を思い出す。
「ありがとう、とりあえずお礼をいっておくわ。私の名前は……」
「待て!」
女が自分の名を名乗ろうとした時であった。
男が手を挙げて女を止め、「話は後だ」と呟いた。
「あんたを追って来たらしい。しかもこの魔力波……人の物ではないな」
男の言葉を聞いて、女は既に死を覚悟していた。
助けてはくれたが、目の前の男は味方かどうかも分からない。
もしや自分を救う為に戦ってくれるのかもしれない、などと期待するのは幻想だ、と。
冷静に判断しても追って来る相手は異形の魔物の群れで、こちらはたったひとり。
ただでさえ敵わぬ相手であり、その上自分は魔力が殆ど残っていない。
満足に戦えない、手負いの身体である。
いざとなったら自ら命を絶とうと……決めていたのだ。
しかし、不可解である。
女には敵が迫っている事を一切探知出来ていない。
残り少なくなった魔力を使って、必死に索敵しているのに……
思えばこのように悲惨な状況になったのは、索敵の魔法が全く効かず、不意を衝かれたせいでもある。
女がそのような事を考えていると、男がぽつりと呟いた。
「ん、まあ、大した奴等じゃないな。飯食った後の腹ごなしくらいにはなりそうだ、どうする? 俺が全部、殺っていいのか?」
「え?」
女は吃驚していた。
大した奴等じゃない? 腹ごなしくらい?
何と言う事だろうか、索敵した上に敵の力量まで分かってしまうのか?
「まあ……任せろ!」
「あ!?」
その言葉を聞いた途端、女は懐かしさで一杯になった。
今は亡き、彼女の婚約者が良く言っていた口癖であったからだ。
「ラインハルト……様」
思わず発した女の呟きは、静かに闇の中に溶け込んで行った……
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
若い男は両手を広げ、怯えた女を守るように立ち尽くしていた。
赤々と燃える焚き火が、男の長身痩躯を闇に浮かび上がらせている。
異形の魔物共が、男と女をぐるりと取り囲んでいた。
しかし男の表情に、臆した所は、まったくといっていいほど無い。
「ふん、見た所どこぞの錬金術師か死霊術師が戯れに造った擬似生命体か? どうやら魔法もそこそこ使えるみたいだな」
男の口元から、ぽつりと呟きが洩れる。
「あああああえええええええああああああ」
「ひゃうううううううううううううううん」
異形の魔物共は男を遠巻きにして囀っていた。
男を完全に敵と認めた上で、その後に居る女共々殺そうと負のオーラを放っているのだ。
「お前等がまともな人間なら、いろいろと聞きたい所だが、これではな……」
肩を竦めた男の呟きに対し、異形の魔物共は先程と同じように言霊らしきものを詠唱すると、頭上にまたもやいくつもの火球が現れた。
「なんだ? この俺に火属性の魔法で来るとはな」
男の口から「ふっ」と息が吐かれ、口角が僅かに上がった。
皮肉とも見える笑みが、その顔に浮かぶ。
異形魔物共が意味不明な叫びを発すると、夥しい数の火球が凄まじい勢いで殺到する。
男と女の命はもはや風前の灯と思われた。
しかし火球が弾けようとした瞬間、いきなり巨大な見えない手で摑まれたように全てが消え失せたのだ。
「くわおおおおおおおおおおおおお」
「はえおおおおおおおおおおおおお」
異形の魔物達から、驚きの声が上がった。
「ま、まさか!?」
横たわったまま動けない女も、驚きの表情を浮かべている。
これは魔法障壁!?
いえ、違う! 魔法障壁なんかじゃない!
凄い! これは魔法の……魔法の無効化だわ!
「あああああえええええええああああああ」
「ひゃうううううううううううううううん」
異形の魔物達は、顔を見合わせると何か叫んだ。
めげずに再度、魔法による火球を放り込んで来る。
しかし、先程起こった出来事はまぐれでも錯覚でもなかった。
また同じように、男の前で火球があっさりと消え去ったのだ。
「ふふふ、おかげで自分の魔力を使わずに済むぜ、なあ、火蜥蜴」
そう呟いた瞬間、男の全身が紅蓮の炎で包まれたかに見えた。
実際に身体が燃え上がったわけではない。
伝説の精霊、火蜥蜴が精神体となって男の身体から立ち昇ったのだ。
横たわった女は、驚きのあまり大きく目を見開いたままだ。
「ひゃああああああああああああ」
形勢は呆気なく逆転した。
異形の魔物共が、怯えているのだ。
火の精霊の凄まじい怒りの気配を感じたのか、ひどく怯えているのだ。
今までは数を頼んで、自分達より弱い者をいたぶった事しかない彼等が、初めて恐怖を感じているのだろう。
男は唄う様に詠唱を浴びせかける。
「火蜥蜴よ! この大地の血脈にして偉大なる火の精霊よ! 人々に生きる力と恵みを与える神の使いよ! その力を誤って使いし、この邪なる者共を討て! そして怒れる炎の力で浄化し、この聖なる大地より奴等を消し去るがよい!」
男の頭上に火蜥蜴の形をした炎の渦が出現し、舞い上がる。
「火蜥蜴! お前の炎の吐息で奴等を滅ぼせ!」
かああああああああっ!
精神体である筈の炎の渦が凄まじい声で咆哮した。
ありえない事だが確かに吼えたのだ。
「ひゃああああああああああああ」
とうとう異形の魔物共が恐怖に耐え切れず、絶叫を上げて逃げ出した。
燃え盛る炎の渦と化した火蜥蜴が大空を舞いながら、容赦なく灼熱の炎を降らせて行く。
まともに炎を浴びた者は苦悶しながら、あっという間に炭化し、粉々になる。
こうして……
女を追ってきた異形の魔物共は、跡形も残さず全滅したのであった。
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